top of page

​炬火 Die Fackel 

 辺野古で抗議船に乗っていた高校二年の女子が死亡する事故が起きた。

 この抗議とは、もちろん米軍基地建設による環境破壊に対しての様々な行動のうちの一つである、船に乗っての海上行動のこと。

 この事件が起きて大喜びしたのは、先ずマスコミである。


 まず朝日新聞が、デジタル版で誤報を流した。

 これはすぐに削除されたうえ、朝日新聞デジタル版は訂正のうえ謝罪した。しかし、ただの単純ミスでは、確認もせずに思い込みで記事を作成するなんてことはありえない。

 その内容からすると、どう考えても願望が先行したからだろう。執拗な抗議行動が遂に未成年者まで巻き込んで悲劇となったというと、面白い記事になるからだ。これでは、やはり確認もせず抗議行動に参加したと決めつけた百田尚樹と、朝日新聞の記者は同水準ということである。


 さらに百田尚樹は、その高校生が愚か者だという意味の罵倒までした。

 つまり死者を侮辱する最低の行為に及んだということ。これには愛想が尽きたと、政治家としての彼を支持してきた者たちが批判していた。

 だが、これと同じことを朝日新聞の記者も考えていたか、あるいは百田尚樹のような反応が出て盛り上がるであろうと期待していたか、そのどちらかでなければ、このような誤報とはならなかったはずである。



 このblogを主催している者は辺野古に行ったことがある。

 それについては、サイト上部にホームページへのリンクがある。そこを参照すると主催者が抗議船に乗り込むさいの写真が自己紹介として載っている。ライフジャケットを身に着けているし、背景は沖縄の海である。また、下方へスクロールすると沖縄の問題へのリンクがあり、かつて記事を雑誌に掲載したさいには載せられなかったカラー写真がたくさん掲載されている。

 このさい案内した人は、もっと前から抗議行動に参加してきた人で、主催者の友達である。この人は言っていた。未成年者を抗議船に乗せるなんて以ての外だと。ただでさえ、小型船で海に出るのは危険があるし、しかも権力の横暴に抗議するとなると命懸けだから。


 ただ未成年者でも信念から自分の意思で覚悟して乗るならけっこうだ。

 また、親が連れて行って、社会の現実を一緒に間近で見せつけて、学校のイジメに遭っても我慢するな自殺するなと教えるということなら一種のスパルタ教育として意味があるだろう。このblogの主催者も、その意味でのスパルタ教育を施している。

 このことと関係して、このblogはしばらく休載していて、今回で再開だがネットで指示しての代筆である。これがしばらく続くはずで、事情は旧Twitter(現X)に投稿されていたとおりである。これについては後に説明がある。


 この、転覆事故の高校生死亡についての項目は次に続く。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 3月31日
  • 読了時間: 2分

 エドワード=スノーデンの話について。

 日本のインフラをマヒさせるという、あのオリバーストーン監督の映画に出てきたようにするというかというと疑問だ。

 その前にコスタカブラス監督の映画みたいにするはずだ。自衛隊にはピノチェトみたいのばかりいるから。



 ところで、エドワード=スノーデンによる、実に最もよく言い表した言葉がある。

 「『プライバシーの権利なんて気にしないよ、隠すものがないから』と言うのは、『言論の自由なんて気にしないよ、言うことがないから』と言うのと何ら変わらない」

 「単に法律を守っているからといって、政府の私生活への干渉から免れるとは限らない。

 これを理解できない人もいる。

 だいたい一般庶民とか田舎者とか言われる人たちは、自分とは無関係だと思っているからで、しかも実際に自分に何か迫害があっても自覚できない。言うことがないから言論弾圧なんて無いかもしれないし、そもそも権力から弾圧されなくても田舎は元々から何も言えない雰囲気で、それを破ったら困ることになってしまう。

 しかし弁護士だったら、これでは困るだろう。ところが、困る人が多いのが実態である。


 ここでは名前を伏せるが共産党系法律事務所の女性の弁護士。

 この弁護士から「隠すものが無ければプライバシーは気にしないでいいはず」「権力を批判するからだ」と言われたことがある。

 それは、米軍や自衛隊を批判したことで警察が自宅に押し掛け土足であがり暴力をふるいパソコンのデータなどを強奪したことを相談したら。


 あまりにひどいので、他の弁護士に相談したさい言った。

 そうしたら「弁護士なんて権力とくに警察に対して無力だ。日本では弁護士ほど虚しい仕事は無い。だから左派の法律事務所の人権派気取りは、権力犯罪にさいして権力と闘うのではなく権力犯罪の被害者が悪いことにして誤魔化したうえ自身を騙すのだ」と指摘した。

 そうかもしれない。ただ、自分で自分を騙していたら、そのうち仕事以外の他のことでも可笑しくなってくるはずだ。その女性の弁護士には「ご自愛ください」と言うしかない。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 3月30日
  • 読了時間: 2分

 痴漢免罪論法というのがある。

 これは、かつて自著でも話題にとりあげたから、すでに知っている人たちも一部にいるだろう。性犯罪の被害者に「大声を出してはしたない」と女性の方を非難するのと同じ論法ということである。

 まったく、被害者を侮辱しながら痴漢を免罪する方という二重に醜い態度であり、権勢に媚びて弱い者いじめするのが好きな人によくみられる行動だ。

 倉田真由美という漫画家は知らない。

 ただ、時々SNSで排外主義を煽る投稿をしているのを見かけていた。そうしたら、この痴漢免罪論法を駆使して権勢に媚びて弱い者いじめの発言をして話題になっていた。

 まさに、性犯罪の被害者が悲鳴をあげたら大声を出してはしたないと言うのと同じで、戦争反対の声をあげる人達を侮辱していた。

 そもそも戦争反対は権力の横暴に対して必死で声をあげているのだけど、それを乱暴と言う倉田真由美は、加害者と被害者をすり替えて非難することで強者におもねっている。こういう人は昔からよく見かけてきたもの。目新しさはない。


 それで排外主義者であることも一緒に取り上げられた。

 倉田真由美は排外主義を暴力的に煽るヘイトスピーチの異常な攻撃性は黙認し、そのうえで自身も外国人排斥の主張を繰り返していた。そんなことをしながら、なぜか戦争反対には「乱暴な言葉」と揚げ足を取るから、まずは自身の言葉の暴力性に気づくべきだと指摘されていたのだ。

 この類のことを言う人達は七十年代からマスメディアに盤踞してきた。だから、この度も個人的な発言なのに権力べったりメディアが大喜びで取り上げている。そこで共通していることは、民主主義社会における政治への批判という意味を解っていない人達である。

 だから、権力にすり寄り虎の威を借る狐のようにして「もっとお上品にしなさい」と宣うのだ。



 
 
 
  • twitter

©2020 by 井上靜。Wix.com で作成されました。

bottom of page