top of page

​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 8月11日
  • 読了時間: 3分

 広陵高校野球場の暴力と隠蔽が指弾された。

 部内で悪質な暴力があり、その被害に遭った生徒は転校したが、そんな不祥事があったとなれば甲子園大会に出場できなくなってしまうから、それなのに泣き寝入りせず表沙汰にするなんて生徒も保護者もとんでもないと言って野球部の監督が脅したという。

 このため、広陵高校に対して試合後の握手を拒否した対戦相手の選手もいた。


ree

 これを元プロ野球の広岡達朗(93)が擁護した。

 かなり酷い不祥事とその隠蔽という最悪の行為があった野球部に、それでも出場辞退する必要が無いとし、握手の拒否をやってはならないことだと非難した。そんなスポーツマンらしくない者と握手はもちろん試合もしたくないのが当たり前だから出場辞退するのに、それを解ってない老害発言だと広岡に批判が起きている。時代に取り残された老人は黙ってろ、と。

 かつて管理野球で知られた広岡だが、礼儀は大事だと言って試合中の野次も選手に戒めていたけれど、暴力には甘いということで、これも昭和の価値観ということだろうか。


 そもそも野球を子供にやらせるのが悪い。

 そう言ったのは自分も関わる地元のサッカークラブの役員の男性である。まず、野球は身体を左右不均衡に酷使するから競技そのものが健康に悪いし、そのうえ今どき丸刈り強制などなど野球部には古臭い運動部の体質が残っているのだから、虐めや暴力があって当たり前。だから、そんなものを子供にやらせるのが悪い。

 もう日本中の学校から野球部を無くしてしまえとまで言うと現実的か疑問だが、広陵高校のようなことが発覚したら廃部にして、そうでない野球部だけで健全にやるべきだとは確実に言える。


 高校野球を興業にして利用する新聞社も悪い。

 これはずっと前から言われてきたことだ。夏の甲子園大会と春の選抜、それにプロ野球の巨人。『朝日』『毎日』『読売』の三大全国紙が、野球を利用している。

 これは、日本人に新聞の存在が向いてないからだ。発行部数が異常に多いことが何よりの証拠である。日本の新聞は発行部数が世界一多いけれど、これじゃ新聞じゃないと外国人が言う。そんなに発行部数が多いと、独自の報道や論調が不可能だから。

 しかも、売るために八方美人しているのではなく、横並びで同じ内容を日本人が好むからだ。これでは何よりまず読んでも面白くない。だから新聞が野球に熱心なのだ。論調ではなく地元の応援で競うだけの野球ならお手軽だ。

 だから、もともと報道として不健全だった新聞と、もともとスポーツとして不健全だった野球が、どちらも愛想を尽かされてきたということだ。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 8月11日
  • 読了時間: 3分

更新日:8月27日

 南京大虐殺の映画が話題である。

 この映画は世界各国で上映され、既に知られた史実を改めて認識させているが、日本では上映の見込みがない。日本には今も事件を否定したがる人達がいて、狂信者の暴力と妨害が予想されるからだ。

 もう故人だが、石原慎太郎もたびたび否定する発言をしていた。その内容がずさんなものであることは既に指摘されてるので言うまでもないが、他のことでも石原慎太郎の発言は似たり寄ったりで、かつては水俣病について「偽患者」「知能指数が低い」などと暴言を吐き、結局は謝罪に追い込まれた。ただし、これは石原慎太郎だけの特徴ではない。


ree

 ワクチン接種の薬害を否定する人たちがいる。

 この人たちの論法は、まさに「南京大虐殺はなかった」と言っている人達の手口と実にそっくりである。ところが、南京大虐殺を否定する人たちに対して「歴史修正主義者」という批判をする側の人達でも「ワクチンの被害は無い」「狂言」「陰謀論」などと紋切型の非難をしている頭と性格が極めて悪い人達がいる。そして「参政党と同じだ」」と非難する。右翼が「共産党と同じだ」と言うのと同じことをリベラル左派を自認する人達がやっている。石原慎太郎のような一貫性が無いのだ。

 ここで疑問なのは、この人達はなぜ同じトリックが用いられていることに気づかないのか、という点である。これは物事をどちらの側に立って語るかの「ポジショントーク」をしているだけだから、自ら検証する力が無いのだ。

 だから、そんな人たちは一方で歴史修正主義者を批判していたり大企業や行政に批判的だったりしているのに、そもそも医療や製薬は戦争犯罪に手を染めて大きくなっていた事実や、大企業と行政が癒着して暴利を貪っているから薬害が悲惨な犠牲者を出していた事実に、まるで気づくことができないのだ。


 医療裁判で、医師・病院に雇われた弁護士の論法は「南京大虐殺は無かった」式である。

 これは拙書『防衛医大…』(ホームページ参照)の訴訟でのこと。医師の不適切により患者が高熱を出しているのに、それを医師が上司の医師から指摘されても認めず、適切な処置をしないで患者を苦しめたという事実があったけれど、それを医師に雇われた弁護士は法廷で、高熱の数値が患者の言ったのとカルテに記載されたのとが少し違うこともって、患者の言うことは不正確で信用できないと主張した。

 なにバカなことを言うのか。数値が違っても高熱には変わらないし、上司の医師が指摘もしているし、これに対して後に処置をしている。揚げ足取りにしても御粗末すぎるが、その弁護士としては、ちょうど南京虐殺についての議論でよくあること則ち犠牲者の数の違いをもって虐殺事件の否定をするという滑稽な論法をあくまで押し通した。


 そんな医師に雇われた弁護士の屁理屈は裁判で通用しないに決まっている。

 よほど狂った裁判官でもないと無理である。そんな裁判官もいるから、それを期待してやるのだろうが。

 だが、そういう期待をしていなくても、とにかく患者を貶めることに執心していた。いくらトリックが暴かれて破綻しても平気で同じ話を口汚さだけエスカレートさせて繰り返した。

 これが医療裁判における医師・病院に雇われた弁護士にとって通常のやり方である。たまたま、その質の悪い医師が、それに相応しい質の悪い弁護士を雇った、というだけではないのだ。

 こういう現実を知っている者がたくさんいるのに、医療の業界と行政を妄信する人がいて、そんな人が、リベラルっぽい発言をしているマスコミ人や、利権亡者の厚生族議員ではない野党の議員にすらいる。この人達は解ったふりして何も知らない考えてないということなのである。

 
 
 

 梅村みずほ議員は議会質問で、入管の問題で外国人の死を詐病と言った。

 これを批判されると、詐病とは言ってないと抗弁した。詐病で死亡することはないのに、それを詐病だと言うのは死者を冒涜することだし、いくら入管の問題で隠蔽や正当化をしようとしたにしても酷すぎると言われたので、否定に走ったのだろう。

 それで、詐病とは言ってないと言えば否定できたつもりのようだった。


ree

 その議会での質問で、梅村みずほ議員はなんと言ったのか。

 まあ、詐病だとは言ってなかった。詐病ではない証拠があるかと言っていた。この質問は「悪魔の証明」を求めるものだ。詐病ではないという到底あり得ない証拠を求め、それがないなら詐病になるという意味の質問であった。ということは、結局は詐病だと言ったことになる。

 こういう空々しいことを、前に言ったのは小泉純一郎首相であった。


 イラクに大量破壊兵器は無かった。

 もともと有ることの確認はされてなかった。それなのにブッシュjr大統領はイラクに戦争をしかけた。そのあげく大量破壊兵器は見当たらなかった。この事実を突き付けられて、アメリカを積極支持したことを問い詰められた小泉純一郎首相は、大量破壊兵器が見当たらなかったけれど、無い証明は無いと言ってのけた。

 そうやって自分の過ちを正当化した。それでいて、原発事故があってから「通産省の役人に騙されていた」だから原発は止めようと言い出したので、なら、アメリカ軍が使用した劣化ウラン弾で汚染され深刻な被害が出ているイラクについてどう思うかと質問されたが、これに対して彼は無視を決め込んだ。


ree

 同じ屁理屈を駆使した梅村みずほ議員と小泉純一郎首相ということ。

 それで平気でいられるのが日本の政界である。小泉純一郎首相は引退して息子を後継にし、この息子はパフォーマンスばかり熱心で他にやっていることは無茶苦茶であるし、梅村みずほ議員は維新を追われるように辞めると参政党に鞍替えして議員に返り咲きした。

 ただ、小泉進次郎は親の組織があるから受け継いで当選できるけれど、梅村みずほ議員はあんなに顰蹙を買っていても、そこが良いと積極的に投票した人たちがいるのだ。その中には弁護士もいて、彼女に投票したと公言する人もいる。もともと弁護士の人権意識なんて所詮その程度ではある。

 けれど、それらの事情を割り引いても深刻な日本の民度の低さである。これが政治に反映している。

 
 
 
  • twitter

©2020 by 井上靜。Wix.com で作成されました。

bottom of page