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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 8月16日
  • 読了時間: 3分

 参政党の初鹿野議員が告訴された。

 名誉毀損の疑いで、有罪になれば三年以下の禁固または五十万円以下の罰金となる。この告訴を神奈川県警が受理した。

 初鹿野議員は元警官。SNSに「たくさんの仲間が共産党員により殺害され、殺害方法も残虐であり、いまだに恐怖心が拭えません」と投稿した。これに共産党の神奈川地区委員会が謝罪と撤回を求める抗議文を届けたが回答が無かったので告訴したと同委員会はマスコミの取材に回答した。

 また、参政党神奈川県連の広報担当者は、警察から通知などが無く事実関係を確認が出来ていないと述べたということだ。


 初鹿野議員は、事実に基づいた投稿であるとか言わないから怪しい。

 その内容からすると、初鹿野議員はネット上のいかがわしい情報に便乗したと思われる。そういうのは匿名の無責任なものだから、これに実名で乗るの人はまずいない。それを議員がやらかすのだから、相当のマヌケというべきである。

 もちろん、もと警官で、その程度の投稿をしている人ならいる。しかし際どいところまでにしておく汚い計算をしているのが判る。そういう配慮すらない議員ということだ。

 

 インターネット上の名誉毀損で警察が被害届や告訴状を受理することは乏しい。

 私的な争いであり、そこで下手をすれば、民事介入で警察が違法行為の誹りを受けてしまう。もちろん、政治的な意図から警察が不公正な対応をすることは、普通にある。

 これが逆に共産党が告訴されたなら、警察は大喜びで受理する。自民党が悦ぶからだ。警察は自民党の味方をして、共産党を迫害すると、担当者は昇進・昇給できるし、管轄の選挙区で共産党の得票が増えると警察署が組織の上層部から叱られる。警察は政治的に中立であると決まっているが、それを警察は守らない。

 警察ほど違法行為を堂々とやっている所は他にない。裏金も当たり前。警察を監視する機関が無く、他の公務員と違って労働組合が禁止されているから、不正な業務に個々人が抵抗しにくい。それで国連や国際労働機関から是正の勧告を受け続けている。


 それでも受理されたのは、よほどのことである。

 ただし、それは神奈川県警である。神奈川県警といえば兵庫県警や大阪府警の関東版と言われるほど腐敗の巣窟であった。最近また警官の「パパ活」が問題になり、しかも金を受け取って逃げた女の子を捜査の権限を利用して探す最低最悪の行為まであったが、かつて神奈川県警はインターネットが普及する前に警官の「テレクラ買春」などが問題になっていて、それと同時に他でも色々な不祥事が連発されていた。

 そして政治的にも、共産党の緒方靖男参議院議員宅盗聴事件があった。外国語が得意で八か国語が使えるから、自民党の議員からも通訳を頼まれる緒形議員の電話を盗聴すれば色々な情報が入手できると考えたらしい。


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 これについて緒方議員が訴訟を起こし、その弁護士は横浜法律事務所の人で、この法律事務所にいたのがオウム真理教を追及して殺害された坂本弁護士であった。この法律事務所を警察が目の敵にしていて、あのとき警察が真面目に捜査をしていたら、オウム真理教が増長してサリン事件など殺人にまで発展することは防げたと、オウム真理教事件のさい指摘されていた。

 そして今回も捜査がおざなりになるだろう、絶対に、と予想されている。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 8月15日
  • 読了時間: 2分

 八月十五日は終戦の日ではない。

 もちろん終戦の日は九月二日である。それまで戦争は終わってないから、散発的に戦闘は続いていたし、日本と戦争をしていた国々で終戦の日は九月二日としている。戦争は相手があるから、戦争を終わらせることで相手と合意しなければならない。その合意で日本がポツダム宣言を受諾し無条件降伏の文書に調印したのが九月二日である。これで戦争が終わったのだ。

 ならば八月十五日は何なのか。


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 八月十五日は日本が戦争で勝つことを諦めると発表しただけ。

 だから戦争が終わってない。それなのに、どういうわけか終戦の日と言っているが、実は敗戦の日だ。にもかかわらず靖国神社に参拝する人たちがいる。敗戦の屈辱と無念そして戦争の犠牲者を弔うのではなく、国の為に戦争で命を捧げた英雄を称えると言っている。戦争で負けたのに。それも惨敗であったのに。

 なんで、勝ってもいないのに、英雄を称えるのか。これは日本独特の信仰によるものだ。


 無念の死を遂げた人を神として祭り煽てる習慣が日本に昔からある。

 これは怨念・怨霊を恐れてのことだ。日本人は、殺しておいて、死んだら霊を恐れる。湯島天神の菅原道真や、怪談お岩の亡霊を、祟らないように神として祀る。だったら殺さなければいいのだが、そういう発想にならない日本人の奇妙さである。

 だから靖国神社も、戦争で死んだ人達が祟らないように神として祀っている。もとから英霊とは、戦争で勝つことに貢献した人のことではないのだ。

 

 これだから、日本人は軽々しく戦争を始める。

 そして負けても平気でいる。悲惨な目に遭っても、そこから反省しない。この、宗教というよりオカルト信仰から日本人が脱しないと改まらないのだが、もともと日本人は宗教に関心が乏しいから、自分の社会に昔からある奇妙な信仰に気づかない。

 これが原因で、敗戦の日に、惨敗した戦争で非業の死をとげた同胞を英霊として称えて何か意味があると思い込む。そして戦争と平和という大事な話を真面目に考えることができなくなっているのだ。


 

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 8月13日
  • 読了時間: 4分

 学校の国歌斉唱に拒否を表明した親がいる。

 「君が代は歌いません!」とプラカードを掲げて。時々、各地の学校の卒業式・入学式であることだ。これに対して、生徒・児童のことを考えて無いとか、嫌なら日本から出ていけとか、そういう非難をしている人たちがいる。ネトウヨが悪ふざけで言っているだけではなく、昔から権力に媚びるマスコミ人たちが商売で言ってきた。

 そう言うなら、先ずちゃんとした国歌に変えてからだ。


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 もちろん、外国では、卒業式・入学式なんて無駄なことをやらないことがよくある。

 そういう問題は別にして、『君が代』を国歌にするから、拒否する人たちが出る。拒否してない人でも内心では拒否したい人は大勢いる。蛮勇を発揮する人と、そうでない人の違いがあるだけだ。

 そこには、『君が代』の調子が陰気臭くて嫌だと言う人がいる。これはスポーツ選手に言うがよくいる。政治的なことではなくフィーリングの問題である。

 それより明瞭な問題は歌詞である。


 諸外国には国歌が無い国がある。

 国際的な場で、だいたいは国歌のメロディを演奏している時に、これに相当する音楽を流すよう制定しているわけだ。そういう儀式では必ずしも唄う必要がないのだから、音楽だけあればいい。歌詞があると、内容によって賛否が生じやすい。それを避けることができるから、国歌は無く、儀式の音楽を制定するということだ。

 また、国歌らしくない歌詞の国歌もある。これは、その国の歴史的経緯から、国歌でなかったけれど記念に国歌とした歌である。

 こういうのは例外的と言っていい。


 普通、国歌とはアンセムつまり賛歌である。

 だから、祖国を称えて繁栄を祈り、国民の幸福を願う、という歌詞であるものだ。そういう歌であれば、儀式で唄うことに反発は少ない。それでも拒否するのは、アナーキーな人とか、神ではなく人が作ったものを称えるべきでないとか、そういう人たちである。

 ところが、特定の政治思想に基づいた歌詞の国歌だと、それに反対する人がいて当たり前だ。しかも、封建時代には専制君主を称える国歌が当たり前だったけれど、その国歌を現代になっても維持している国があり、これだから反対や拒否が出る。


 具体的には英国と日本である。

 英国では、北アイルランドとスコットランド分離独立の問題があって、英国の国歌を拒否する人達がいる。スポーツ選手で国歌を唄ってない人は、その事情からである。

 日本なら、沖縄が昔は独立国だったのに侵略併合された歴史があり、今も迫害は続いているから独立論がある。それで拒否する人がいて、日本の他の地域とは違う事情がある。

 しかし、それより、そもそも封建制度の下で専制君主を称える歌がそのまま国歌になっていることで拒否する国民がいることで共通している。専制君主を称える歌の歌詞を変えて国歌にしている国もあるが。

 とにかく、英国でも、王政を廃止し国歌も変えるべきという国民がいる。


 日本は英国に倣っている。

 だから同じ趣旨の国歌だが、日本の憲法は国民が望めば改訂できると規定されている。これは第一条の天皇についても他の条文と同じである。天皇を無くし、議院内閣制をやめて、大統領制にするべきという国民は増えている。政権与党内の派閥による勢力争いで決まる政権だから、政治腐敗が起きて、有権者不在で白け、選挙の投票率が低い、ということは議論の余地もない事実だが、この原因は今の憲法に規定されている議院内閣制であり、そうなっているのは天皇が居るからだ。英国に倣った制度だからだ。

 だから改正するべきだと言う国民がいるのに、天皇が半永久的に存続するよう願う歌詞の歌を国歌にして、学校などで強制して子供の頃から洗脳するということをやっている。こんな国歌は駄目だと言う国民がいて当たり前だし、その意見を表明する権利が憲法で保障されているのに、それを弾圧・迫害しているのが『君が代』である。

 また、もしも、平和と戦争放棄を称える歌詞の国歌だったら。おそらく、平和憲法を否定したい人たちは拒否するだろう。憲法には改訂の規定があること根拠にして。



 『君が代』を国歌にすることも、公教育の場で唄わせることも違憲である。

 ところが昔から、日本だけは君主と国民が一体だとか気持ち悪すぎる屁理屈を言ってなんとか正当化しようとする人がいた。政府だって言ってないことであるし、後付けであるし、事実に反していて説得力が皆無である。

 せめて、普通の国歌すなわち祖国の繁栄を願うなどの歌詞の歌にしてから、それでも批判する国民に文句を言うべきである。 

 
 
 
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