top of page

​炬火 Die Fackel 

 老人は、大資本や公権力に支配されている新聞とテレビを鵜吞みにしている。

 それだけ価値観が古い、という批判や嘲笑をされて、すると、インターネットのようにデマや陰謀論が無いだけマシだ、と言って反論というより単純に反発している老人を見ると、歳はとりたくないと心底から思う。

 今の老人が、まだ老人ではなかった当時、インターネットは無かった。しかし今でいう陰謀論やデマはあった。これは新聞とテレビと雑誌が堂々と流布していた。これを否定するため、正しい情報を提供するならともかく、正しいか否かではなく都合が悪いからと否定するためだけの為にレッテル貼り攻撃することも、新聞とテレビと雑誌の御用記事によって行われていた。


 コロナウイルスの問題でも昔と同じだ。

 それによる急な需要でマスクが足りなくなったら、あちこちで買い漁っている老人たちがいた。この世代の人たちは、かつて石油危機のさいトイレットペーパーが無くなるというデマに踊らされて買い漁っていたものだ。それを若気の至りでメディアリテラシー欠如だったと反省することなく繰り返していた。

 あの石油危機とトイレットペーパーはデマだったが、そこであった便乗値上げと物品隠しが問題になったさい、それで批判された企業を擁護する御用のマスコミがいた。そういうことに、無関心だった人たちが、同じことを繰り返しているのだ。


 他にも例えば関東大震災の時のこと。

 「朝鮮人が井戸に毒を入れた」というデマで自警団が結成され、殺された朝鮮人と、朝鮮人に間違えられて殺された日本人がいたけれど、この時代にはもちろんインターネットなんて想像を絶する時代である。あれは警察官僚が新聞に流した「官製デマ」であった。

 その犠牲者を東京都が追悼してきたのに、今はこの追悼を断固として拒絶する都知事がいる。この他にも都の財産を一部の大企業に提供するなど酷い政策だから、選挙で落そうとすると、対抗する候補者の票を分断するためインターネットで大規模な工作が大金をかけて行われ、これが成功して現職は三選された。

 このように時代によって道具が違うだけのことはたくさんあるし、デマは公的機関からも発せられて、その場合は大規模になるし、中身も悪質である。



 それを解らない老人が、いつの時代にもいる。

 かつて赤ん坊がコインロッカーに捨てられていたという話に「最近の若い女には道徳が無い。昔は子供をコインロッカーに捨てたりしなかった」と言って憤り、ただ昔はコインロッカーが無かっただけで捨て子は昔からあったじゃないかと呆れてられていたものだが、それとインターネットも同じことである。

 そして、コロナウイルスの予防接種を唯々諾々と受ける老人が、マスコミや広報を鵜呑みにして自分で考えてないと指摘されると、話をすりかえて、インターネットのデマや陰謀論にはまるよりマシだと反論している。そのうえで、何度も接種を受けたと自慢げに語りながら、公式発表を素直に受け取っているとか、専門家を信用しているとか、得意になっている。そうやってリテラシーが欠如している自分を正当化したうえで、自分の頭で考えられない自分を欺いてしまっている。


 かつて自分が老人じゃなかった当時と今と比較して本質を見極める能力が無い人は、いつの時代もいるものだけど、今の老人の世代は特に酷すぎるのではないか。

閲覧数:12回0件のコメント

 最近、国家賠償請求訴訟が起こせなくなってきた。

 これは裁判官が起こせないように潰してしまうからだ。例えば、無茶苦茶な補正命令を出して、それに従わないから訴状を却下する。予納郵券を無意味に消費して、足りなくなったから納付せよという補正命令を特別送達してまた郵券の無駄使いをして、期日の時に納付すると言ったら、補正命令に従わないから訴状を却下してしまうなど、ひどいものである。


 法律用語で書かれた訴状を解らないと言ったことも。

 そして、法律家に解らないわけないと指摘したら、解らないので訴状を却下してしまう。そして、解らないなんて裁判官は言っておらず、書記官の女性が言っただけということにする。

 これは、意味不明の場合に却下する権限が裁判官にあることを悪用してのことだ。この意味不明が、なんと本来なら被告の側で説明したり抗弁したりする内容であることがしばしばで、予め被告の国などに便宜を図っているというのが露骨である。

 



 もとは裁判官が判決で国に忖度してきた。

 それで依怙贔屓の訴訟指揮と判決になることが圧倒的に多かった。そうでない裁判官が左遷されてしまったこともある。それでも抵抗を示す裁判官がいて、国側も許容できる範囲で市民の被害を救済することもあったのだ。

 ところが、最初から裁判にならないようにしてしまう。訴えられた側が反論したらボロが出そうで、それを訴えた側が期待していると見ると、訴状が被告に届かないようにするのだ。


 おそらく今時の風潮のためだろう。

 議会で話し合うるのではなく閣議決定で勝手に進めてしまい、質問には答弁拒否、など政治の腐敗が影響しているはずだ。

 この雰囲気に慣れきってしまったから、公的機関に勤務する者たちが恥を恥とも思わなくなってしまったのだろう。

 そんな怠慢に対しては、根気で当たるのが最も効果的である。

閲覧数:18回0件のコメント

 アカデミー賞で話題の映画『ビューティフルマインド』の一場面。

 ラッセル=クロウふんする主人公は、パーティーで偉い人と記念撮影の段に、ジェニファー=コネリーふんする交際相手が、写真ならばと着こなしを注意して直し、これを偉い人が、彼女は良妻になるだろうと褒める。



 これを思い出したのはもちろん石破内閣の記念写真。

 このとき石破首相の服装がなってないから「だらし内閣」と皮肉られていた。これをあとから画像修正したものも流布されたが、すでに元の写真が報道に載っていた。修正は虚偽にもつながるので、危険性が指摘されもした。

 たかが服装だが、首相の人柄の反映と考えることもできる。



 こうなるのは、彼の妻は残念な女性だからであろうと察せられる。

 石破首相の体形を指摘する人がいたけど、それにしても着こなし次第である。これが妻の評価につながる。

 このことから、石破氏が熱望してもなかなか首相になれなかったのは、妻にも原因があると思う。読書好きらしく図書館で知り合ったなんて美談は無意味である。やはり服装は女性の方が気が付くもの。男性は敵わない。特に自民党は体質が古いから内助の功がない人はダメとか言われたはず。表立って言わなくても、 奥さんは何やっているのかと思われることがあって、そんな女性と結婚した男だと評価される。


 それで、今まで熱望しても駄目で、今回は何とかならせてくれたけれど、思うようにやらせてもらえず、今まで唱えたり説いたりしてきたことを就任早々に反故にしてガッカリされたり呆れられたり、ということなのだろう。

閲覧数:23回0件のコメント
bottom of page