top of page

​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 8月27日
  • 読了時間: 3分

 裁判所で涼んだ。

 まだその日の暑さが頂点に達する前に出て、自分の民事裁判より数時間も前に着いたら、安いけれど不味いと昔から評判の裁判所内食道で昼食を済ませ、他の裁判を傍聴した。

 この刑事訴訟の被告は窃盗と詐欺で逮捕されたそうで、眼鏡をかけていて、頭は丸刈りにしている男性だった。そして、この日の法廷は警察の捜査関係者五人の証人尋問が行われた。


 まず検察官が証人たちに勤務先およびその仕事をして何年経ったかと質問する。

 みんな、大阪府警に勤務しており、五年から十年の経験であるので相当に多い数の証拠採集とその鑑定をしていると言う。それぞれ分担しているので、この人数ということだ。

 その人達が、この事件で指紋の採集と鑑定をしているので、それなりに確かであるというのが証人尋問の目的というわけだ。


 その事件とは、八十歳代の女性が自宅にあった複数枚のキャッシュカードを盗まれたというもの。

 この女性宅を訪ねた男性の仕業であると疑われた。自宅のインターホンの押しボタンとキャッシュカードが入っていた封筒から、その女性本人および周囲の関係者の指紋とは違う指紋が検出され、この指紋と被告人の指紋が同一らしいというのだった。

 その鑑定から、指紋の全体は不明だが、一部であっても12箇所の一致があれば先ず間違いなく同一であると看做せるとされていて、(スマートフォンの起動みたいなものか)この点からして検出された指紋と被告人の指紋は同一であるという鑑定結果であるということだった。


 裁判官が質問する。

 インターホンは別の人も触れて指紋が付いているけれど、識別できるのか。これは可能であり、実際に被告人の指紋は、他にも付いていた指紋とは区別できた、という答えであった。

 あと弁護士も、鑑定について簡単な質問をして確認という程度のことをしていた。

 そして被告人は退廷させられると、裁判官と検察官と弁護士とで今後の進行を協議することになり、傍聴人も退廷させられた。


ree

 この裁判官は比較的若い人で真面目そうだった。

 そして被告人に対しても「被告人」とは言わず「○○さん」と呼びかけていた。推定無罪原則だから、これが当たり前である。しかし入退廷の時は警備員二人に挟まれて手錠をかけられ腰縄で繋がれていた。陪審員制度がある国なら、悪い人であると印象付け予断を持たせるということで、そんなことはしてはならない。

 だいたい、必要がない。裁判所から出て護送車に乗るさい、逃げられないようにするならまだ意味があるけれど、裁判所の中で暴れたり逃げたりはほとんど不可能だ。それまでも警戒するにしても、法廷で不特定多数の人の前でやるのは、無用な屈辱感を与えて抗弁する意欲を殺ぐためである。


 そのあと、自分の民事訴訟になった。

 これについては後に報告するが、ここでも裁判官の対応が相変わらずひどかった。相手方が国であるから、こんな場合はいつものことである。

 さて裁判が終わってから他に寄り道などしたので、帰宅するさい日が暮れて、すると敷地内に草むらのある所で虫の音が凄かった。やはり他に歩いている人たちも、急に虫の音が大きく聞こえるようになったと言い、残暑がひどすぎるけれど秋になったことを実感していた。   

 
 
 

 「元自衛隊」と名乗る男が、災害のさい左翼らには給水など拒否すべきと言った。

 左翼らは反自衛隊だからということだ。それが当たり前だと非常識な思い込みをしていた。これが子供なら世間知らずの無知なので許してやれるが、大人では困る。大人になっても解らない自衛官の子供たちを直接に知っているが、まだ若かったので許せるかもしれない。

 これについて知り合いの現役ベテラン自衛官は、親の躾けが悪いからそんな非常識なことを言うのだと指摘した。まだ若いどころか年齢から未成年者の子供でも、親の躾けがよければ、そんなことは言わないはずだ、と言う。


 自衛隊のしていることは政府が決めたことだ。

 これは他のどんな公的機関のすることでも同じことだ。そして、政府を批判するのは国民の権利である。たとえ自衛隊の存在を全否定するとしても、それは民主主義社会における政治への批判であり、その国民の権利を守るのが総ての公的機関にとって責務だから、自衛隊にとっても当然の使命である。

 また、政治が決めたことに当然のことながら自衛隊は従っているのだから、その政治に批判があったからといって自衛隊が気にするのは筋違いで、時には自衛隊の中にいてもその政治への批判に共感することだってある。一緒に声を挙げることは許されないというだけ。


ree

 こんな当たり前のことが解らない人たちがいる。

 もちろん一般的にもいるし、自衛官にもいる。しかし、そんな狭量な自衛官は多くないはずだ。特に難しいことではない常識なのだから。

 なにより自衛隊に批判的な国民だって税金は納めているし、しかもそれなりの理屈をこねる能力がある人は意識や学歴が高くて収入も多い人がいるから、そんな人たちは政治に対して何も批判できない人たちよりは高い税金を納めている。そこから自衛隊も含めた公務員は給料をもらっている。それを考えたら自衛隊を批判する国民は気に食わんとかいう発想するなんて恥ずかしい。自衛隊の世話にはならないので自衛隊の予算分だけ税金を減らすという制度でもあればともかく、そんなことはないのだから。


 逆に、政治の側からのことで、例えば公務員の給与について。

 前に、今ではもう安すぎるから増やそうという提案に対して「公務員が恵まれすぎている」と言って庶民の劣情を刺激し人気取してきた維新の会は、自衛隊員の給与を増やすことにも反対していたけれど、これに対して共産党は、自衛隊員だって公務員なのだから同じように給料を増やすべきだと主張して、その主張が通って自衛隊の給料は増えた、ということがある。

 つまり「それとこれとは別」というわけだ。 

 

 そして、その現役ベテラン自衛官が、なにより重要なことであるとして言った。

 そもそも自衛隊は、災害に付け込んで国民を迫害してやれなんて発想をするような卑怯者の集団ではない、と。

 つまり「反自衛隊の国民を災害のさい対象外にすべき」と言う元自衛隊のオッサンこそ、自衛隊を侮辱しているのだ。しかも自分がいた自衛隊について誇りも気位も持っていない。だから自分が言っていることがどんなに恥ずかしいことかに気づかないのだ。

 

   

 

 
 
 

更新日:8月24日

 映画化で話題の南京大虐殺で思い出した国会議員がいる。

 それは『朝まで生テレビ』という番組の初期。松田九郎という自民党の国会議員が、複数回出ていた。それをたまたま見たことがある。

 その時、アンケートで若い人たちの多くに、戦争になったら逃げると言った人が多かったという話題が出た。これに対して松田九郎は「情けない」と言った。「最近の若い者は」という調子だった。あとは学校教育が悪いというお決まりの話だった。

 こんな話しかできないのか。なんで、政治家として政治の責任を痛感していると言わないのか。政治家が汚職をやったりしていると不信感を持たれて、誰も国のために尽くそうとは思わなくなってしまう。これは昔から言われてきたことだ。それを社交辞令としてさえ言う発想がない松田九郎。


 このあと続けて、辻元清美(後に国会議員)が南京大虐殺を口にした。

 これに松田九郎は、なんで話題に出たのかを無視し、そのときの話題から逸脱して「南京大虐殺」という言葉に反応して「そんなものは無かったのお。何の本で読みましたかあ」と下品な調子で言った。

 これに辻元清美が「南京に行って、生き残った人たちの話を聞きました」と答えたところ、松田九郎は沈黙してしまった。

 これでは、松田九郎こそ何の本で読んだのかと逆に質問されそうだが、そうならなかったのは、松田九郎が本も読んでないことが明らかだったからだ。なんだか「南京大虐殺は無かった」と言っている人がいるという風説を聴いて安易に受け売りしただけだったのだ。

 これは櫻井よしこが産経新聞に書いたというのとは違い、政権与党の国会議員の公言である。場合によっては外交や貿易など経済に悪影響して国益を損なう。そういう自分の立場と責任を松田九郎は全く考えてない。


 そして決定的だったのが農産物輸入の問題。

 松田九郎は「みずほの国」と付け焼刃で安直に言い、日本の農業を保護するべきだから外国から輸入なんてとんでもないと説いた。そこで、農民を失業させてはいけないと言い、農民はスキルが無いから転職できないと事実に反したことまで言ったうえ「農民は筋肉労働しか能がない」と言い放ったのだ。

 まったく、単純作業だと思い込んでいて農業に失礼であり、農民のことも侮辱している。これで松田九郎は票欲しさで農家の人気取りをしているけれど実は日本の農業のことなどまったく考えてないし農業に携わる人達を内心で見下していたことが露呈してしまった。

 こうして松田九郎は次の選挙で落選する。


ree

 松田九郎が死んだら彼と親しい人が言った。

 彼は「酒より色を好んだ」と。いい歳した男が、しかも社会的地位がある人なら、家庭を持って妻子を大事にしているものである。それを酒と同列の欲望としていたということになる。

 そして遊び人という柄ではないし、なによりはっきり言ってブ男でガマガエルを思わせる顔だった。ルッキズムではなく、あれでは地位と金にものを言わせないと無理だということである。

 ほんらいなら、良識ある社会人として健全な家庭生活を営んでいるはずの立場でありながら乱れたことをしていたのだろう。それがしたいだけで国会議員をやっていて、国会議員になっても社会のため国のため国民のために働く気が無く、ただ自分の欲望を満たすため、という人だった。だから国会では野次が専門。せいぜいその程度の能力。

 他にも同じような人はいるだろうが、松田九郎は言動が駄目すぎてバレたということでは稀有な例である。

 
 
 
  • twitter

©2020 by 井上靜。Wix.com で作成されました。

bottom of page