袴田事件で検察が控訴を断念
- 井上靜

- 2024年10月13日
- 読了時間: 3分
更新日:2024年10月13日
再審で無罪となった袴田事件で検察は控訴を断念した。
すでに、控訴しないよう法の専門家たちが声明を発表していた。無駄な控訴で引き伸ばし高齢の袴田氏の名誉回復をしないというのは非人道的であるから。そして検察としても、控訴したところで無罪判決を覆すのは無理そうだと判断したようだ。
それでも控訴を検討していたのは、証拠の捏造が認定されたことで面子に拘っていたから。

証拠の捏造は警察の仕業である。
しかも、捏造や拷問が当たり前の静岡県警である。そんなところに騙されたというのが、検察としては恥だと思っているのだろう。だから、悪いのは警察でも、検察は面子にかけて騙されたことを否定するために、控訴を考えていたはずだ。
これは、警察に対して検察が優越感を持っているからだ。司法試験に受かった法律家であり、体育会系的な警察とはちがって頭が良いのだと自負というか自惚れている。少し前に、ここで、大学の法学部教授で元検察官の歪んだ選民意識について述べたが、これもその一つである。

「おれはだまされないぞ」
いきなりうそぶく検察官が、映画『それでもボクはやってない』に描かれていた。この映画は実際にあったことを監督が取材して脚本を書いている。その一つが、この、送検された被疑者に対して、警察官と違って検察官は優秀だからと強がることだ。それが、優秀だから真実を見抜けるというのではなく、悪いことをしたと決めつけたうえで、それを逃さないと言う。
これは例の元検察官の法学部教授と同じで、歪んだエリート意識で、実は劣等コンプレックスの裏返しである。だから権力をかさに着て市民を迫害して、憂さ晴らしをする。その程度のことをしている自分に気づけない。
そもそも検察が控訴できる制度が間違っている。
アメリカでは、無罪判決になったら、検察から控訴することはできない制度になっている。権力と公費を使っても有罪にできなかったのだから、それに不満で覆そうなんて許されないのだ。
ところが、日本では無罪になっても検察が控訴したうえ、控訴審では必ず強引に有罪とする裁判官が出てきたり、検察官から裁判官に逆転有罪をよろしくと言って馴れ合ったりしている。
これで、明らかに証拠から無罪となった人が逆転判決で刑務所に入れられたり死刑になったりの連続というのが日本の司法の現実である。
そして、この現実は不正義だと言うと、多くの庶民が、偉い人たちが間違うわけがないから犯人に決まっているので殺すべきだと言うのも、日本の現実である。ただし、これについては、先の元検察官の法学部教授も認めていて、そうなってしまうのは庶民がテレビの刑事ドラマに中毒しているからだと言う。犯人を警察が捕まえて総て解決となり、その後の裁判は出てこない。まあ、これは相当の部分で当たっていると思う。



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