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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 7月7日
  • 読了時間: 2分

 「ポッチ 飯」と呼ばれる行為がある。

 これは学校などで、一人ぼっちで弁当を食べることだ。いじめられっ子が、とうとう弁当を食べる場所がなくなってのこと。

 時には、とうてい食事の場所ではない便所の個室で食って、それでもまだ独りぼっちの方がいい、ということだ。


 似たようなことが会社である。

 上司と一緒に食う飯は不味いから、 安くて粗悪でも独りで食うほうまだ美味いということだ。それで、例え高級焼肉を上司が奢ってくれても、まだ吉野家の牛丼を独りで食べる方がいいということになる。

 しかし、高級焼肉と吉牛では、料理の美味しさの絶対値に差がありすぎるから、どんな条件下でも、高級焼肉の方が吉牛なんかよりはるかに美味しい。

 そもそも牛丼なんてジャンクフードである。

 これは、米国人が食べないクズ肉を薄く切って素材本来の味と食感を誤魔化す為に化学調味料で煮込み濃い味で一瞬美味しく感じる料理という日本人の発明である。しかも、どぎつい色まで付いた紅しょうがを乗せる。

 これではパワハラ上司100人より不健康だ。身体に対して精神的ではなく物理的に直接の打撃がある。


 中国人も韓国人も言う。

 よく日本人が自分で言う、日本人の味覚は繊細なる主張は意味不明だ、と。 甘辛い味付けなんて繊細でもなんでもないのだから。これは本来の味を打ち消すものだ。

 おそらく貧困が原因だ。例えば敗戦直後の混乱の時期にあったことだが、米軍基地の残飯を譲り受けて、そこからまだ食べられそうなものを「ごった煮」にして濃い味をつけて、一旦廃棄物として集積されているから使用済みコンドームまで混ざっていたことがあった、なんてもので空腹をしのいだ。そうした貧困から生じた食事だろう。


 いつになったら日本人は目を覚ますのだろうか。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 3月25日
  • 読了時間: 3分

 ノーラン監督の映画で『インセプション』だったはず。

 ある場面で、脅された金持ちが金をくれてやろうとするさい、中の現金より財布が高価だから財布ごとやると言ってる場面があった。中身をいっぱい入れても財布の値段の方が高いという「高級品」があるものだ。

 そんな商品を扱う店で、店員は言う。「高いけど十年は持ちますよ」と。


 自分でもそこそこ高価でオシャレで収納力の優れた財布を持っている。

 だが、しばらくしたら意味が無いと思うようになった。なぜなら買い物のほとんどがバーコード決済で、たまに現金だから。

 これでは財布なんて安物で間に合う。だいたい、安い衣料品の店には鞄と一緒に財布が売ってあるものだ。おそらく革製品のからみだろう。だから靴店も同じだ。ここで買った千円前後のもので充分に間に合う。



 ところが、安い財布に難癖をつける人達がいる。

 例えば、貧乏に見えるとか運気が落ちるとか。しかし、他人が使っている財布をいちいち観察する人はいない。高価な財布やおしゃれなデザインの財布を使っても、人が関心を持つのあくまで金の方である。

 また、金持ちは気にしない。どう見られようと金なら持っているから。風水で金に感謝して入れ物を良くすべきと言うけれど、しょせん金なんて天下の周り物であると思っているし、ほんとうに意味があるのは印刷物ではなく記載された内容の方であるという認識は資本家からマルキストまで共通している。究極において社会と経済が進歩すれば貨幣は無くなるとマルクス経済学では説いていたが、今の時点で、置いといて所有者だけ変わる石で出来た金と同じようにはなってきた。


 高価な財布を見せてスリや強盗に遭いたいのか。

 そう言うのは本当の金持ちである。同様に、ロレックスの腕時計なんか見せびらかすようにして強盗に襲われたいのか、ベンツに乗って当たり屋にぶつかられたいのか、などと金持ちほど言う。

 前に、高級文具なんて売りたい側が推奨しているだけで、使って良い気分になるとしてもあくまでも雰囲気のためである、という話題を取り上げた。むしろ書き味などは百円以下のボールペンの方が良いくらいだ。外見などで気取らずに使いやすさを優先するからだ。

 これと財布も同じである。


 結局、高価な財布の何が良かったか。

 あれは買ったときの気分が良かったのだ。若い女性の店員が「ありがとうございます」と言ったうえ店を出るまで見送りに付いてきてうやうやしくお辞儀をした時が良かったので

あって、使っている時ではない。

 こういうことは他の物でもだいたい同じだろう。



 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2月1日
  • 読了時間: 3分

 贈ってくれた人には悪いが「断捨離」で処分したものがある。

 そのなかに高級筆記用具がある。特にボールペンやシャープペンである。ところが、これについて検索すると、高価な筆記用具にはそれなりの価値があるという話ばかり。

 それらの掲載されているサイトは、どれも売りたい側の意を受けて言っているのが見え見えである。百円前後の筆記用具で充分なのに、無意味に高価な筆記用具を買うなんて愚かだ、と言う声に対して、贈答品に良いとか一生ものであるとか仕事に向き合うため心構えができるとか、非現実的な話ばかりである。

 特に贈答品というのは、自分が金の無駄使いするだけでなく、相手方が有難迷惑するから問題である。


 実際、高価な筆記用具は、贈られても使わなかったことばかり。

 そもそも、売って利益にするための商品だから、値を釣り上げるために性能と関係が無い装飾をしている。これでは使い勝手が良くないのは当たり前である。実に使用感が悪く、書きにくい。

 ちょうど、日本刀と同じである。戦国時代と違って天下太平になると、刀は「ステイタスシンボル」になって非実用的な装飾が施されるようになった。粗製乱造ではないから品質は良いけれど戦争には向いてない。

 これと同じことである。イーメールが主になって筆記用具を使うことが劇的に減ったので、業界ととしては非実用的で高価な筆記用具の販売に力を入れるのだろう。



 弘法は筆を選ばずと言う。

 それどころか、むしろ安い筆記用具のほうが高価な筆記用具より本来の性能が良いから、字も綺麗に書けるのだ。高級筆記用具は見た目の高級感や持ったさいの重厚感が優先されているのに対し、安価な筆記用具は持ちやすく書きやすいことを優先にしている。だから当たり前のことである。

 これは自動車に似ている。


 高級車は売るためのものである。

 だから本当の金持ちは買わないと言う。頑丈さを売りにする自動車もあるが、それを売りにするのは時代遅れで、安全性ならシートベルトやエアバッグの装備がきちんとしているかの方が意味が大きい。だから、自動車の業者は金持ちから金をふんだくろうとして高級車を売るけれど、それを金持ちの多くは見抜いているのでカモになることはない。カモになるのは見栄を張る人である。

 これと高価な筆記用具は同じことである。外見を気にして持ちやすさを犠牲にしている。それに対して安い筆記用具は、見栄えは良くないけれど滑り止めのゴムが付いていたりで、その方が綺麗な字を書けて疲れない。 

 そういうことである。これは他の様様な道具にも言えることだ。

 
 
 
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