top of page

​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 3月25日
  • 読了時間: 3分

 ノーラン監督の映画で『インセプション』だったはず。

 ある場面で、脅された金持ちが金をくれてやろうとするさい、中の現金より財布が高価だから財布ごとやると言ってる場面があった。中身をいっぱい入れても財布の値段の方が高いという「高級品」があるものだ。

 そんな商品を扱う店で、店員は言う。「高いけど十年は持ちますよ」と。


 自分でもそこそこ高価でオシャレで収納力の優れた財布を持っている。

 だが、しばらくしたら意味が無いと思うようになった。なぜなら買い物のほとんどがバーコード決済で、たまに現金だから。

 これでは財布なんて安物で間に合う。だいたい、安い衣料品の店には鞄と一緒に財布が売ってあるものだ。おそらく革製品のからみだろう。だから靴店も同じだ。ここで買った千円前後のもので充分に間に合う。



 ところが、安い財布に難癖をつける人達がいる。

 例えば、貧乏に見えるとか運気が落ちるとか。しかし、他人が使っている財布をいちいち観察する人はいない。高価な財布やおしゃれなデザインの財布を使っても、人が関心を持つのあくまで金の方である。

 また、金持ちは気にしない。どう見られようと金なら持っているから。風水で金に感謝して入れ物を良くすべきと言うけれど、しょせん金なんて天下の周り物であると思っているし、ほんとうに意味があるのは印刷物ではなく記載された内容の方であるという認識は資本家からマルキストまで共通している。究極において社会と経済が進歩すれば貨幣は無くなるとマルクス経済学では説いていたが、今の時点で、置いといて所有者だけ変わる石で出来た金と同じようにはなってきた。


 高価な財布を見せてスリや強盗に遭いたいのか。

 そう言うのは本当の金持ちである。同様に、ロレックスの腕時計なんか見せびらかすようにして強盗に襲われたいのか、ベンツに乗って当たり屋にぶつかられたいのか、などと金持ちほど言う。

 前に、高級文具なんて売りたい側が推奨しているだけで、使って良い気分になるとしてもあくまでも雰囲気のためである、という話題を取り上げた。むしろ書き味などは百円以下のボールペンの方が良いくらいだ。外見などで気取らずに使いやすさを優先するからだ。

 これと財布も同じである。


 結局、高価な財布の何が良かったか。

 あれは買ったときの気分が良かったのだ。若い女性の店員が「ありがとうございます」と言ったうえ店を出るまで見送りに付いてきてうやうやしくお辞儀をした時が良かったので

あって、使っている時ではない。

 こういうことは他の物でもだいたい同じだろう。



 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2月1日
  • 読了時間: 3分

 贈ってくれた人には悪いが「断捨離」で処分したものがある。

 そのなかに高級筆記用具がある。特にボールペンやシャープペンである。ところが、これについて検索すると、高価な筆記用具にはそれなりの価値があるという話ばかり。

 それらの掲載されているサイトは、どれも売りたい側の意を受けて言っているのが見え見えである。百円前後の筆記用具で充分なのに、無意味に高価な筆記用具を買うなんて愚かだ、と言う声に対して、贈答品に良いとか一生ものであるとか仕事に向き合うため心構えができるとか、非現実的な話ばかりである。

 特に贈答品というのは、自分が金の無駄使いするだけでなく、相手方が有難迷惑するから問題である。


 実際、高価な筆記用具は、贈られても使わなかったことばかり。

 そもそも、売って利益にするための商品だから、値を釣り上げるために性能と関係が無い装飾をしている。これでは使い勝手が良くないのは当たり前である。実に使用感が悪く、書きにくい。

 ちょうど、日本刀と同じである。戦国時代と違って天下太平になると、刀は「ステイタスシンボル」になって非実用的な装飾が施されるようになった。粗製乱造ではないから品質は良いけれど戦争には向いてない。

 これと同じことである。イーメールが主になって筆記用具を使うことが劇的に減ったので、業界ととしては非実用的で高価な筆記用具の販売に力を入れるのだろう。



 弘法は筆を選ばずと言う。

 それどころか、むしろ安い筆記用具のほうが高価な筆記用具より本来の性能が良いから、字も綺麗に書けるのだ。高級筆記用具は見た目の高級感や持ったさいの重厚感が優先されているのに対し、安価な筆記用具は持ちやすく書きやすいことを優先にしている。だから当たり前のことである。

 これは自動車に似ている。


 高級車は売るためのものである。

 だから本当の金持ちは買わないと言う。頑丈さを売りにする自動車もあるが、それを売りにするのは時代遅れで、安全性ならシートベルトやエアバッグの装備がきちんとしているかの方が意味が大きい。だから、自動車の業者は金持ちから金をふんだくろうとして高級車を売るけれど、それを金持ちの多くは見抜いているのでカモになることはない。カモになるのは見栄を張る人である。

 これと高価な筆記用具は同じことである。外見を気にして持ちやすさを犠牲にしている。それに対して安い筆記用具は、見栄えは良くないけれど滑り止めのゴムが付いていたりで、その方が綺麗な字を書けて疲れない。 

 そういうことである。これは他の様様な道具にも言えることだ。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 1月29日
  • 読了時間: 5分

更新日:1月30日

 「断捨離」とか「捨て活」とか言うのが流行っている。

 周囲を取り囲む持ち物は必要最小限という「ミニマリスト」というのも居て、インフルエンサーの一種として発信している。こうなるわけの一つは、かつて昭和時代といわれる時期に、自宅に物がぎゅうぎゅう詰めが当たり前で、なんでもいいから物を持っているのが不安を紛らわせる、という価値観が幅を効かせていたから、このことに対するアンチテーゼである。

 ただ、あの当時でも、豊かな家は整然としていて、貧しい家は乱雑というのが、よくあったことだった。それは高収入の人ほど広い家だから片付いていて低所得者は家が狭いから片付かない、と思われがちだったけれど、そうではなく貧乏症の人は無用な物を抱え込むだけだということが昔から指摘され言われていた。


 このことはテレビのドラマやアニメにも描かれていた。

 これは70年代あたりからだ。ここで例えば主人公の母親が、空き瓶でも何でもかんでも全く具体性が無い目的でとっておくから、無用なガラクタが自宅内に溜まってしまい、それで小学生の主人公が母親に、用もないものは邪魔になるだけだと注意しても、母親は「でも、もしかしたらいつか使うかもしれない」と言って仕舞い込むから、使いもしない物で戸棚そのほか収納の場が無駄になったまま、という話があって、これをテレビを見た人たちは実際によくあることだと言って笑っていたものだ。そういう「いつか使える」の「いつか」は永遠に来ないと言われている。

 また、この他にも現実として、今は知らないが昔は、よく、壊れたりで使えなくなったから捨てると、それを母親がゴミ箱から摘み出して「まだ使える」と子供に押し付け、では何にどう使うのかと訊いても回答がなく、まだ使える気がなんとなくするということでしかない、ということがよくあったのだ。これは貧乏性であることや、物を大切にする気はあってもどうするのか工夫などをする知恵がさっぱり無いという滑稽なことだった。



 余計なものを処分すれは運気が上がるとも言う。

 それは精神的な影響だが、オカルト的に言いたがる人もいる。それで、よく風水を引き合いに出したりするわけだ。

 ところが、無用な物や気に入らない物は勿体ないと言わず処分するべきで、そうすれば気分がさっぱりするだけでなく運気が良くなると言っている人達がいるけど、その最たる神棚と仏壇を捨ててしまえば幸せになれるという明々白々な事実を説く人が見当たらない。何年も放置した札などを神社で「お炊き上げ」してもらい気持ちにメリハリをつけろとは言う人ならいるが。

 そもそも神棚と仏壇そのものが無意味で無駄なのに、おそらく狂信者の反発を恐れているのだろう。神棚と仏壇なんて捨ててしまえば幸せになれるし、お焚き上げも塩で浄める必要も一切なく、ただのゴミとして捨てればいいだけのことであるから実に簡単だ。守るべきは各自治体で決められた分別だけだ。ガラクタを「いつか使える」と抱えこんでも「いつかは」は永遠に来ないのと同じで、ご利益なんて無い。過去に在ったことが全く無いのだから、今後も未来永劫無い。木の箱に呪文みたいな字を書いた木片を入れて、それに向かって手を合わせると良いことがあるなら楽でいい。世界から戦争も貧困も無くなる。でも、そんなこと無い。  また、どんなに神棚と仏壇を粗末にしようとバチが当たることだけは絶対にない。当たり前である、神も仏も存在しないのだから。もしも神仏が実在し、悪いことした人に罰を与えるとしたら、空っぽの木の箱に神仏が入っているという詐欺で金儲けしている人たちに対してだろう。


 神や仏が存在すると言っている人たちは、それを商売にして嘘ついている。

 もしも本気なら、ただの妄想である。そんな人は絶対に統合失調症である。このことはとっくに証明されている。どんな宗教でも、ほんとうの信仰心とは宗教の基礎となっている思想と哲学であり、売っている商品は全く関係ない。あとは思想と哲学から発生した歴史的な芸術品に価値があるだけで、その貧弱な贋作が神社仏閣で販売されている下らない土産物の商品なのである。

 そして最悪の金儲けが神棚と仏壇であり、統一協会が売る呪いの壺と同じである。買うだけ金の無駄であり、そんなものを持っているのはナンセンスであるだけでなく精神に対して損害である。家賃や固定資産税のため住居の空間は有料であり、それをガラクタ置き場と化し無駄にしたうえ美観まで損ね、権力と癒着した宗教が支配に利用するため産土神やら檀家やらに囲い込み奴隷根性を植え付けて人の健全な精神を蝕むための道具が神棚と仏壇である。

 

 こんな汚らわしい物に拘泥するのは、まず暴力団である。

 それ以外の人も田舎の会社経営者などなんらかの形でヤクザな人たちである。警察署にも神棚があるけれど、これは警察が桜の代紋を掲げた全国最大の組織であるからで、だから政教分離原則違反を平気でしているし、腐敗堕落の巣窟なのが実態だ。

 そうした品性下劣な人たちと違う自分は、くだらない形式にこだわらず、信仰心なら内に秘めたうえで実践するのだと肝に銘じれば、精神が浄められることだけは確かである。もしも神仏が存在したら、神棚と仏壇は止せ、そんなもの信仰とは関係ない、信仰を装うだけのものだ、と言うだろう。言わないのは神も仏も存在しないからだ。だから断捨離するなら真っ先に神棚と仏壇を捨てなさい。それも自治体の分別に従い只のゴミとして。


 

 
 
 
  • twitter

©2020 by 井上靜。Wix.com で作成されました。

bottom of page