江南ストリートピアノ設置者が顰蹙を買った。
誰でも弾いてよいピアノで、つっかえてばかりいる人達のため、設置してあるフードコートの客から苦情があるので、練習は自宅でやって、つっかえずに弾けるようになってから来て欲しい、という声明を発表し、それが守られなければピアノを撤去すると言うことだった。
これでは上手な人たちに無報酬で演奏させたいと言うも同然の図々しい話だから、さっさと撤去したらいいという声が上がっていた。

長時間の使用は遠慮するように言えば良かった。
それなら、練習は出来なくなる。また、一曲なら時間は短い。それが真摯であるならヘタクソでも頑張って一曲通して弾けば拍手も起きるはずである。
これを言ったうえで、弾き始めたら、つっかえてもいいから最後まで弾くよう頑張ってください、途中で止めると聴いている人が中途半端な感じに不快感を持つことが実際にありましたので、どうかよろしく、と。
練習するピアノは別の問題だ。
あの高橋悠治さんは、プロの演奏家だけど自宅にピアノが無く、公共の場で練習していることを誇っていた。学校などで、誰でも練習できるよう一緒に開放するべきではないか。
自分の小さいころ、住んでいた東京都内の街では、近所に芸術家や学者など「文化人」が多く住んでいて、うちのように親の勤め先の社宅住まいでピアノが置けないところの子供が興味を持つと快く使わせてくれたものだ。
それが埼玉県に引っ越したら、そういうことが出来なくなってしまった。自宅にピアノがある家は、うちの子と他所の子の差をつけたいから、持っていない家の子に使わせてなどくれないのだ。何から何まで「さもしい」土地柄だった。
江南ストリートピアノの一件も、設置者が「さもしい」感じがする。