top of page

​炬火 Die Fackel 

 高市早苗首相と河瀨直美監督は同じ奈良県の出だ。

 この二人は同郷であるゆえ、そっくりな発想と行動をする。あの地方すなわち兵庫と奈良と大阪は、突出しておかしな政治家の産地といわれ、これには一つの理由があると指摘されている。

 それは宗教ということらしい。どういうことだろうか。


 その宗教とは、統一教会とか創価学会ではない。

 また、天理教でも弁天宗でもない。 生長の家であり、この生長の家を産み育ててしまう文化的土壌が、そんな政治家を輩出させているらしい。つまり、右翼宗教の代表的な生長の家が活発になる土地柄ということだ。

 どうしてか。生長の家はオカルトやスピリチュアルの体質をもつ宗教であり、このような団体はファッショであるのが相場だ。



 河瀬直美監督の映画とも共通している。

 あの監督の映画は、代表作で奈良が舞台の『殯の森』など、ことごとくオカルトというかスピリチュアルというかの土壌の上に構築されている。

 そして監督自身が奈良県の出である。だから映画の舞台にしていて、その土地柄は、映画の題名のとおりオカルトやスピリチュアルの発生しやすいおどろおどろしい森があり、人里は地方というより田舎であり、その人間関係が実に窮屈だからパワハラも発生しやすい。


 高市首相の太田光に対する威圧的な態度はパワハラだった。

 テレビで気に入らない質問をしてきたタレントに対して、高市首相は関西弁を喋り出した。対人関係のツールを変え、支配と被支配どちらかの人間関係しかない田舎の人がやる対応をした。

 河瀨監督の演出のさいのパワハラも有名だ。田舎DV的な支配の手法をとって周囲を自分に服従させていることは周知のとおり。

 だから、高市早苗と河瀨直美は、奈良県の出で、おどろおどろしいスピリチュアルと威圧的なパワハラの支配する田舎ということで、行動が共通するのだろう。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2月3日
  • 読了時間: 3分

更新日:2月5日

 長谷川和彦監督が亡くなった。

 80歳だったが、もともと外見と雰囲気が実際の年齢より若い感じがする人だったので、そんな歳だったのかと思ってしまう。また屈強な人で、殺そうとしても死なないような感じがしたから、訃報に実感が無い。

 その映画については、すでに色々な人たちが色々と語っているので、それ以外の話を、ここではする。


 『太陽を盗んだ男』のカメオ出演場面。




 『朝まで生テレビ』に、長谷川和彦は一度だけ出ていた。

 ここでスタジオに来ていた右翼学生たちと問答になって、そのさい穏やかな物腰だが威圧感があるので右翼学生たちが押されて黙っしまった、という場面があった。

 この直後、テレビでビートたけしの番組に出たさい、たけしが怖がっていた。「映画監督が出るというから、大島渚じゃなきゃいいと言ったけれど、おっかねえ」と。


 『朝まで生テレビ』で、舛添要一(当時、東大助教授)が、長谷川和彦の反権力姿勢に対して言った。

 ソ連に侵略されたら「自由に映画が作れなくなっちゃうよ」と。そう言って、なんてことはない、自民党と日本の体制に媚びたのだ。だから同席していた大島渚が激怒し「日本だって自由に映画作れない」と言った。

 周知のとおり、大島は若い頃に映画の内容のため何度も権力から迫害されてきた。


 また、舛添要一は自分の学歴まで自慢していた。

 これは大島渚が京大卒であることに対し、舛添は東大卒だと言ったのだった。大島は、今でこそ芸能の仕事をしているが、もとは京都大学で政治学を専攻していたと言ったのだ。なのに、自分は東大だと言ったところで何の意味があるのか。

 そして、この時の話題は「愛国心」だった。なのに舛添は、それを体制に媚び諂うことだと勘違いして発言していた。これでは、高学歴でも優等生ではなく、ただ田舎から出てきたガリ勉にすぎない。


 長谷川和彦は東大を卒業の目前で退学していた。

 映画会社にエグゼクティブで入社して監督になるなら大学を出ないと不利どころか無理で、なるべく一流大学であることだと、東映に勤めている親戚に言われたから、それまで不熱心だった受験勉強を、三年の最後の二か月間に集中して猛然と実行し、現役で受かったから学校の教師も同級生も驚いたそうだ。

 しかし卒業する時には映画会社が不況のため人を募集しておらず、そのため今村昌平監督のプロダクションで働き始めて、もう映画界に入ったから大学卒業の意味が無いということで、あとは卒論を書くだけだったけれど退学してしまったそうだ。

 

 このような、上記の大学を巡っての話も面白かった。

 だから、訃報に接して思うことが多い。Twitterで詳しく話していたからフォローされていたけれど、実は大宅壮一文庫に「長谷川和彦」の項目があったので、それで知ったことが多かった。マーチンスコセッシやシルベスタースタローンとも対談していた。

 だから知っていたことが他の人たちより多かったのだが、なんで詳しいのかと思われたらしい。ところが更新されなくなっていて、そこで訃報という次第だった。今も信じられないが。



 拙書『宇宙戦艦ヤマト…』https://amzn.asia/d/0fYE3KbN 


 ここでは『太陽を盗んだ男』の直後に『ヤマトよ永遠に』があり、そこで西崎義展が説いていたこととの関係に言及していた。

 

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2025年11月12日
  • 読了時間: 2分

更新日:2025年11月16日

 仲代達矢が亡くなった。

 彼は夫婦で俳優養成所を営んでいた。これは意欲と才能がありそうな人に無報酬で演技を教えていて、夫妻に子供がいないから弟子たちが代わりだと言っていた。ここから役所広司などが輩出された。

 それで最初に教えるのは歩き方だった。特に踵のある靴を履いてフラフラせずに歩くことを練習する。



 これは仲代達矢が新人の時『七人の侍』にワンカットだけ出た場面で、ただ侍が歩いているだけなのに黒澤明監督からダメ出しをされ、映るのは1秒程度なのに撮るのに半日もかかった、という体験があったからだ。

 なんで歩くだけなのにダメなのかと思ったが、腰が据わってなかったからダメということだった。それを自分でも気づいたから俳優は先ずちゃんと歩行できないといけないということになった。


 さて、かつて十代のころにバイトでテレビの裏方をしていた話をした。

 詳しくはこちらのリンクから参照のこと。

 


 この中で、結婚式場の場面で歩くだけの仕事をした。

 これは俳優ではなくエキストラである。新郎新婦が歩く場面の後姿だったが、花嫁はモデルクラブから動員された女性で背が高かったから、それより少し背が高い男性が良いということだけど、居合わせたのは背の低い男性ばかりだった。それでその場で唯一背が高いということで急遽、裏方なのに衣装を来て並んで歩く撮影をしたのだ。

 そのとき十代だったから、衣装を着ると周囲から「可愛い花婿さんだ」と揶揄われた。しかし後姿だから構わなかった。花嫁役は顔が映るかもしれないので入念に化粧していたけれど後姿だけだった。

 


 その時の歩き方が問題だった。

 テレビで放送されたのを見たら、自分の歩き方がなってないのに驚いた。足の動きの左右が違い、片方だけ足のウラが一瞬見えたりもした。

 これに対して、花嫁の役はモデルクラブの人だけに歩き方を練習しているから、とてもきちんとしていて綺麗な歩行だった。どちらも顔は映らなかったが、この違いである。

 ほんとうに恥ずかしかった。


 そんな、今は昔の十代の時のことを、仲代達矢の訃報で思い出した。


 
 
 
  • twitter

©2020 by 井上靜。Wix.com で作成されました。

bottom of page