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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 4月19日
  • 読了時間: 3分

 『ガンダム』生みの親である富野由悠季が語った。

 このSFアニメ映画は、戦争について、けっこう生々しい現実を描いたところがあるけれど、それを子供むけのアニメ映画でやったのは子供が見た方が影響があると考えたからで、ところが見て育った人たちの中から改憲論者が出てくるのはつらく、これは自分が失敗したせいだ、という趣旨の発言を繰り返している。

 この話題は、あの「オタクによる反戦平和デモ」と絡めて引き合いに出されている。


 これについて、受け手の側に問題があると言う人たちがいる。

 そう言う人がいるのも解かる。それは自分の同級生であった。彼はマンガとアニメが大好きで、コミケにも行くし、『ガンダム』も大好きで、その作画を担当している安彦良和と偶然に出くわして声をかけてサインしてもらったことがある。仕事場が沿線にある西武新宿線でのことだったそうだが、そのサインを見せてもらった。「サインだけで良いかな」「じゃあ、お言葉に甘えて」と言ってアリオンを書いてもらったということだ。

 しかし、彼は富野由悠季が残念がる人そのものである。


 その同級生はSFにドラマやテーマなんて無関係と言う。

 だから、ガンダムに影響したハインラインの『スターシップトゥルーパーズ』についても、逆にというか戦争賛美の軍国主義SFなのに共感せず、なぜならテーマなんてどうでもいいことだと言っていた。

 そんな彼は次第にアニメよりもビデオゲームの方に傾倒して行った。これは彼だけではなかった。だからなのだろう。富野由悠季が次に手掛けたSFアニメ『イデオン』にも戦争風刺があったけれど、なのに音楽は何故あの人なのかという疑問を呈する人がいるけれど、あの作曲家は当時アニメの音楽もよくやっていて、ウヨったのは後になってからで、ドラマを求めないオタクが増加したので例のビデオゲームの音楽を作り、インターネットが登場すると「にちゃんねらー」の「ウヨ厨房」(ネトウヨの前身)となったことを公言したのであり、つまり信念ではなく商売で時勢に迎合したのだ。もともとそんな作曲家であったから、むしろ当然のことだった。



 それでも富野由悠季の失敗には変わりない。

 よく自分がアニメファンから非難されるのは『ガンダム』が失敗作だと言うからだ。もちろん商業的には成功したがドラマとテーマは破綻している。それは途中から「ニュータイプ」なんて概念を持ち込んだからだ。

 これは他でもない富野由悠季が、止めておけばよかったと明言したし、安彦良和は「選民思想」だと指摘し批判したけど、それ以上にドラマを決着するため「ニュータイプ」なんていうオカルトめいた題材でもってテーマを解決したからプロットが崩壊し、これによって反戦は中途で放り出されたのだ。


 ところが、ニュータイプがあるからガンダムは良いのだと言われる。

 これは熱狂的なファンほど言うことだ。そんな人はファシズムと親和性がある。富野由悠季も安彦良和もニュータイプを否定している事実があるにも関わらず、ガンダムを大好きで観ているのにウヨってる人たちは、選民思想こそガンダムの真髄であると信じている。これではファッショ化も必然的であり、これは同時にオタクによくある妄想でもある。これだから彼ら(彼女ら)は、ニュータイプなんてのはシリアスな作風を壊しているという指摘に猛反発するのだ。

 その意味で、やはり『ガンダム』は失敗作であり、だから作者のメッセージが伝わらなかったのは受け手の問題だけではなく作品に難があったということである。 

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 3月19日
  • 読了時間: 2分

 オタクを自認する高橋裕行氏が呼びかけた反戦デモ。

 彼はスーツアクターのバイトもしたことがあるらしい。もとは、過日「石ノ森章太郎先生がご存命だったら高市政権を許さないと思う」というSNS投稿から大論争を巻き起こしたことだった。

 そのうえで、「石ノ森先生や手塚先生が今の日本政府を支持するとはとても思わない」とし「漫画やアニメや特撮を通して確実に反戦を学んだ」「今、日本が戦争へ向かおうとしている瀬戸際で先人達の意志を継ぎ、大きな声で戦争反対を叫ぶことは決して無意味ではないと思う」

 などと述べた。


 また「日本の80年間の平和の中で築かれた豊かな文化」とも。

 そして、これを「失わせるわけにはいかない」と。「僕らは軍事力ではなく、文化の力で世界に平和をもたらす。それこそが僕達を育ててくれた漫画やアニメ、特撮に対する恩返しではないだろうか。オタクの同志達よ。手を繋ごう。そして誰にはばかることなく平和を訴えよう」と呼びかけたのだ。

 もともとオタクにはネトウヨが目立つ。しかし、これは上辺しか見ていない人たちである。その発信の内容から容易に判る。



 ところで、過日亡くなった山際永三監督は特撮物も多く手掛けた。

 そういう子供むけをやるようになった事情の一つに刑事物が嫌いだったからだと言っていた。テレビの劇映画・テレビドラマには御三家の分野がある。時代劇と刑事ものと子ども向けである。時代劇は主に京都の撮影所で作っていたから、東京で仕事していたのでやらなかった。刑事ものは避けていた。残るは子ども向け。そういう事情がまずあったという。

 そして、特撮物も含めた子供向けはどんな内容であっても要するに「弱いものいじめは駄目」という主張なのに、刑事物は権力が正義という図式だから、ということだった。


 たしかに子供向けこそ倫理的だ。

 だから、子供向けのマンガ・アニメ・特撮を鑑賞していて、そのドラマに感動すれば、戦争反対になるのが自然なことであると充分に言える。

 だから高橋氏の呼びかけに賛同が多いのだろう。




 
 
 

 高市早苗首相と河瀨直美監督は同じ奈良県の出だ。

 この二人は同郷であるゆえ、そっくりな発想と行動をする。あの地方すなわち兵庫と奈良と大阪は、突出しておかしな政治家の産地といわれ、これには一つの理由があると指摘されている。

 それは宗教ということらしい。どういうことだろうか。


 その宗教とは、統一教会とか創価学会ではない。

 また、天理教でも弁天宗でもない。 生長の家であり、この生長の家を産み育ててしまう文化的土壌が、そんな政治家を輩出させているらしい。つまり、右翼宗教の代表的な生長の家が活発になる土地柄ということだ。

 どうしてか。生長の家はオカルトやスピリチュアルの体質をもつ宗教であり、このような団体はファッショであるのが相場だ。



 河瀬直美監督の映画とも共通している。

 あの監督の映画は、代表作で奈良が舞台の『殯の森』など、ことごとくオカルトというかスピリチュアルというかの土壌の上に構築されている。

 そして監督自身が奈良県の出である。だから映画の舞台にしていて、その土地柄は、映画の題名のとおりオカルトやスピリチュアルの発生しやすいおどろおどろしい森があり、人里は地方というより田舎であり、その人間関係が実に窮屈だからパワハラも発生しやすい。


 高市首相の太田光に対する威圧的な態度はパワハラだった。

 テレビで気に入らない質問をしてきたタレントに対して、高市首相は関西弁を喋り出した。対人関係のツールを変え、支配と被支配どちらかの人間関係しかない田舎の人がやる対応をした。

 河瀨監督の演出のさいのパワハラも有名だ。田舎DV的な支配の手法をとって周囲を自分に服従させていることは周知のとおり。

 だから、高市早苗と河瀨直美は、奈良県の出で、おどろおどろしいスピリチュアルと威圧的なパワハラの支配する田舎ということで、行動が共通するのだろう。

 
 
 
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