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​炬火 Die Fackel 

 田島陽子もと参議院議員がネット番組で発言した。

 「『妻』という呼ばれ方でいいのか?」というテーマで「妻って変な言葉だよね。刺身の“ツマ”で、何かの端っこみたい」と指摘したうえで、「人間の旦那の相手を妻と呼ぶのは失礼、腹立たしい」「これは法律で変えていかないといけない」などと語った。


 これにケチをつけたのがタレントの猪狩ともか。

 この人はアイドルユニット「仮面女子」のメンバーで車いすユーザーと紹介されている。彼女は自身のバツ(エックスとも言う旧ツイッター)で「いい加減こういう言葉狩りやめませんか?普通に『妻』で良くないですか?」と投稿し、これが一部で「反論」と報じられた。


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 言葉ということでは、法律を改訂するべきだと元議員は言った。

 これは当たり前のことである。法律では言葉を正確に使用しなければならない。そして現代の日本の法制度では、婚姻について両性の平等を謳っている。ところが今の婚姻届は記入欄に「夫」「妻」と記載されていて、片方を添え物とする表現になっている。

 これだから、「失礼」「腹立たしい」としたうえで、法律を変えないといけないという指摘である。俗に軽く発した言葉に細かいことで非難を浴びせることを「言葉狩り」と言うことがあるけれど、それとは明らかに違う。


 つまり猪狩は田島の発言の趣旨を正確に捉えていない。

 だから、言葉を正しくしないと法律的に問題であるという指摘に対し、「普通」に従来のままでいいと的外れなケチをつけたのだ。

 これでは真面目な問題提起に対する「真面目狩り」「問題提起狩り」である。こういうことをする人は他にもいて、それは常に通俗的で時代遅れな「普通」を掲げて改善を妨げるから、とても迷惑なのだ。芸能人の無知だけでは済まされない。


 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 7月18日
  • 読了時間: 3分

 「おれたち、ごはん党。カッコ悪いなんて言うなよ」

 と、世良公則が飯を持った碗を持って言うテレビのCМがあった。一緒にバックバンドの連中もいた。78年の放送だったはずだ。また、ホームビデオの普及がまだ始まったばかりの時代だったためか、動画サイトに投稿も無かった。

 それくらい昔のことだった。世良公則が人気歌手だったのは。


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 もちろん、芸能人が宣伝に出るのはイメージだけのこと。

 だから世良公則らが米飯を好んでいるかは別である。そのCМは、米が生産過剰と食生活の変化による「米離れ」で消費減となったことから減反の連続となっていた時期だった。

 そこで、もっと米飯を食べようという啓発のCМが放送され、この当時ちょうどヒット曲を連発して人気が出ていた世良公則とバックバンドが起用されたのだった。

 その後、そのバックバンドの「ツイスト」のメンバーたちは中心人物が薬物使用の事件を起こすなど何かと荒れているというか悲惨というかだった

 

 だぶついた米を消費するため、学校給食で米飯が導入されるようになってもいた。

 それまでは、米飯よりパンの方が栄養的に優れているとして給食でパンを無理強いしていたのに。パンを子供に食べさせるのは、あのヤマザキのコンテナで金髪白人の子供がパンを頬張る図柄が示すとおり、アメリカ式の生活が良いのだという刷り込みであり、実はアメリカが余った小麦の在庫処分のため敗戦により従属国となった日本に押し付けたという次第で、まさにアメリカの陰謀だった。

 これを今さら問題にしているのが参政党だが、この党は問題提起は尤もだけど続けて必ず無茶苦茶なことを言ってばかり。メロンパンが毒とか。そこで日本人を優先にしろとか本気で訴えたければ、麦ではなく米にしろと言うより米軍基地の問題を語れはいいはずだ。それなのに、強い相手には何も言えず、ただ外国人排斥を煽っている。


 そしてカッコ悪いのが世良公則である。

 それよりもっと歌手としても俳優としてもキャリアがある沢田研二は、社会に対して発言すると同時に、自分では選挙に出ず山本太郎を応援していた。沢田研二としては、自分が政治家になるには年齢的に遅いけれど、山本太郎はまだ年齢三十代なので、これから政治家として力をつけて行けると言うことだった。山本太郎をどう評価するかは別にして、誰だって議員を俄かにやれるとは思ってないということだろう。

 では世良公則ならどうなのか。一連の言動からすると、政治への関心からして明らかに俄かなものだと判る御粗末さである。いちおう無所属だが自民党の高市早苗議員と政治姿勢が一致しているのを公言している。農政の失敗による米不足を招いた自民党と。かつて芸能人として全盛期だった当時に啓発のCМに出演していたことなどすっかり忘れているのだろう。

   

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 7月7日
  • 読了時間: 2分

 世良公則が選挙に立候補した。

 これについて、ロックバンド=ソウルフラワーユニオンの中川敬が、SNSで、それを報じる記事を引用し「笑笑」と嘲った。

 これに対して「圧倒的に格上」の歌手に向かって笑うものではないという反応があり、すると「圧倒的に格上」とは可笑しいとしたうえで、世良公則のことを「この男はネトウヨ活動家」にすぎないなどと言葉を返した。

 その後は「格」はどうでもいいことで、「レイシストベテラン歌手」なんて存在が恥ずかしいと指摘していた。


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 世良公則は過去に一世風靡したような歌手ではあった。

 ただし、そのようなヒット曲を連発したのは七十年代のことである。もう半世紀が経とうとしている。かれこれ五十年近い過去のことで現在の「格」というのは変であるし、また世良公則は短い人気歌手の時期を過ぎた後は俳優として映画とテレビのドラマに出ていたけれど、そんな傑出した役者ということでもなかった。

 ということで、それ相当の芸能人だったのは過去のことであり、芸能人の推移とか浮き沈みとかは激しいから、その観点からすると本当に大昔のことである。まだ現役とは言っても地味というより細々とした活動しかしていない。それも、過去の芸風からすると現在すっかり老齢で衰弱している。


 それだから選挙に立候補するのだろう。

 これでは、ただでさえ今の同類芸能人に比して「格上」とはとうてい言えないのに、そのうえ衰退したあげくの立候補ということだから、そんな足掻きは客観的評価として恥ずかしいと言われてしまっても正当な評価であろう。

 しかも、中川敬が最も問題にしていたのは世良公則のレイシズム発言である。深く考えもせず最近の風潮に乗っかって排外主義的なアジテーションをしていた。それをベテランの芸能人がやっている。若気の至りどころか、老齢の域に入って見識が深まるのではなく、目立ちたがり屋の若造みたいにしている、というのが最近の世良公則である。

 

 こういう年寄りにはなりたくないものだ。

 あれは権勢に媚びて弱いもの虐めというやつであり、人間として最も恥ずかしいことだ。それが人生を積み重ねてもわからない。

 無駄に歳だけ取った男が、自我と前立腺ばかり肥大している典型である。

 
 
 
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