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​炬火 Die Fackel 

更新日:3 時間前

 「海洋博を見に来たのに戦争の跡地なんかに連れていかれて迷惑だよ」

 1975年に、そう言う若い観光客がいた。よくあったことだ。



 1975年に、沖縄海洋博覧会(エキスポ75)が開催された。これに行くには相当の費用が要ったので、よく、景品の一等賞が沖縄海洋博と謳うキャンペーンも開催された。

 それで海洋博へ行ったのに、観光ガイドの人から沖縄戦の跡地にも案内されて、あまり気が進まなかった人たちもよくいた、ということ自体は自然なことだ。

 これは当時マスコミにも取り上げられた話題だった。それで「まったく若い者は」という年配者もいた。


 このblogで先回の話題だった高校生死亡事故にも共通する点がある。

 あの船舶転覆事故で亡くなった高校二年生の女子は、学校の社会科見学や平和教育の一環として沖縄に行った。

 ところが、戦争の悲惨な話はつらいので綺麗な海を見ることにしたと言っていたそうだ。


 その綺麗な海、これを地元の言葉で美(ちゅ)ら海、をコンクリートで埋め立て米軍基地を建設している。

 なので、地元から抗議があり、また日本の領土に日本人が納めた税金による予算で外国軍の基地を作り環境破壊をするということだから、日本人全体の問題である。それで他府県からも抗議に来る人達がいる。

 このblogの主催者も東京から行った。これについては前回に述べたとおりで、写真があるサイトを訪問してくれた方々がいたから、主催者は感謝している。


 そして、その高校生は海を観に乗船し、転覆事故で亡くなった。

 なのに抗議活動に参加して死んだとマスコミが誤報した。故意の誤報ではないにしても、騒ぎになることを期待していたからその不純な意図が誤報を招いたはずだ。

 ここで不可解がられているのは、その日は海が時化ていて、危険があることは簡単に解かるのに海上に出たことだ。これで船長も死亡した。

 これを絶好の機会と捉えて、基地建設への抗議を非難する議員がいたり、警察が抗議活動している人のところへガサ入れをしたり、抗議活動と事故とは関係が無いのに、まさに口実とされたのだ。


 もちろん船長が判断を誤ったことは間違いないだろう。

 だいたい抗議活動をしている船であれば、凪の海であっても辺野古は海保の「海猿」たちが暴れていて、マンガで美化されているが実態は海の機動隊であり、機動隊は「国営暴力団」と昔から言われているとおりであり、抗議活動する人たちが暴力を振るわれることはもちろん、あれは殺しにかかっていると昔から言われているほど狂暴であることを知らないはずがない。

 そこへは近づかないとしても、時化ている海に出たら死ぬ可能性があることは誰でも解かるし、まして船乗りなら実感をもって知っている。

 なのに、自分が死ぬだけでなく未成年者を乗せて巻き添え死させるとは、いったい何を考えていたのか。まったく不可解である。


 しかし、ほんとうに非難されるべきなのは死亡した生徒の学校である。

 やはり平和教育が悪いという攻撃にさらされているが、まともな思考力を持つ人間なら、平和教育の場で深刻な事態になったら、そこへ付け込まれるに決まっていると解かるはずである。平和教育が疎ましい連中がいるのだから。

 ところが、この学校がやっていたことは、平和教育とか社会科見学とか称して物見遊山しただけだった。この場合は山ではなく海だが。それが先にあって、平和教育や社会科見学は後付けだったのだろう。だから海に出る生徒が乗る船に引率教員が付き添ってなかった。それで死亡した生徒の親が愕然としていたと伝えられている。修学旅行や林間学校でも当たり前である安全配慮もないほどなのだから、命がけで国家権力に抗議している人達について上から目線で見物し、そこに生徒を同行させ教えてやったと呑気に錯覚していたはずだ。


 平和運動を舐めるな。

 そう言ってやりたいが、しかし、この学校に限らず、教師のすることは昔から今でも所詮この程度である。

 
 
 

 辺野古で抗議船に乗っていた高校二年の女子が死亡する事故が起きた。

 この抗議とは、もちろん米軍基地建設による環境破壊に対しての様々な行動のうちの一つである、船に乗っての海上行動のこと。

 この事件が起きて大喜びしたのは、先ずマスコミである。


 まず朝日新聞が、デジタル版で誤報を流した。

 これはすぐに削除されたうえ、朝日新聞デジタル版は訂正のうえ謝罪した。しかし、ただの単純ミスでは、確認もせずに思い込みで記事を作成するなんてことはありえない。

 その内容からすると、どう考えても願望が先行したからだろう。執拗な抗議行動が遂に未成年者まで巻き込んで悲劇となったというと、面白い記事になるからだ。これでは、やはり確認もせず抗議行動に参加したと決めつけた百田尚樹と、朝日新聞の記者は同水準ということである。


 さらに百田尚樹は、その高校生が愚か者だという意味の罵倒までした。

 つまり死者を侮辱する最低の行為に及んだということ。これには愛想が尽きたと、政治家としての彼を支持してきた者たちが批判していた。

 だが、これと同じことを朝日新聞の記者も考えていたか、あるいは百田尚樹のような反応が出て盛り上がるであろうと期待していたか、そのどちらかでなければ、このような誤報とはならなかったはずである。



 このblogを主催している者は辺野古に行ったことがある。

 それについては、サイト上部にホームページへのリンクがある。そこを参照すると主催者が抗議船に乗り込むさいの写真が自己紹介として載っている。ライフジャケットを身に着けているし、背景は沖縄の海である。また、下方へスクロールすると沖縄の問題へのリンクがあり、かつて記事を雑誌に掲載したさいには載せられなかったカラー写真がたくさん掲載されている。

 このさい案内した人は、もっと前から抗議行動に参加してきた人で、主催者の友達である。この人は言っていた。未成年者を抗議船に乗せるなんて以ての外だと。ただでさえ、小型船で海に出るのは危険があるし、しかも権力の横暴に抗議するとなると命懸けだから。


 ただ未成年者でも信念から自分の意思で覚悟して乗るならけっこうだ。

 また、親が連れて行って、社会の現実を一緒に間近で見せつけて、学校のイジメに遭っても我慢するな自殺するなと教えるということなら一種のスパルタ教育として意味があるだろう。このblogの主催者も、その意味でのスパルタ教育を施している。

 このことと関係して、このblogはしばらく休載していて、今回で再開だがネットで指示しての代筆である。これがしばらく続くはずで、事情は旧Twitter(現X)に投稿されていたとおりである。これについては後に説明がある。


 この、転覆事故の高校生死亡についての項目は次に続く。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 3月30日
  • 読了時間: 2分

 痴漢免罪論法というのがある。

 これは、かつて自著でも話題にとりあげたから、すでに知っている人たちも一部にいるだろう。性犯罪の被害者に「大声を出してはしたない」と女性の方を非難するのと同じ論法ということである。

 まったく、被害者を侮辱しながら痴漢を免罪する方という二重に醜い態度であり、権勢に媚びて弱い者いじめするのが好きな人によくみられる行動だ。

 倉田真由美という漫画家は知らない。

 ただ、時々SNSで排外主義を煽る投稿をしているのを見かけていた。そうしたら、この痴漢免罪論法を駆使して権勢に媚びて弱い者いじめの発言をして話題になっていた。

 まさに、性犯罪の被害者が悲鳴をあげたら大声を出してはしたないと言うのと同じで、戦争反対の声をあげる人達を侮辱していた。

 そもそも戦争反対は権力の横暴に対して必死で声をあげているのだけど、それを乱暴と言う倉田真由美は、加害者と被害者をすり替えて非難することで強者におもねっている。こういう人は昔からよく見かけてきたもの。目新しさはない。


 それで排外主義者であることも一緒に取り上げられた。

 倉田真由美は排外主義を暴力的に煽るヘイトスピーチの異常な攻撃性は黙認し、そのうえで自身も外国人排斥の主張を繰り返していた。そんなことをしながら、なぜか戦争反対には「乱暴な言葉」と揚げ足を取るから、まずは自身の言葉の暴力性に気づくべきだと指摘されていたのだ。

 この類のことを言う人達は七十年代からマスメディアに盤踞してきた。だから、この度も個人的な発言なのに権力べったりメディアが大喜びで取り上げている。そこで共通していることは、民主主義社会における政治への批判という意味を解っていない人達である。

 だから、権力にすり寄り虎の威を借る狐のようにして「もっとお上品にしなさい」と宣うのだ。



 
 
 
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