- 井上靜

- 4 日前
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更新日:3 日前
今年の広島平和記念式典での出来事が話題だ。
見た感じ若くて女の子という印象の女性が邪魔なので、うるさいにしても暴れてはいないのに警察管が数人がかりで強制排除した。しかも退かせればいいのに地面に横たえて置いた。
ほんらい静かに追悼するところで騒ぐ者が毎年いるから、厳粛な儀式の妨げになるとか冒涜だとか非難する人達がいるけれど、そんな非難をしている人たちは政府の手先として綺麗ごとの式典を擁護しているのだ。
いつも騒動を起こしている人達は、追悼を妨害しているのではなく、似非追悼する政府を批判しているのだから、この人達に共感できるかは別にして、なぜ政府の側が毎度批判を受けるのかを考えた方がいい。そうすれば色々と問題があると解る。

式典には外国からも批判があった。
例えば、広島の松井一郎市長は、広島原爆禍の記念日に、ウクライナをめぐってロシアを批判した。 この批判はアメリカや西欧の意向に沿った内容である。しかも彼は、実際に自らの都市に原子爆弾を投下した米国については一切触れなかった。
日本人にとっては常識である対米隷属であるが、この姿を国外から見ると非常に奇異に見えてしまう。
ウクライナとロシアは話し合って一度は停戦で合意した。
それなのに、横からイギリスが止めるなと口出し、米国らも武器を与えて煽ったのだ。ウクライナのゼレンスキー大統領は、ロシアのミサイルを一発も迎撃できなかったことで欧米に対して支援不足を訴えるが、戦争を止めさせてもらえず嗾けられたのだから、これは決して図々しい要求ではなく、むしろ当然の要求だ。
しかし所詮は利用されているだけだから、こうなってしまった。実に愚かである。まるで日露戦争の時の日本である。

つまり、ウクライナから得るべき本当の教訓は、欧米の言うことを信じてはいけない、隷属する自民党政権はダメってことだ。
だから広島の式典に抗議する人達がいても、むしろ正当というべきだ。



