「信じて貰えないでしょうが」
オウム真理教事件の教祖は逮捕されて言った。「目が不自由な私に、こんな大それたことができるでしょうか」と。
これをマスコミは、逃げを打っていると無理な解釈していたが、言葉の内容からすると、そんな信じられないことを自分はやったのだぞと誇っている。
この教祖は弱視だった。そのため普通の学校に行きたかったが、叶わなかった。

それよりしばらくのちのこと。
障害者の子供を普通の学校で受け入れるべきだと運動している人達が、これを学校に働きかけるようになった。しかし文部省が決めたことに逆らうと教職員は処分されるので、拒否されてばかりだった。
その中で、ある全盲の女の子が小学校に入学させて欲しいと頼み、付き添っていた支援者が補佐すると言ったのだが、これに対して校長が、それなら可能ではあるけれど、障害者は障害者のための学校でないと入れてはならないと決められているので、盲学校に入ってくださいと涙ぐみながら言っていた。
この様子がテレビで取り上げられ、放送を見た人たちも涙ぐんだり、日本の制度はなんと冷酷なのかと憤ったり、していた。
かって朝日新聞所属だった当時の本多勝一記者が告発していた。
彼の妹は重度の障害者で、その原因に医師の不適切があったらしく、当時は住居が田舎だったことが影響したそうだけれど、それで必然的に関心をもち色々と取材していたら、そこで解ったのは日本の学校制度とは選別のためにあり、偏差値で輪切りするけれど、その前に先ず弾かれるのが障害者だった。
だから、学校の中で分けられた内で虐めがはびこり、障害者の学校では障害が比較的軽い者が自分より障害の程度が重度の者を虐めている。そういう話だった。
あの教祖も、盲学校で全盲に対しては優位だったので、虐めをやっていた。
要するにオウム真理教は教祖のルサンチマンが影響している。
事件があったら色々なことを言う人達が湧いて出たけれど、そこで教祖の生い立ちを論う者ならいても、そこから社会に怨恨を持つ者が出ないよう差別を無くそうという発言は、ついに出なかった。
これは、どうせ弱者だから怒ったところで何もできまい、泣いたり自殺したりするだけだ、などと普段から考えているためだ。それで、中には怨恨によって復讐する者が出ても理解できないでいるのだ。そして治まっていたけれど別の形で噴出するようになってしまい、それでも未だ解らず繰り返してしまう堂々巡りとなるのだ。
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