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​炬火 Die Fackel 

 『容疑者Xの献身』の作者である東野圭吾さんが病死。

 癌だったそうで、68歳とは少し早死にだと残念がられている。

 たいへんな話題だった『容疑者Xの献身』は推理小説と普通娯楽小説の両方で受賞していて、これが推理小説を低く見る小説家から扱き下ろされ、推理作家からは推理小説に満たないと評する者もいた。

 このことで同級生のことを思い出した。



 その同級生は中学生の時に推理作家になりたいと言っていた。

 そして彼は、誰よりも推理小説をたくさん読んでいることを自慢していた。しかし推理作家になれなかった。売れなかったのでも認められなかったのでもなく、遂に書けなかったのだ。

 つまり、たくさん読んでも、そこから面白さの要素や物語の本質といった所謂エッセンスを抽出して読み取ることができなかったのだ。 

  

 しかも、彼は勘違いしているようなことを言っていた。

 「小説を書くのにジャーナリスティックな本は読んでも役に立たない。SFやミステリーを読むべき」と言ったのだ。

 SFとミステリーの二大分野では純文学と違ってアカデミックな評価が得られないと言うなら常識的に考えれば理解できるし、またSFはマニアックで小説で稼ぐのは難しいからミステリーの方が商業的に有利だと言うのなら当然のことだ。

 それに、松本清張のような推理小説を書くのにジャーナリスティックな素養は必要不可欠だろう。

 

 赤川次郎も言っていた。

 推理小説は犯罪を扱い、犯罪は社会の歪みが原因だから、どんな推理小説でも社会に無関心では書けない、と。

 また、その同級生は佐野洋の小説を特に好んで読んでいたが、佐野洋も元新聞記者であったし、その体験が小説にも反映している。

 それなのに、変なことを言っていた同級生は、浅い読み方しかできず面白さが解らなかったのではないか。

 

 そんなことを人気作家の訃報から思い出したのだった。

 
 
 

 博士号を持つ理数系の人が無知を曝け出していた。

 例えば「ドラクエシリーズ」の作曲を手がけたすぎやまこういちが右翼思想の持主だったから、ドラクエはやらないしドラクエの曲など聴きたくないという人がいるとか、 東京オリンピックの開会式でドラクエの序曲が使われたのを彼の政治思想を助長すると批判する左派の人がいたとか、そんな事実誤認をしたうえ、政治思想で作品そのものまで嫌うのは間違っていると思うと宣た。

 そもそも、すぎやまこういちは右翼思想なんて持っていない。そう勘違いする発言を意識してやっていただけ。これは周知のことだ。



 すぎやまこういちは都倉俊一と同じで政治力の音楽家だ。

 すでに指摘したとおり、すぎやまこういちは時勢に合わせた音楽で作風を変遷させてきた。そして処世術として権力に媚びる発言をしてきたが、それは差別と偏見を煽るヘイトスピーチだった。だから批判されてきたし、その作品を公共の場や国際親善の場で使用することに対して当然のこと反対されたのだ。

 また都倉俊一の場合は統一協会との関係を隠そうともしなかった。それを批判されたからと信教の自由への侵害というのはとんでもない錯覚である。カルト団体として反社会的勢力という評価が様々な動かせない事実から定まっているから問題なのであって、信仰する教義のためではない。


 さらに「理数系」の「博士」は外れたことを言っていた。

 この人はネトウヨだから何故すぎやまこういちが批判されているか解らず、ただ左派が非難していると見当外れを言っていたけれど、そうしたら逆に左派っぽい発言をしていた坂本龍一について、政治思想は相いれなかったけど彼の作曲した作品の数々は素晴らしいのでピアノで好んで弾くし、小説でも三島由紀夫が最後は狂気の行動だったけれど小説は素晴らしいとしたうえ、 政治思想と作品を切り分けできない人は芸術を楽しむのに向いていないとか、切り分けできない人は坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの心の狭い人だとか、阿呆なことばかり言う。

 そももも音楽と小説では表現されるものがまるで違うし、三島由紀夫の最期は思想から過激な行動に走ったが、それと内容的に関係したりしなかったりは作品によって異なる。また、狂気なら他にもゴッホとか様々な分野の芸術家に見られるが、そこに妙な拘りを示す人はまずいない。


 その人が特に解ってないことは右翼の定義である。

 権力に媚びて商売する人は、信念のある右翼とは違う、ということ。そんな姑息な商売をする人は、処世術に長けているから要領が良くてパクリが多い。すぎやまこういちなど典型的で、その弟子の筒美京平など平然とパクリのテクニックを語るほどだ。そこを見抜かれるが、法をすり抜けるのも上手い。それで嫌われる。どんな分野でも権力に媚びる処世術を駆使する人は必ずパクリが常套手段である。そんなのと一緒にしたら三島由紀夫に失礼だ。

 また三島由紀夫作品の映画化やオペラ化の音楽を担当した黛敏郎は右翼ぶって何も解っておらず恰好つけだけだったことは別問題として、いちおう右派としても、すぎやまこういちみたいに作品がどこかで聴いたことあるものばかりではなかったし、右翼的だから当然に差別的かつ権威主義的という批判はあったけれどヘイトスピーチしていたわけではない。もっと生きていたらどうだったか保障はできないけれど。


 この理数系博士は自分の狭く貧弱な教養と知性によって低劣ネトウヨとなり、芸術の鑑賞について、味覚音痴だから何を食べても旨いみたいにして、しかも有害な食品添加物を避けるのを偏食と勘違いしているも同然なのである。

 よく、ネトウヨは低学歴だと錯覚されるが、高学歴でもその分了見が狭いからネトウヨになっている人たちがザラにいるのだ。

 

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 6月7日
  • 読了時間: 3分

 『銀河英雄伝説』がSNSで「論争」になっていた。

 それとは別に、こちらで独自に述べていたことがあるので、それを改めてまとめる。

 元はネトウヨの妄想であった。


 「南京虐殺事件は朝日新聞の捏造話」という相変わらずの退屈な話だ。

 南京虐殺事件は東京裁判で取り上げられてから知られるようになったことで、事件の当時アメリカ人の記者が現地にいたことから『ライフ』誌が他とまとめて取り上げたけど日本では報道されてない。

 もともとネトウヨは、なんでもかんでも他の新聞の記事まで『朝日新聞』にしてしまうから滑稽である。


 他のことでも同様である。

 例えば、従軍慰安婦と吉田証言は産経新聞と読売新聞も記事にしていたし、中国戦線の日本軍による「100人斬り競争」は毎日新聞の記事だったし、 昭和天皇の靖国神社A級戦犯合祀不愉快発言を書きとめた宮内庁長官の「冨田メモ」は日経新聞のスクープだった。

 これらもネトウヨは「朝日新聞の捏造」だと言っていた。


 ネトウヨ妄想のパイオニアが渡部昇一上智大学教授であった。

 この人は、匿名ではなく堂々と実名を出してやらかしていた。そんな人の原稿を載せていた中心が文芸春秋社の各誌だったが、彼が統一協会との関係を露骨化させたあたりから距離をおくようになった。

 この人と『銀河英雄伝説』は、どう関係があるのか。



 『X』で話題(論争?)中の『銀河英雄伝説』。

 その一場面でのこと。「劣悪遺伝子排除法」を制定し大虐殺した独裁権力者ルドルフが演説で吐いた「神聖なる義務」という言葉は、渡部昇一教授が説いたことだった。ナチを見習い身体障害者を根絶やしにせよという主張が『週刊文春』に掲載されたさいの題名そのものだった。

 その「神聖な義務」を説いた渡部教授、医学は門外漢で、専門は英語学。英会話はできなかった。


 防衛医大が渡部昇一上智大学教授を呼び学内で講演させた。

 それは政治的な事情だった。そもそも防衛医大を作ったのが中曾根康弘防衛庁長官であり、そのあと首相になった中曾根のシンパの一人が渡部で、二人揃って統一協会と密接であったから当然のこと。

 だが、身体障害者抹殺論者を医療機関が呼ぶのは非常識だ。ただ元々ナチズム傾倒の医師は珍しくない。


 この問題を著書の中で取り上げた。

 あのとき防衛医大で渡部昇一の講演を聴いた体験を詳述したが、医療問題の市民団体を代表する女性から文句を言われた。なぜか不明で、この人はもしかしたら統一協会かと疑った。

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 また「中曾根ブレーン」の一人に曾野綾子がいた。

 この人も同じ障害者排除論者であった。渡部昇一と同時期に同じメディアで右派論客として活動した。小説家だが文学賞は受賞無しで、受賞はフジサンケイの「正論大賞」である。これは渡部昇一も受賞者である。

 そして曾野綾子も、自民党の野田聖子議員が高齢出産で障害児を作り社会に迷惑をかけたと言って非難した。野田聖子は、曾野綾子が保守派だと思いこんで好意的だったから、公然と差別されて驚いていた。

 
 
 
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