有吉佐和子が注目されている。
これはテレビで取り上げられて思い出したとか初めて知ったとかの人たちが興味を持ったとのことだ。それで図書館で借りようと思った人たちが、既に貸出中で、中には予約で何人待ちという本もあった。

かつて曾野綾子が、有吉佐和子に続く女性の作家になるかと注目された。
しかし、幼稚園から大学まで聖心のお嬢様が文学賞の候補になったという話題だけだった。筒井康隆の『大いなる助走』(『文学賞殺人事件』)には、これを茶化した挿話があった。
それで、話題作を連発する有吉佐和子に対して、ちっとも注目されない曾野綾子はノイローゼとなり、そこから再び注目されるために権勢に媚びて弱い物の商売を始めたと言われている。
後に筒井康隆は『文学部只野教授』で曾野綾子に触れていた。
あんな商売だが上手くいって曾野綾子が売れているため、夫の三浦朱門も話題になることがあるだけで、夫も作家とはいえ作品は注目されてない、ということだった。
よく、結婚相手を見れば解ると言われるが、有吉佐和子の夫は神彰で、曾野綾子の夫の三浦朱門とは大違いの大物だった。
訃報のためか図書館に曾野綾子のコーナーがある。
そこで婆様たちが借りていくのを何度も目撃した。これは、有名な人だから偉いので差別発言も正当化されると思う単純な発想によっている。これだから杉田水脈が国会議員に返り咲きたがるのだろう。
これは熱心なクリスチャンの女性がよく言うことだが、三浦綾子の小説は読めばクリスチャンとして感動するけれど、曾野綾子の小説を読んでもクリスチャンとして感動しないどころか到底クリスチャンの書いたものではない。笑ってしまうが、実際にそうだろう。