統一協会に解散命令が下された。
あのような理由なら、とっくの昔に下されているべきだった。それなのに今さらなのは、癒着した政治家が権力で統一協会を庇っていたからだ。これは周知のとおり。
その政治家の代表格が安倍晋三であり、これが統一協会の被害者に殺害されたから、解散させるのを邪魔する者が居なくなったのだ。

つまり、追及や批判の効果ではなく銃弾の効果であった。
もしも地道に長きにわたる追及や批判の効果であるなら、統一協会の実態を知る人が多くなり入信や寄付をする者が減って統一協会が衰退するか、あるいは世論が気になって政治家も庇えなくなって解散させられた、ということになったはずである。
なのに、追及の成果であると自画自賛する人達がいたり、暴力に訴えたことが効果的だったと認めてはいけないと思う人達がいたり、それで現実が歪められている。
日本は、政治家の権力と不正を市民が許さない社会ではない。
これは日本が無法地帯であるからだ。それで不正が横行し、これを正そうとすれば権力から迫害を受けてしまう。そうでなければ、もともと暴力に訴えて復讐をする人は出ないはずだ。出ても、たまに血迷った人がやるだけである。安倍晋三を射殺した元自衛官は、血迷った人とは見られていない。まっとうなやり方が通用しない社会の現実に絶望して、せめて復讐だけ実施しようと決意したようである。
これを語られてはまずいから、逮捕された射殺犯の裁判が一向に開かれないのだ。
これなのに、統一協会への解散命令について、長年の地道な追及と批判が継続は力なりで報われたというような美談仕立ての言葉を用いるのは、日本社会の現実を認識せず紛らわす気休めである。