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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真井上靜

 大阪地検トップが在職中に性的暴行の疑い。

 これは、森友事件への対応に安倍晋三が国税局長官の佐川を任命した2018年に、大阪地検の検事正に任命した北川健太郎が、官舎で部下に性的暴行を働いたとみられている。この男は退官して現在は弁護士になっていた。

 これまで、政権のために不正を見逃す仕事をしてきたところ、擦り寄っていた権力の構造が変わったために追及されるようになったのだ、と見る向きもある。



 検察官による性的暴行は昔から語られてきた。

 その権力により何をしても咎められないで済む。被疑者の女性など検察官から集団暴行を受けても、相手が検察官だから、どうしようもない。警察も弁護士も訴えや相談に対して無力である。

 これは内部告発が何十年も前からあって、この組織に嫌気がさして検察官を辞めたと言っている人がいた。


 権力を持っているうえ選民思想を持っているのが検察官である。

 自分たちは特別だと思い上がっている。だから検察で不正があっても常に居直り、検察が好き勝手にしているおかげで日本の正義が保たれているのだから、性的暴行もその内に入ると信じていても当然のことだ。

 かつて大学で刑法や犯罪学を担当していた元検察官の教授は、検察官は神様であると本気で言っていた。そして性的暴行も神の「愛」を受けているのだから感謝すべきだと教室で堂々と説いていた。



 大学で言ってしまうのは、あの小平義男と同じだ。

 戦後まもなくの頃、小平義男という男は、女性を次々と性的暴行のうえで殺害し、遂に捕まって死刑になったが、彼は警察の取り調べに対し、戦争中に兵士として中国に行ったさい暴行殺人を繰り返し、それを帰国してからも止められなかったので、戦場のどさくさ紛れとはならない場でもやってしまったのが失敗だったと述べていた。

 これと同じで、あのセンセイも検察にいたことの癖が抜けずに大学で語ってしまったということだ。本人は気付いてなかったけど、みんなから軽蔑されていた。


 ところが、地位にあぐらをかいていたけれど権力構造が変われば急転直下なのだ。

 それが今回の大阪地検の元トップの逮捕ということである。

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更新日:1 日前

 ロシアや中国や朝鮮が情報統制していると言われる。

 それを騒ぐのは米国および米国の衛生国となっている日本などのメディアである。そして、これらのメディアこそ情報統制している。

 では、どっちもどっち、なのか。明らかに違う。


 ロシアも中国も朝鮮も情報統制の意図は明確である。

 これは、国家の存続と国民の安全の為である。これは、どういうことか。その情報統制は、米国および日本など衛星国のメディアが言うようなもの、すなわち権力者に不都合な情報を自国民に隠す為ではない。それは日本などがやっていることだ。

 それとは違う。国民が外国の情報に触れた為だと偽装して、実は米が反政府暴動を起こしている、という工作を防ぐ為である。例えばシリアでFacebookが利用されたりしたから。このFacebookは日本でも情報の扱い方が問題になり、利用をやめる企業と個人が出た。



 そもそも、政府に不都合な情報が原因で反政府暴動など起きない。

 あるのは、抗議があったところへ外国から武器が持ち込まれ、これで一部が暴徒化することである。西欧でも指摘されているのに、日本では知らない人が多い。メディアがあからさまな嘘を流すからだ。

 しかし、シリアの例にしても、日本のメディアが言う「民主化を求めるデモに政府が武力弾圧」というにしては、本格的な兵器を用いた内戦になっていて、それは外国から持ち込まれたものであるからだが、それをメディアが無視しているので嘘の報道だと、少し考えれば解ることだ。


 フィンランド映画にも描かれていた。

 シリアから来た人が難民の申請をしたが却下されてしまい、なぜなら差し迫った危険は無いからとのこと。しかし、その人は命からがら逃げて来たので、それで差し迫った危険が無いというのは無茶苦茶だと感じる。

 また、フィンランドのテレビでは、シリア政府の要請に応じたロシアが叛乱鎮圧に乗り出し、この巻き添えで一般人も殺傷されているとし、ロシアを非難している。

 ロシアを非難する時は、シリアは悲惨なことになっていると言っておいて、その難民が助けを求めると、シリアに差し迫った危険は無いから帰れと言う。

 これを変だと思わない方がマヌケである。


 ところが日本では政府とメディアへの盲信が重篤である。

 また、情報統制を批判するなら、それをしないで済むよう、西側の特に米英を批判するべきだという結論に必然的に達するが、そういう人が少ないのは西欧崇拝という幻想が強いからだろう。


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  • 執筆者の写真井上靜

 ドビュッシー作曲ベルガマスク組曲の『月の光』をFMで放送していた。

 バイオリンのコンサート中継だった。もともと用意してあるのにサービスのようにするアンコール曲の後、まだ拍手が鳴り止まないので、ほんとうにその場でもう一曲と伴奏のピアノが演奏したのだった。


 このピアノ曲は、『ウルトラマンエース』か『ウルトラマンタロウ』で流れたことがある。

 もちろん「ウルトラシリーズ」に詳しい人には周知のとおり南夕子の話。内容とひっかけているのだが、これを思いついたのは監督がもともと好きな曲だったからだと、山際永三監督に直接きいた。夕子がピアノを弾くのはゲスト出演した『タロウ』の方だった。



 大変な難曲ではないが陳腐でもないしロマンティックである。

 それでドビュッシーの『月の光』を演奏すると箔が付くような気がするから、女性など好印象になる。そこで練習する人たちもいる。

 それで、かつて知り合いの女子高生(17)が興味を持っているので教えたことがある。「夕子」と言っても女の子にウルトラマンだと多くの場合は例に出すのが不向きだし、世代的にも解らないだろう。また自分が小さい頃は、よく中学生・高校生のお兄さんたちが「夕子」「夕子」と言っている意味が不明で、あとからから何度か再放送されたさい小さい頃には解らなかったことが解かるようになった。

 そこで、深田恭子なら知っていたので、あんなふうになるとカッコイイよ、と言った。ところが最初はよかったけれど、曲が進むにつれてだんだんと複雑になるから、「ムズ(難)い」とか「ムリ」とか言い出した。



 でも、印象的な開始だけは繰り返したので暗譜で弾ける。

 それを学校の音楽室にあるピアノで弾いたそうだ。授業のあと音楽室を出る前ちょっとやってみただけだけど、同じ組の人たちと音楽の教師から感心された。良かったじゃないか、と。だから続きを覚えよう、と言った。しかし、この時に、前から気になっていたけれど自信が無くて「コク(告)れ」ないでいる男子もいて聴いていたのに、ちっとも関心を持ってもらえなかった。見向きもされなかったそうだ。

 なんとも「それは残念だったね」ただ「彼は音楽に無関心だったかもね」と言ったら、だから「ガッカリなのでもうどうでもいい」と練習しなかったのだった。

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