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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 20 時間前
  • 読了時間: 5分

更新日:49 分前

 「断捨離」とか「捨て活」とか言うのが流行っている。

 周囲を取り囲む持ち物は必要最小限という「ミニマリスト」というのも居て、インフルエンサーの一種として発信している。こうなるわけの一つは、かつて昭和時代といわれる時期に、自宅に物がぎゅうぎゅう詰めが当たり前で、なんでもいいから物を持っているのが不安を紛らわせる、という価値観が幅を効かせていたから、このことに対するアンチテーゼである。

 ただ、あの当時でも、豊かな家は整然としていて、貧しい家は乱雑というのが、よくあったことだった。それは高収入の人ほど広い家だから片付いていて低所得者は家が狭いから片付かない、と思われがちだったけれど、そうではなく貧乏症の人は無用な物を抱え込むだけだということが昔から指摘され言われていた。


 このことはテレビのドラマやアニメにも描かれていた。

 これは70年代あたりからだ。ここで例えば主人公の母親が、空き瓶でも何でもかんでも全く具体性が無い目的でとっておくから、無用なガラクタが自宅内に溜まってしまい、それで小学生の主人公が母親に、用もないものは邪魔になるだけだと注意しても、母親は「でも、もしかしたらいつか使うかもしれない」と言って仕舞い込むから、使いもしない物で戸棚そのほか収納の場が無駄になったまま、という話があって、これをテレビを見た人たちは実際によくあることだと言って笑っていたものだ。そういう「いつか使える」の「いつか」は永遠に来ないと言われている。

 また、この他にも現実として、今は知らないが昔は、よく、壊れたりで使えなくなったから捨てると、それを母親がゴミ箱から摘み出して「まだ使える」と子供に押し付け、では何にどう使うのかと訊いても回答がなく、まだ使える気がなんとなくするということでしかない、ということがよくあったのだ。これは貧乏性であることや、物を大切にする気はあってもどうするのか工夫などをする知恵がさっぱり無いという滑稽なことだった。



 余計なものを処分すれは運気が上がるとも言う。

 それは精神的な影響だが、オカルト的に言いたがる人もいる。それで、よく風水を引き合いに出したりするわけだ。

 ところが、無用な物や気に入らない物は勿体ないと言わず処分するべきで、そうすれば気分がさっぱりするだけでなく運気が良くなると言っている人達がいるけど、その最たる神棚と仏壇を捨ててしまえば幸せになれるという明々白々な事実を説く人が見当たらない。何年も放置した札などを神社で「お炊き上げ」してもらい気持ちにメリハリをつけろとは言う人ならいるが。

 そもそも神棚と仏壇そのものが無意味で無駄なのに、おそらく狂信者の反発を恐れているのだろう。神棚と仏壇なんて捨ててしまえば幸せになれるし、お焚き上げも塩で浄める必要も一切なく、ただのゴミとして捨てればいいだけのことであるから実に簡単だ。守るべきは各自治体で決められた分別だけだ。ガラクタを「いつか使える」と抱えこんでも「いつかは」は永遠に来ないのと同じで、ご利益なんて無い。過去に在ったことが全く無いのだから、今後も未来永劫無い。木の箱に呪文みたいな字を書いた木片を入れて、それに向かって手を合わせると良いことがあるなら楽でいい。世界から戦争も貧困も無くなる。でも、そんなこと無い。  また、どんなに神棚と仏壇を粗末にしようとバチが当たることだけは絶対にない。当たり前である、神も仏も存在しないのだから。もしも神仏が実在し、悪いことした人に罰を与えるとしたら、空っぽの木の箱に神仏が入っているという詐欺で金儲けしている人たちに対してだろう。


 神や仏が存在すると言っている人たちは、それを商売にして嘘ついている。

 もしも本気なら、ただの妄想である。そんな人は絶対に統合失調症である。このことはとっくに証明されている。どんな宗教でも、ほんとうの信仰心とは宗教の基礎となっている思想と哲学であり、売っている商品は全く関係ない。あとは思想と哲学から発生した歴史的な芸術品に価値があるだけで、その貧弱な贋作が神社仏閣で販売されている下らない土産物の商品なのである。

 そして最悪の金儲けが神棚と仏壇であり、統一協会が売る呪いの壺と同じである。買うだけ金の無駄であり、そんなものを持っているのはナンセンスであるだけでなく精神に対して損害である。家賃や固定資産税のため住居の空間は有料であり、それをガラクタ置き場と化し無駄にしたうえ美観まで損ね、権力と癒着した宗教が支配に利用するため産土神やら檀家やらに囲い込み奴隷根性を植え付けて人の健全な精神を蝕むための道具が神棚と仏壇である。

 

 こんな汚らわしい物に拘泥するのは、まず暴力団である。

 それ以外の人も田舎の会社経営者などなんらかの形でヤクザな人たちである。警察署にも神棚があるけれど、これは警察が桜の代紋を掲げた全国最大の組織であるからで、だから政教分離原則違反を平気でしているし、腐敗堕落の巣窟なのが実態だ。

 そうした品性下劣な人たちと違う自分は、くだらない形式にこだわらず、信仰心なら内に秘めたうえで実践するのだと肝に銘じれば、精神が浄められることだけは確かである。もしも神仏が存在したら、神棚と仏壇は止せ、そんなもの信仰とは関係ない、信仰を装うだけのものだ、と言うだろう。言わないのは神も仏も存在しないからだ。だから断捨離するなら真っ先に神棚と仏壇を捨てなさい。それも自治体の分別に従い只のゴミとして。


 

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 5 日前
  • 読了時間: 3分

 前の話題で、努力は必ず報われるというのは嘘という問題を取り上げた。

 それに補足すると「努力は必ず報われる」と言う人は誰なのかに気をつける必要がある。まず、それをよく言う人の最たる者は学校の教師である。これは立場からして、そう言わないわけにはいかない人である。だから本心でなく口から出まかせのことが大いにあるから真に受けるのは愚かだ。

 また、スポーツ選手だった人も、よく言う。特にプロ野球の監督であるが、この人達は人気商売なので、子供の教育に単純で解かり易い話を世間一般が求めがちだから、それに合わせてリップサービスしているだけであり、この虚飾は他の発言からも容易に見抜ける。



 しかし、ほんとうに問題なのは努力が裏目に出ることだった。

 よく言われる綺麗事のとおりに努力が報われるのではなく、努力が虚しい、努力は無駄、それどころか努力が裏目に出てしまい人生が絶望ということにもなる。これは運や縁が無い人が不自然なことをすると、その結果として無理が祟るという事態に陥ってしまうということだった。そういうのが前回の話だった。

 また、その無理が祟るという場合の多くは、人の悪意に曝されるからだ。そんな話もしていた。この、人の悪意には、殺傷に至ることもある。


 では、なんで悪意に曝されるのか。

 これが今回の議題である。それは、恵まれていない人がそれを克服するために努力すると、目立ってしまうからだ。

 だから、家庭的経済的に恵まれていない人が頑張ると、それを見て生意気だと敵意を抱く者がいたり、働いて貯蓄していると奪おうとしたり、そういう悪意に曝される。

 これで、金を奪われるだけでなく、そのさい暴力をふるわれて殺傷されることにもなる。こういう事件は昔からたくさんあった。


 つまり努力すると死ぬ人がいる。

 これは、安静にしていないといけない人に無理矢理スポーツをやらせるのと同じである。ただし、これは喩え話とばかりもいえない。医師から絶対に駄目だと言われている人に強引にスポーツをやらせて、やれば健康になると言って無理強いの挙げ句に死なせてしまったという指導者失格の教師など、現実にいたものだ。


 それと実は同じなのが、恵まれていないのに努力することなのだ。

 その悲劇を煽り立てるのが、恵まれていないなら努力で克服するべきだ、という嘘である。この嘘をつく人たちの中には、そう言って成果の横取り、あるいは金を貯めさせて隙あらば奪おうと、狙っている人が含まれている。そのように最初から計画的である場合もあるが、最初は善意で励ましていても後から金に目が眩む人もいる。そして強奪のため殺傷されもする。

 これを避けるのは困難である。だから、努力は、していい人と、してはいけない人がいて、恵まれていない人は努力してはならないのだ。努力できるのは恵まれている人だけである。これを自分で見極める必要がある。

 
 
 

 また選挙が下らないことで始まる。

 これについては言うまでもない。そこで世間一般とは違い個人的な話をするが、というのは芸能人から政治家になったラサール石井さんが選挙にむけて動き出したことで思い出したことがあるから、それと個人的なこととの関係である。

 

 周知のとおりラサール石井さんは猛烈受験校を出ている。

 それを芸名にしているが、そこから大学に進学して四年在籍したが何故か除籍されて卒業できなかったそうだ。詳しい事情は知らないが。

 そして後に最近の受験の情勢はどうなのかと気になって調べていたが、そこから実際に大学受験をしてみたそうだ。東京大学を受験したが受からなかったらしい。


 ラサール石井さんは、片手間で受験勉強していた。

 それでは受かりにくいが、それでも受かったら通おうとは思っていたそうだ。しかし芸能活動をしながらでは、また卒業できない可能性がある。このことは承知の上だったのだろう。それも勝手ではあるが、その代わりに受験生が誰か一人入れなくなるけれど、その点はどうなのかと言われていた。

 しかし政治家になって、こちらが優先となった。自分のこだわりより社会のために働くほうが良いと思ったのかもしれない。


 あの当時、SNSで、ラサール石井さんに言葉を頂いた。

 ただ「頑張ってください」だったが、嬉しかった。少し違う事情で大学に入り直し、子供のころから本当にやりたかった勉強をするつもりだったからだ。そしてかなり本格的に受験勉強していた。これは楽しかった。親に邪魔されずに勉強すると、こんなに楽しいのかという思いだった。これは解かると言う人もいた。

 そして、現役の時とは違い、後から同じことをすれば簡単である。だから東大に受かるのも同様だった。


 ところが、入学する直前に駄目になった。

 今は国立大学でも学費は高い。また、卒業までの生活費も心配しないように貯蓄する必要がある。それを充分にしていた。なのに犯罪の被害に遭って総て騙し取られてしまった。脅し取られたという方が正確かもしれない。かなりの額である。

 これについては警察に聞けば判る。また警察なんて犯人を捕まえないし金を取り返してもくれないから、最初からあてにしてなかったが、警察の方からどうしても被害届を出せと言い、結局、警官が事情聴取したうえで書いた作文に基づき作成した被害届に、ほんとうのことではあるから渋々と署名捺印した。


 その犯罪の詳しい事情は当たり障りがあるので部分的にしか説明できない。

 ただ、なんでここぞという時に、こんなことになってしまうのか。どうやら、苦労してきた人が長年の努力でこれからという時に、よく、こういうことになるものらしい。

 それは、その運が元々から無かった人が無理をするからだ。環境が悪い中で不自然なことをすると、それが祟る。



 よく、努力すれば報われるとか言う人がいる。

 それは非現実的で無責任な精神論でしかない、という指摘は昔からある。そのうえ、資質や才能に恵まれていて人一倍の努力をしたところで裏目に出る人は必ず裏目に出るのだ。なぜなら、恵まれていない者が頑張ると必ず悪意にさらされるからだ。

 そんな人は、頑張るのは結構だけど、どうせ自分では駄目なんだから、誰か代わりに成果を受け継いでもらうべきだ。一番いいのは、やはり恵まれていない子供を自分の養子にして、自分のようにならないように、自分が稼いだ総てを投資してやることだ。

 この方が絶対に成果になる。これは実践と実証をした。

 
 
 
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