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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 3月21日
  • 読了時間: 3分

 先日、偏食と性格の悪さの問題を取り上げた。

 あれは高校生の時、勉強ができず落第してダブっていた男子のことだった。担任教師が、彼は留年してクラスに馴染めないのではなく、もともとだったと言う。その原因は偏食である。栄養や付き合いで、嫌いでも我慢して食べることは小さい子供でもあるけれど、それをいつまで経ってもできなかった。

 そして、嫌いなのに無理して食べなくてすむようにすることが目的のはずなのに、いちいち顔をしかめて「そんなもの食べられない」と、みんなが食べている場で言う。ご馳走しようとしても言い、決して「ありがとうございます。でも結構です」とは言わない。これでは馴染めないだけでなく迷惑がられた。こういうことばかりする偏食の人は多い。


 食通とかグルメとかいう人たちがいる。

 この人達は料理にうるさい。そういうのではなく、味覚の豊かさを欠いているのが偏食の人達である。それに基づいて、人が美味しく食べているものや、好意ですすめてきたものをいちいち腐した。それが子供っぽい。

 だから程度が低いのだけど、それについて「嫌なものは嫌なの」と意固地になって言う。だけど、栄養のことは自己責任だが、礼儀は話が別だ。他人へ配慮しながら避けることならいくらでもできるのに、そうしない。

 こうなるから、原因が咀嚼障害のように性格と無関係の場合でなければ、偏食の人は性格が悪いと言われる。そして、偏食は性格が悪いことの反映の一つでしかない。


 やはり彼は、他のことでも他人に嫌がらせをしていた。

 もうなんでもかんでも、他人が好きでやっていたり、真面目に考えていることを、ことごとく腐す。興味や関心がないなら黙っていればいいのに。その一つが、今の高市首相のような対米隷属の問題である。この出来損ない落第生をなんとか進級と卒業させようとしていた優しい女性教師が平和のことで危惧していたことを彼は侮辱したのだ。

 「アメリカの機嫌をとってないと危ないでしょう」とか「平和憲法なんてぶん殴られそうになって大人しくしてるから可笑しいでしょう」「軍隊が無いと舐められちゃう」など、発想も言葉づかいも無知どころか頭の中が小学校低学年である。これが高校生なのか。それも留年しているから一つ年上である。しかし、間違って高校に入ったけれど、発達障害でついていけないのだから、むしろ当然のこと。



 ただ、発達障害というだけではなかった。

 もちろん、せっかく女子と会話がはずんでいる所に割って入り妨害し「男子が女子と話しているなんて可笑しいでしょう」と小学生なみのことを真面目に言ったりするから非常に迷惑だった。これを発達障害だからと思い大目に見たのが間違いだった。程度の低い話で妨害や嫌がらせするのは、その程度の水準の知識しか持ってないから、ではあるけれど同時に、悪意であるということだったのだ。

 だから、料理にうるさいのではなく味が解らないので「そんなもの食べられない」と言って、そんな言い方は失礼だと注意されても「嫌なものは嫌なの」と言い、これと全く同じ感覚で時事ネタについても程度の低い話をしておいて「政治には関心が無いの。無いったら無いの」と居直って言う。

 だったら黙ってろバカヤローと言うべき種類だったのだ。


 当時まだ偏食について自分が無知だった。

 それで解らず、後から気づいたことだ。色々な人が言っている実例から、なるほどと納得することがあるからだった。

 もっと早く気づいていたら、対応の仕方も変わっていたことだろう。

 
 
 

更新日:3月4日

 偏食の人は性格が悪い。

 よく言われていることだが、実際どうか。結論から言うと、そんな人がよくいるけれど、必ずしもそうとは限らない、ということだ。

 なぜなら、偏食になってしまう原因は複数あって、性格と関係があるものと無いものがあるからだ。性格と関係があると、その反映の一つに偏食があるので、他の事にも反映しているから、偏食だから性格が悪いということになるが、性格とは無関係なら、偏食以外では何も問題が無い人になる。

 あとはいわゆる「キャラ」の違いである。


 その点、個人的に知っている偏食の人たちは対照的だった。

 偏食でも嫌な感じを人に与えない人がいる一方、偏食により人に嫌な感じを与えてばかりの人がいるものだ。

 前者は、当時年齢23歳の女性で、高校までバスケットボール部だったそうで、社会人になってからも趣味のバスケットボールサークルに入っているという人。だから女性にしては長身の170センチだった。そのため、食べられないものばかりなのによく背が伸びたものだと言われるが、いつも明るい調子で「おかげで2メートルにならなかった」と言っていた。

 ところが、もう一人が問題だった。


 この人は高校の同じクラスの男子だった。

 この人は男子にしては小柄で痩せていて肌も汚い。先の女性は偏食だけど背が高いうえ肌も綺麗な人だった。食べられないものは多くても数少ない食べられるものからバランスよく栄養は摂取していた。とくに問題が無い偏食といってよかった。それで一緒に食事していて楽しかった。ところがこの同級生の偏食は、栄養的にも問題が大ありの偏食だった。

 この男とは、一緒に食事したいと思う人がいなかった。先の女性は特に美人ではないが綺麗な肌は見て心地よかった。ところが、この男は不細工のうえ肌が不健康に汚らしい。食べ物が悪いのが一目瞭然だった。それで生理的嫌悪感を催させた。しかも食べ方が汚らしかった。僅かな食べられる物を口にするさいの仕草に品が無いうえ食べこぼしたりが酷かった。



 しかし最大の問題は性格だった。

 この男は、人が食べている時に指さして「そんなもの、よく食べられるね」と言い、ドロドロしたものは嫌いだと言うだけでなく「ゲロみたいだ」と食事中に言う。また、お召し上がりになりませんかと勧められて要らないなら「ありがとうごさいます。でも結構です」というのがマナーのはずだけど、彼は顔をしかめて「うえっ、そんなもの食べられない」と言うから、言っていいことと悪いことがあると注意しても「嫌なものは嫌なの」と居直る。

 この調子で、他のことでも他人が好きだったり関心があったりするものに対してことごとく腐していた。担任教師が、彼は友達がいなくて孤立していると言っていた。それを聞いたとき、仲間外れにされているのかと思った。そうではなく偏食と関係があるのだと気づいたのは、ずっと後になってからだった。あの態度では、無理もないこと。

 

 なんで偏食のことを改めて思い出したのか。

 それは、SNS上で総合月刊誌の話題があったからだ。高校の時、図書室の担当だった若い男性の教師は、英語が担当で東大を出ていた。なんで東大出て田舎に就職したのかと問われて、たまたま赴任することになっただけで、教師になれれば良かったと言っていた。その彼の判断で、図書室に常備している総合月刊誌を予算の関係で一つ減らすことになったさい『文芸春秋』『中央公論』『世界』のうち『中央公論』を無くした。信号機で省略するなら黄色というのと同じように、右と左を残し真ん中を省略したということだった。

 この話の時「こう言って解かる生徒は、うちの学校ではお前だけだな」と言われた。田舎だったから、雑誌の傾向で右と左ということに関心がある者が他に居なかったのだ。


 そして卒業後のことになる。

 あの偏食の女性は、スポーツばかりと自認していた人だから、こちらの持っている雑誌について知らず、ただ自分が興味ないことに興味がある人だとしか思わなかったようだった。だから明るい調子で「それ、どんな雑誌なの」と言った。

 それとは違い、あの偏食の男子は、そんなことに関心があるなんておかしいと言って腐した。高校在学中にも、社会や政治経済や世界情勢などについて高校生にもなって関心が無いほうがおかしいと言うと「無いと言ったら無いの」と居直った。この態度は偏食と同じである。


 そういうことを、雑誌の話題から改めて思い出したというわけだ。

 そしてSNSで時々、高校生の時に嫌な思い出を作らされてしまった人と同じような人がいると、この人も、もしかして偏食じゃないかと思うのだ。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2月23日
  • 読了時間: 3分

 「ミクラス」で思い出す同級生がいた。

 それは仇名だった。テレビドラマの怪獣の名前で、顔が似ているからだった。そいつとのことは学校で勘違いされていた。我々は仲良しだと思われていたが、それは表向きで、実は互いに憎んでいた。

 それが表に出たのは中学一年生の最後のころだった。担任の教師が酷いことを言ったら、そのミクラスが便乗して侮辱したのだ。



 その担任教師は、こちらに言い返せずに困ったことが複数回あった。

 こちらの言うことが単純であるけど正しい「ド正論」だったので。それが二度くらいあった程度のことだったのに、その担任教師は「おまえは何でも口で解決しちゃう」と言った。その回数が少ないうえ、そもそも教師が悪いだけのこと。だから事実ではない。

 それを組全員の前で担任教師は言ったが、ミクラス一人を除いて全員が黙っていた。他人のことに口を出すべきではないと思った人。違うと思っても教師に逆らうと不味いと思った人。後からコッソリ「先生のほうが間違っている」と言って励ましに来た人。それがミクラスを除く全員であった。


 「口は達者だからな」と言ってミクラスは侮辱した。

 教師を言い負かしたのを見た人に「口が達者だ」と評されたならともかく、「口が」ではなく「口は」と強調して言ったのだ。その限定の助詞「は」となるニュアンスを強調した口調だった。つまり口先だけの奴だというのだ。

 では、学校の成績はどちらが良かったか。勉強だけでなくスポーツはどうだったか。美術や音楽といった芸術方面の教養はどうだったか。スポーツは体格の差があったし、女の子にモテることは身長と顔の差があったけれど、これは努力とは違う。顔でミクラスに勝ったと言ってもしょうがない。しかし他は努力の結果である。


 ミクラスとは、小学六年生の時に同じ組だった。

 この時、組で何か問題が発生したとき、こちらは才覚と行動で解決したことが度々あった。例えば、いつも問題ばかり起こしている男子が下級生に対して問題を起こしたとき、担任教師が困っていたのを解決したので、こちらを嫌っていた担任教師でさえ「ありがとう」と言ってクラス全体と保護者に対して事実を率直に知らせたことがあり、それ以来その問題児はこちらはを呼び捨てにするのをやめて君付けで呼ぶようになった。他にも、学級委員が差別発言による不祥事を起こした時、そこで見識を発揮した行動を評価されたし、さらには人命救助の類まであった。

 これがミクラスには一切なかった。それで嫉妬していたらしい。だから、お門違いの「口で解決」という不当な誹謗に便乗して「口は達者」と言ったのだ。

 

 だから、表向きと違って憎しみ合っていた。

 小学六年から中学一年まで同じ組で、そこで仲良くしていたように見ていた人たちがいたけど、それは錯覚だった。

 あと、ミクラスの親はやや富裕で、うちはやや貧困であった。それで、こちらは社会の不平等に対して厳しい目で見ていたし、そこから差別をする担任教師や学級委員に辛辣なことを言ったことがあったのだ。するとミクラスは、今度はこう言った。「共産主義者」と。

 このミクラスは近所にある学習塾に通っていて、そこの経営者は日本共産党員だった。作詞家ではなく詩人で、それだけでは食えないから塾を営んでいた。そこへ平気で通っていた一方、こちらに対し悪口で言ったのだ。政治的というより貧困家庭を見下したのだろう。

 

 この思い出が、今回の奇妙な題名の趣旨である。

 

 

 
 
 
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