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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 11月15日
  • 読了時間: 3分

 「NHKから国民を守る党」党首の立花孝志が逮捕された。

 SNSへの投稿や街頭演説で元兵庫県議の名誉を傷つけた疑いで。これについて、日経新聞がふざけた社説を載せていた。

 「政治家の言論の自由は尊重されるべきだが」と無意味な言い訳の言葉を付け加えたうえで「事実無根の発言で他者をおとしめる行為は許されない」という当たり前のことをこじつけて「SNSがもたらす社会や政治の歪(ひず)みを正す契機にしたい」と歪んだ主張を展開した。


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 もちろん立花党首のやっていたことは、とうてい褒められたことではない。

 しかし日経新聞の説く「SNSは政治に対する関心を高める効果が期待される一方、誤った情報が拡散しやすい」は、インターネット以前に、最近よく「オールドメディア」と呼ばれる大手マスコミについて先ず言われなければならないことである。

 また、記者クラブ依存と権力に操作されたあからさまな偽の情報の流布、それを擦り込むことで世論操作、ということが大手メディアによって長年に渡り続いてきたけれど、これとインターネットも同じことである。インターネットのデマゴーグだって、大規模なほど金の力で人を雇って宣伝されていることが、既に指摘されている。

 それなのに、あたかもオールドメディアの嘘とインターネットの嘘は別物であるというインチキ前提によってとやかく言っているのは空々しいにもほどがある。


 そもそも「言ったもん勝ち」の風潮は立花孝志より安倍晋三が作った。

 しかも安倍首相は逮捕されなかった。特にひどいのは、原発事故にからんで嘘をつき、訴訟になったら裁判官が安倍晋三をえこひいきして強引に庇った、という事実。そこから、言ったもん勝ちの風潮が産まれ、しかしそれはあくまで権力を持つ側だけに可能なことなのだ。

 つまり司法が正しく機能していれば、SNSの歪んだ情報操作なんてものは大したことはなかったのだ。

 なのに司法が権力の側に忖度や追従をして事実を歪めてばかりいるから、権力と金のある者はやりたい放題できているのだ。 これこそ「歪み」であるが、それに対して報道が正しい認識を持つことができないでいる。ほんとうに問題なのはSNSではなく司法であるのに。


 昔はマスコミが司法を批判することが、まだあった。

 ところが、司法はもちろん社会全体の問題について、マスコミは取り上げなくなり、それは記者などマスコミで働いている人たちが何も解らなくなってしまったからだ。そもそもオールドメディアと呼ばれるのはなぜかというとマスコミが斜陽産業だからで、そんなところに優秀な人材が集まるはずがない。

 だから、マスコミがインターネットをとやかく言っても虚しいだけなのだ。

 
 
 

 田原総一朗の「死んでしまえと言えばいい」の発言。

 これが非難されて、その出演番組は打ち切りとなった。田原総一朗の発言がひんしゅくを買うのは今始まったことではない。ところが、これまではどんなに非難されても平気でいたのに、高市早苗に関わる発言だと途端に番組が打ち切りとなった。さすが、なにか有れば電場を停止させると発言していた高市早苗だから、そんなことされたらたまらないということになったみたいだ。

 日本のテレビの報道・言論の自由など、しょせんその程度ということだ。


 田原総一朗の娘がテレビ朝日に務めている。

 その、田原総一朗の長女=田原敦子が、BS朝日の内部であった事情を暴露した。 田原の「死んでしまえと言えばいい」という発言は、放送されたら非難されるであろうことが予想できるので、そこは編集のさい削除するように依頼したが、番組のプロデューサーは「大丈夫」と笑いながら言って聞き容れず、そのまま放送されたそうだ。

 だから、それを言った父が最も悪いとしながらも、良くないと事前に判断して放送しないよう頼んだのに無視されたのだから、責任は父だけにあるのか、プロデューサーや局の上層部は厄介者の父を追放して安堵しているのだろうか、と長女は問いかけていた。


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 これは悪名高い番組『そこまで言って委員会』と同じだ。

 ここで例の橋下徹も、チョット危ういと考え直して発言した部分のカットを頼んだのに無視されてしまい、放送後に問題になって謝罪する羽目になったことがあった。

 おそらく、テレビ局にとって出演者なんて利用するだけの消耗品なのだろう。 だからウケを狙って常識などお構いなしで、それがひんしゅくを買ってしまったら出演者のせいにして切り捨てたりする。

 こんな調子で製作されているテレビ番組を観るなんて、時間その他いろいろな無駄である。

 
 
 

 マンションではなくアパートを選ぶ人が増えている。

 そういう報道があって、ひどい報道だと批判する人がいた。この人は外国で仕事をしていて、「岡目八目」のように客観的だと、日本のマスメディアがいかに駄目か、はっきり判るらしい。

 そして、その人が指摘する。マンションより割安だからアパートにしているのは金が無いからに決まっている。

 それを、どうして報道は問題にしないのか。だから駄目なのだ、というわけだ。


 これは、一時の仮住まいではなく生活の中心になる住居の話だ。

 それなら、居住性の良い建物が絶対に安全で快適である。だから良い物件ほど費用も多くなる。なのに、金があってもケチッて安い方にする人はまずいない。

 つまり、安い方にせざるを得ないのだけれど、それをわざわざ安い方にする人が増えているという報じ方は、貧困な人が増えている実態を隠蔽しているのだ。 


 前にも、風呂無アパートを選ぶ若者が増えているという報道が流行った。

 これは、銭湯が良いからわざわざ風呂無しを選択しているという報じ方だった。内風呂があっても銭湯やスパに行きたいときに行けばいいだけのことだから、風呂無しにする意味は無い。それで節約になるわけでもない。むしろ今は燃料費の高騰などで銭湯は高額だから、毎回の入浴を銭湯にすると、風呂無しに住むより割高になってしまうほどだ。それでも風呂無アパートに入居するのは、手持ちの費用が貧弱だからだろう。

 こうなると、貧困な人が増加しているという深刻な問題のはずだ。それを、好きで風呂無アパートにする若者がいると報道されていた。

 

 ということは、マスメディアが、社会の問題を把握できていない。

 あるいは政府に媚びて、その無策を隠していることになる。こんなマスメディアは、まるで『ドラえもん』に出てきた「いたわりロボット」だ。

 ドラえもんがのび太のために何でも慰めてくれるロボットを出したら、それにのび太は依存してしまい、心配になったドラえもんが未来を見たら、のび太は浮浪者になっていて、ホームレスになったことをロボットに慰められていて、これでは駄目だ、という話だった。


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 こんなマスメディアは本当に駄目だし、それに騙されてはいけない。

 
 
 
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