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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2月5日
  • 読了時間: 2分

 期日前投票したが、また不愉快な思い。

 最高裁判事の審査はデタラメ制度だからボイコットしているが、それを伝えたのに発券されてしまい、なら持ち帰ると言ったら、数が合わなくなるから記入しないで投票箱に入れろと言う。

 それでは信任になってしまうから渡さない、と言ったので押し問答になったのだ。


 最高裁判事の国民審査のデタラメは前にも述べたとおりだ。

 審査される最高裁判事は、過去に裁判で何をしたのか簡単に紹介されているが、現実は違う。最高裁判事の名を騙って主に東京地裁の裁判官が勝手にしてしまう。これは前に裁判所の法廷で東京地裁の裁判官から聞いた。だから自分の無茶苦茶な判決が最高裁で覆らないようにできるし、それが実際にほとんどである。

 そもそも、仮に不正なくても、極めて専門的な見地から判断したことを、いいかダメかド素人による多数決というのは絶対に間違っている。だからボイコットすべきなのだ。



 結局、選管の人が来て無効の手続きをした。

 おかげで余計な時間を取られた。他の投票所では、棄権すると言えば発券しない。この投票所では、前にも誕生日を西暦で記入したら「非国民」「元号で書き直せ」「投票するな」などと言われた。

 これについて選管の人は、注意しておくと言ったが、本当に改めるだろうか。

 

 さらに不愉快なのはNHKが「出口調査」していて声をかけられたこと。

 「断る」と言った。選挙の争点などを故意に隠して自民党に有利にしておき、さらに出口調査の結果と称して自民党が勝つから投票しても無駄だと呼びかける。そんなものに応じる人は見たことない。だから結果は捏造だと言われるのだろう。

 それに、この費用も受信料だろう。


 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2月3日
  • 読了時間: 3分

更新日:2月5日

 長谷川和彦監督が亡くなった。

 80歳だったが、もともと外見と雰囲気が実際の年齢より若い感じがする人だったので、そんな歳だったのかと思ってしまう。また屈強な人で、殺そうとしても死なないような感じがしたから、訃報に実感が無い。

 その映画については、すでに色々な人たちが色々と語っているので、それ以外の話を、ここではする。


 『太陽を盗んだ男』のカメオ出演場面。




 『朝まで生テレビ』に、長谷川和彦は一度だけ出ていた。

 ここでスタジオに来ていた右翼学生たちと問答になって、そのさい穏やかな物腰だが威圧感があるので右翼学生たちが押されて黙っしまった、という場面があった。

 この直後、テレビでビートたけしの番組に出たさい、たけしが怖がっていた。「映画監督が出るというから、大島渚じゃなきゃいいと言ったけれど、おっかねえ」と。


 『朝まで生テレビ』で、舛添要一(当時、東大助教授)が、長谷川和彦の反権力姿勢に対して言った。

 ソ連に侵略されたら「自由に映画が作れなくなっちゃうよ」と。そう言って、なんてことはない、自民党と日本の体制に媚びたのだ。だから同席していた大島渚が激怒し「日本だって自由に映画作れない」と言った。

 周知のとおり、大島は若い頃に映画の内容のため何度も権力から迫害されてきた。


 また、舛添要一は自分の学歴まで自慢していた。

 これは大島渚が京大卒であることに対し、舛添は東大卒だと言ったのだった。大島は、今でこそ芸能の仕事をしているが、もとは京都大学で政治学を専攻していたと言ったのだ。なのに、自分は東大だと言ったところで何の意味があるのか。

 そして、この時の話題は「愛国心」だった。なのに舛添は、それを体制に媚び諂うことだと勘違いして発言していた。これでは、高学歴でも優等生ではなく、ただ田舎から出てきたガリ勉にすぎない。


 長谷川和彦は東大を卒業の目前で退学していた。

 映画会社にエグゼクティブで入社して監督になるなら大学を出ないと不利どころか無理で、なるべく一流大学であることだと、東映に勤めている親戚に言われたから、それまで不熱心だった受験勉強を、三年の最後の二か月間に集中して猛然と実行し、現役で受かったから学校の教師も同級生も驚いたそうだ。

 しかし卒業する時には映画会社が不況のため人を募集しておらず、そのため今村昌平監督のプロダクションで働き始めて、もう映画界に入ったから大学卒業の意味が無いということで、あとは卒論を書くだけだったけれど退学してしまったそうだ。

 

 このような、上記の大学を巡っての話も面白かった。

 だから、訃報に接して思うことが多い。Twitterで詳しく話していたからフォローされていたけれど、実は大宅壮一文庫に「長谷川和彦」の項目があったので、それで知ったことが多かった。マーチンスコセッシやシルベスタースタローンとも対談していた。

 だから知っていたことが他の人たちより多かったのだが、なんで詳しいのかと思われたらしい。ところが更新されなくなっていて、そこで訃報という次第だった。今も信じられないが。



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 ここでは『太陽を盗んだ男』の直後に『ヤマトよ永遠に』があり、そこで西崎義展が説いていたこととの関係に言及していた。

 

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2月2日
  • 読了時間: 2分

 落合信彦が死んだ。

 「国際ジャーナリスト」とカッコつきならともかく、そういう肩書で報じる新聞があったから呆れてしまった。ジャーナリストに国内も国際も無いと言われていたけれど、そもそも落合信彦はジャーナリストなんてものではなかった。ただの面白おかしい話をするモノカキである。なによりこの肩書は、不味いビールのCМに出たさいのものでしかない。

 それで思い出す話がある。


 かつて、携帯電話で月に12万円も使った小学生がいた。

 これに親がぶち切れて暴行してしまったというのだが、そんな金額になるまで使えるかは疑問だと電話会社も言う。まず会話など通常に使用しているだけではあり得ないことで、ゲームのダウンロードなど特殊な使用を連日しているとしか考えられないらしい。


 しかし、もっと凄いのは「国際ジャーナリスト」落合信彦。

 彼は国際電話の料金が月に100万円と得意になって言い、いくらかけまくっても、そこへ高額なコレクトコールも加わっても、物理的にとうていあり得ない料金だとデーブ=スペクターにツッコまれてしまい、困ったあげく、その対談を掲載する予定だった週刊誌に、掲載をやめるように申し入れたという。

 どこかの本や雑誌からもらってきたようなネタを、CIAなどから独自に入手したかのように言う人らしい話だった。

 売れていたので告発本も複数出ているが、読まなくても判ることが多かった。



 落合信彦の出世作は『二○三九年の真実』だろう。

 これを読んだときは、よく調べて書いていると感心した。とろこが実はジムギャリソン検事の著書からのパクりも同然であると気づかされた。しかも内容を薄めている。

 他も落合信彦の本は殆どこの調子であると言われてきたが、同検事の著書はオリバー=ストーン監督が映画化して話題になり、この影響で邦訳が『JFK-ケネディ暗殺犯を追え』という題で出版された。このため、落合信彦について言われていたことが本当だと確認された。


 そして息子が登場して、また判ったことがある。

 よく言われることだが、落合信彦は自分についてホラ話をしていた。渡米し、空手を知っていたので活躍し、そのあと事業を始めて成功したと言うから、まるでエバラ焼肉のタレみたいなステーキソースで成功したヨシダという元在日韓国人みたいだったけれど、落合信彦の成功談はデタラメで、モノカキとしても商売でハッタリかましていたものの、息子に対する普通の育成ぶりを知ると、ごく普通のお父ちゃんだったのだ。

 

 
 
 
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