top of page

​炬火 Die Fackel 

執筆者の写真井上靜

 大山のぶ代が亡くなった。

 俳優としての活躍の他、意外なこととしてテレビの刑事ドラマの脚本を書いたことがあることも紹介された。昔のことだったが、当時は話題だった。そして声優として、少年役が得意だったことが回想されている。 『のらくろ』の主人公と主題歌、『サザエさん』で最初の磯野カツオ、『ハリスの旋風』の国松、『ザンボット3』の勝平、なにより『ドラえもん』の声。

 また、晩年は認知症を患っていたこと。



 認知症の大山のぶ代を夫が介護していた。

 しかし夫も末期癌で、家族の介護どころではなかった。自分が介護される側だった。それを病身なのに妻の介護に忙殺され、なんとか最後までやり遂げたいと語っていたが、先に亡くなった。

 その後、大山のぶ代は90歳まで生きた。


 結婚しないと老後が寂しいと言って女性を脅す人がいる。

 しかし、年を取った旦那ほど厄介な存在は無いと言われる。寂しいどころではない苦労がある。そういうことでは、女性の方がしっかりしているとも言われる。その点、大山のぶ代は夫に恵まれたと言えるかもしれない。

 もちろん、女性にも、しっかりして無い人や愛情が希薄な人はいるから、男性も結婚すれば安心ということにはならない。


 「老人は適当な時に死ぬ義務がある」

 と曾野綾子は書いた。姥捨て山の前に自決しろということだった。そういいながら手前は90すぎても生きている。

 あの人は、旦那が認知症で困ったらしい。それが死んだら、前言を撤回するように生きている。なんてことはない、旦那の介護が嫌になったという愚痴を一般論のように語っただけだったのだろう。

 所詮その程度の女性もいるということだ。


閲覧数:22回0件のコメント
執筆者の写真井上靜

 日本の被団協がノーベル平和賞に選ばれた。

 そこで、改めて浮き彫りになった事実がある。それは日本が核兵器の被害者を救済しようとしないどころか被害すら認めようとせず、これは被爆国と言いながらその被害を過少に言うことで核兵器廃絶に消極的であろうとしているからだ。

 もちろん加害者であるアメリカの意向を汲んでのことだ。



 天皇だって原爆の犠牲者は戦争だったから仕方ないと公言した。

 あの記者会見での萎縮した態度は、アメリカを怖がっているのが明らかだった。これだから、日本は核兵器を保有すれば卑屈にならなくてよいと言う人たちがいるけれど、そんなことアメリカがさせてくれるわけない。こういう出来もしないことを主張する空想的戦争論者たちが、時々、閣僚から出て問題発言で更迭される。自衛隊の上層部からも同類項が出る。それを、タブーに触れたと言って擁護するというより本気でタブーに触れたから辞めさせられたと勘違いしている。

 そうではなく、核武装なんて言うのは深く考えないバカである。


 核兵器を勝手に作ることなら可能だ。

 その程度の技術を日本は既に持っている。それより、難しいのは作った後である。

 もしも、日本が核兵器を保有したと公言したら、世界中から様々な反応があるだろうけれど、それに対して対処できるか。この点、北朝鮮の方が日本より政治力があるから、核開発とともに外交などでも丁々発止とやっている。しかし、日本では駄目だろう。そういうことが昔から日本は苦手だから。


 だから被爆国として核兵器廃絶を訴えるのが現実的だ。

 ところが、戦勝国・宗主国であるアメリカの意向で、敗戦国・従属国の日本は、核兵器の被害について積極的に訴えられない。政府も天皇も日本国民の被害を認めなかったり忍従を強いたり。これくらい敗戦は惨めなこと、というより元々から日本は国が民のためにあるという発想が無い。

 だから、今も相変わらずの滑稽な態度を、核兵器に関して日本は取り続けているわけだ。

閲覧数:28回0件のコメント
執筆者の写真井上靜

 立憲党の野田新代表は首相の時に公明党の顔だと言われた。

 これは顔役という意味ではなく、顔つきという意味だ。年配の女性が言っていた。かつて公明党が竹入委員長の時、彼はもちろん、地方議員でも公明党はまるで布袋様や恵比須様のような風貌だ。宗教団体が背後にいる政党であることが影響しているのだろうか。

 なんであれ、風貌に公明党の顔という特徴があるのは、どう見ても感じられる。それと野田首相が同じ顔だということ。



 そして元首相から立憲党の新代表となったら、ますます公明党の顔になった。

 あのような顔は、昔の公明党の顔つきである。今でも公明党に居るが、昔の公明党の顔に今の野田新代表ほ酷似した顔つきの人は、そう居ないのではないだろうか。

 そんな顔をしながら、野田元首相は自民党の外部から安倍内閣を成立させ、安部元首相の死後も「尻舐め」言動をしている。今の公明党ならともかく、竹入委員長の当時の公明党は、いちおう自民党とは一線を画す政党だった。

 なんとも奇妙である。


 とにかく布袋様・恵比須様のような福の神ではない。

 ただ太っているだけで、貧乏神とか疫病神とか言うのが最も合っている。よく、姓と風貌から野豚と言っている人たちがいるけれど、この人たちは昔の公明党の顔を知らないか意識してないかである。

 それで、その年配の女性は、その風貌を気味が悪いと言って、あんなのが政治家をやっていては危ないと嫌悪感を露わにしていた。

 この感覚は実に正しいのではないか。

閲覧数:22回0件のコメント
bottom of page