被団協のノーベル平和賞
- 井上靜

- 2024年10月17日
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日本の被団協がノーベル平和賞に選ばれた。
そこで、改めて浮き彫りになった事実がある。それは日本が核兵器の被害者を救済しようとしないどころか被害すら認めようとせず、これは被爆国と言いながらその被害を過少に言うことで核兵器廃絶に消極的であろうとしているからだ。
もちろん加害者であるアメリカの意向を汲んでのことだ。

天皇だって原爆の犠牲者は戦争だったから仕方ないと公言した。
あの記者会見での萎縮した態度は、アメリカを怖がっているのが明らかだった。これだから、日本は核兵器を保有すれば卑屈にならなくてよいと言う人たちがいるけれど、そんなことアメリカがさせてくれるわけない。こういう出来もしないことを主張する空想的戦争論者たちが、時々、閣僚から出て問題発言で更迭される。自衛隊の上層部からも同類項が出る。それを、タブーに触れたと言って擁護するというより本気でタブーに触れたから辞めさせられたと勘違いしている。
そうではなく、核武装なんて言うのは深く考えないバカである。
核兵器を勝手に作ることなら可能だ。
その程度の技術を日本は既に持っている。それより、難しいのは作った後である。
もしも、日本が核兵器を保有したと公言したら、世界中から様々な反応があるだろうけれど、それに対して対処できるか。この点、北朝鮮の方が日本より政治力があるから、核開発とともに外交などでも丁々発止とやっている。しかし、日本では駄目だろう。そういうことが昔から日本は苦手だから。
だから被爆国として核兵器廃絶を訴えるのが現実的だ。
ところが、戦勝国・宗主国であるアメリカの意向で、敗戦国・従属国の日本は、核兵器の被害について積極的に訴えられない。政府も天皇も日本国民の被害を認めなかったり忍従を強いたり。これくらい敗戦は惨めなこと、というより元々から日本は国が民のためにあるという発想が無い。
だから、今も相変わらずの滑稽な態度を、核兵器に関して日本は取り続けているわけだ。



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