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​炬火 Die Fackel 

更新日:3月3日

 もともと立憲党の支持者は「リベラル」と言う名の反共主義者だった。

 だからSNSでの応援団は実質「反自公ネトウヨ」と言われ続けてきた。その人たちは、その呼び方に反発していたが、その反発ぶりが、言われていることの証明だった。

 もちろん、排他的であるなら共産党やれいわ組の熱心な支持者にもいて、狂信的な人も目立っていた。けれど、発想が根本的にネトウヨと同じであることは、立憲党の支持者に際立っていた。

 その中でも特に枝野幸男の信奉者たちは「枝野を総理大臣に」とSNSで妄言を吐き続けたが、この態度は安倍信三や高市早苗を信奉するネトウヨたちと変わらなかった。先ずその個人崇拝。そのうえ政治経済外交の政策でも大差なかった。これは数年前から、しばしば指摘されてきたことだった。



 ところが当の枝野はというと立憲党結成時の泡沫人気が着実に萎み続けた。

 この泡が破裂したのではなく、確実かつ急激に萎んだのだった。一時的に受けた「立憲主義の尊重」とは、ただのウケ狙いで付け焼刃だったことが、地元選挙区で早くも露呈していたからだ。それで選挙のたびに得票を減らしていた。

 それが遂に自民党政治を追認して公明党と組むという悪手により結党の動機まで否定した。ほとんどの議員が落選し、枝野幸男は落選のうえ弁護士にも戻れず生活費の話をする無様さである。そんなに枝野幸男について、一時それなりには支持集めたけれども結局は劣化小泉純一郎レベルでしかなかったと評する人もいる。


 立憲党の崩壊は当然の帰結である。

 かつて山本太郎は、立憲の議員で個人的に頑張っている人ならいると言っていたが、これは事実だろう。否定する人はいない。だから、れいわ組も共産党も選挙協力した。それを裏切ったのは立憲党であった。

 そして立憲党の支持者たちは、結党の精神そのものの否定という批判をされてもその意味が理解できていない。それもそのはずで、かつて共産党の結党の精神を全否定する本を敵対する右翼出版社から発行して除名された党員がいたことに対し、立憲党員と熱烈支持者たちは共産党の方を非難していたのだから。

 それくらい立憲党を取り巻く人達は愚かで下品ということであり、またその保守性から、立憲党の支持者は無知で政治オンチの似非リベラル実質ネトウヨという誹りを受けるのである。

 
 
 

 落選した枝野幸男の生活費についての発言が話題に。

 政治献金だけでは食っていけないと言うことだった。政治活動資金と生活費の区別も必要で、講演があれば収入になるのでありがたい、などと言っていたそうだ。

 国会議員ということで威張っていた人が落選したら惨めということは昔からあった話だ。



 枝野幸男は官房長官まで勤めて落選した。

 しかし元々が弁護士だったはずだ。なんで本業の弁護士で稼がないのだろうか。よく弁護士が政治家になるのは落選してもまた復職しやすいことがあり、それを多くの人が実際やっているのに。

 例えば白川勝彦もと自治大臣は、自民党で大臣を勤めまでしたが当落選を繰り返し、晩年は弁護士活動を本格的に再開し「元自治大臣白川勝彦」という法律事務所のウエッブサイトの広告を大々的に掲載していたのを見た人も多い。


 枝野幸男は、もともと弁護士が駄目だったから政治家になったのだろうか。

 そもそも彼の政治に対する関心はまさに「にわか」であった。だからテレビ政治に乗っかって政界入りした。その見識の薄っぺらさは、よく指摘されている。

 これと白川勝彦は違っていた。どこが違っていたかというと、彼は大学生の時に共産党と正式提携している民青同で活動していたので、自民党に入ってからも「共産党は古巣」と言い、自民党の中でも常に左派で、進歩的な態度で一貫していた。政権交代が必要だとも言い、民主党から選挙に立候補も検討していたと言われる。

 つまり元々から政治に強い関心があったか否かの違いである。


 ところが枝野幸男になると、御都合主義ではすまなかった。

 それが、このたびの安保法を違憲から合憲への「ちゃぶ台返し」となった。そもそも枝野幸男は立憲党の言いだしっぺであり、それはなぜかというと安保法制が立憲主義の否定だということだったはずだ。

 そんなものは一時的な方便だったのだろう。だから枝野幸男は次第に選挙での得票を減らし、あげくの落選である。これでは弁護士としても信用できないから雇ってもらえまい。

 それで、国会議員から落ちたら弁護士に戻れず講演で稼ぐということだろう。出来損ない弁護士の政治家の無様な末路というわけだ、

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2月23日
  • 読了時間: 3分

 「ミクラス」で思い出す同級生がいた。

 それは仇名だった。テレビドラマの怪獣の名前で、顔が似ているからだった。そいつとのことは学校で勘違いされていた。我々は仲良しだと思われていたが、それは表向きで、実は互いに憎んでいた。

 それが表に出たのは中学一年生の最後のころだった。担任の教師が酷いことを言ったら、そのミクラスが便乗して侮辱したのだ。



 その担任教師は、こちらに言い返せずに困ったことが複数回あった。

 こちらの言うことが単純であるけど正しい「ド正論」だったので。それが二度くらいあった程度のことだったのに、その担任教師は「おまえは何でも口で解決しちゃう」と言った。その回数が少ないうえ、そもそも教師が悪いだけのこと。だから事実ではない。

 それを組全員の前で担任教師は言ったが、ミクラス一人を除いて全員が黙っていた。他人のことに口を出すべきではないと思った人。違うと思っても教師に逆らうと不味いと思った人。後からコッソリ「先生のほうが間違っている」と言って励ましに来た人。それがミクラスを除く全員であった。


 「口は達者だからな」と言ってミクラスは侮辱した。

 教師を言い負かしたのを見た人に「口が達者だ」と評されたならともかく、「口が」ではなく「口は」と強調して言ったのだ。その限定の助詞「は」となるニュアンスを強調した口調だった。つまり口先だけの奴だというのだ。

 では、学校の成績はどちらが良かったか。勉強だけでなくスポーツはどうだったか。美術や音楽といった芸術方面の教養はどうだったか。スポーツは体格の差があったし、女の子にモテることは身長と顔の差があったけれど、これは努力とは違う。顔でミクラスに勝ったと言ってもしょうがない。しかし他は努力の結果である。


 ミクラスとは、小学六年生の時に同じ組だった。

 この時、組で何か問題が発生したとき、こちらは才覚と行動で解決したことが度々あった。例えば、いつも問題ばかり起こしている男子が下級生に対して問題を起こしたとき、担任教師が困っていたのを解決したので、こちらを嫌っていた担任教師でさえ「ありがとう」と言ってクラス全体と保護者に対して事実を率直に知らせたことがあり、それ以来その問題児はこちらはを呼び捨てにするのをやめて君付けで呼ぶようになった。他にも、学級委員が差別発言による不祥事を起こした時、そこで見識を発揮した行動を評価されたし、さらには人命救助の類まであった。

 これがミクラスには一切なかった。それで嫉妬していたらしい。だから、お門違いの「口で解決」という不当な誹謗に便乗して「口は達者」と言ったのだ。

 

 だから、表向きと違って憎しみ合っていた。

 小学六年から中学一年まで同じ組で、そこで仲良くしていたように見ていた人たちがいたけど、それは錯覚だった。

 あと、ミクラスの親はやや富裕で、うちはやや貧困であった。それで、こちらは社会の不平等に対して厳しい目で見ていたし、そこから差別をする担任教師や学級委員に辛辣なことを言ったことがあったのだ。するとミクラスは、今度はこう言った。「共産主義者」と。

 このミクラスは近所にある学習塾に通っていて、そこの経営者は日本共産党員だった。作詞家ではなく詩人で、それだけでは食えないから塾を営んでいた。そこへ平気で通っていた一方、こちらに対し悪口で言ったのだ。政治的というより貧困家庭を見下したのだろう。

 

 この思い出が、今回の奇妙な題名の趣旨である。

 

 

 
 
 
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