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​炬火 Die Fackel 

 高市早苗首相と河瀨直美監督は同じ奈良県の出だ。

 この二人は同郷であるゆえ、そっくりな発想と行動をする。あの地方すなわち兵庫と奈良と大阪は、突出しておかしな政治家の産地といわれ、これには一つの理由があると指摘されている。

 それは宗教ということらしい。どういうことだろうか。


 その宗教とは、統一教会とか創価学会ではない。

 また、天理教でも弁天宗でもない。 生長の家であり、この生長の家を産み育ててしまう文化的土壌が、そんな政治家を輩出させているらしい。つまり、右翼宗教の代表的な生長の家が活発になる土地柄ということだ。

 どうしてか。生長の家はオカルトやスピリチュアルの体質をもつ宗教であり、このような団体はファッショであるのが相場だ。



 河瀬直美監督の映画とも共通している。

 あの監督の映画は、代表作で奈良が舞台の『殯の森』など、ことごとくオカルトというかスピリチュアルというかの土壌の上に構築されている。

 そして監督自身が奈良県の出である。だから映画の舞台にしていて、その土地柄は、映画の題名のとおりオカルトやスピリチュアルの発生しやすいおどろおどろしい森があり、人里は地方というより田舎であり、その人間関係が実に窮屈だからパワハラも発生しやすい。


 高市首相の太田光に対する威圧的な態度はパワハラだった。

 テレビで気に入らない質問をしてきたタレントに対して、高市首相は関西弁を喋り出した。対人関係のツールを変え、支配と被支配どちらかの人間関係しかない田舎の人がやる対応をした。

 河瀨監督の演出のさいのパワハラも有名だ。田舎DV的な支配の手法をとって周囲を自分に服従させていることは周知のとおり。

 だから、高市早苗と河瀨直美は、奈良県の出で、おどろおどろしいスピリチュアルと威圧的なパワハラの支配する田舎ということで、行動が共通するのだろう。

 
 
 

更新日:2月16日

 太田光の高市首相に対する質問が話題だった。

 お笑い芸人の太田光は、テレビの選挙に関する番組で、高市首相に対して、政策の成否で不成功の場合の責任はどうなっているのかと質問した。

 これに対して高市首相は、公約しているのだから、これから実現に向けて努力するのであって、失敗した場合を今から言うのは意地悪だと言った。

 そもそも政治家だし、まして大臣であれば責任は当たり前である。はぐらかしてはいけない。



 しかし太田光の質問も不適切だ。

 なぜなら責任は当たり前であるから、いくらあの時に太田光が、日本では責任の所在があいまいになりがちだと言ったところで、あくまで愚問である。だから、高市首相にはぐらかされたとも言える。それに、政策の失敗というのも意味が無い。

 あれは山本太郎議員だった。国会質問で安倍首相に言った。政策が失敗したのだから責任をとって辞任するべきで、いつ辞めるのか。

 これ対する安倍首相の答弁は、失敗したと自分では思ってないというものだった。


 政策が成功か失敗かは評価されるものだ。

 つまり評価であるのだから、その見解は別れるものだ。それで、山本議員に失敗していると言われた安倍首相は失敗したとは思ってないと言い、責任をとって辞任することを否定した。

 これと同じように、高市首相の公約が実現できてないと追及しても、あの調子だから高市首相は実現できていると必ず言うだろうし、具体的に駄目だったと言いうる根拠を突き付けても、安倍首相を引き継ぐと宣言している高市首相のことだから、安倍首相と同じようにして、責任をとる必要はないと強弁するに決まっている。


 つまり失敗の責任という質問は無意味である。

 これは他の首相でも同じことだ。もし質問するなら、その政策による結果と影響に対してどんな対策を考えているのかと追及すべきだ。

 ところが、その具体的な予想を太田光はできなかったのだろう。だから大風呂敷を広げる高市首相に対して当然の質問をしたのはいいけれど、出来なかった場合の責任などと言うしかなく、それで高市首相ははぐらかして威圧した。高市首相は酷い手を使ったが、それを使える質問の仕方をした太田光が先ず不味かった。これは不勉強に基づいた質問だと言われても仕方ない。


 では、太田光は何と言って質問すべきだったのか。

 もっと率直に高市首相に言うべきだった。「出来もしない公約ばかりで有権者を騙したんじゃないですか」と。

 
 
 

 小川淳也が中道改革連合の代表になった。

 とたんに改憲論を肯定する発言をやらかした。そして、要するに自分はこの問題でアヤフヤなのだと言い訳していた。

 しょせん中道なんちゃらは、この程度の連中の寄り合いである。


 その弁解を正当化するため小川は事実に反することを言った。

 「自衛隊に対する国民の信頼が高まっている」だから改憲論を肯定した。そして「自分は積極的ではない」と。空々しくて醜いアヤフヤさ。こうすれば選挙で票が入るということか。そんなことは無いだろう。

 それに、自衛隊に対しての認識がひどすぎる。



 自衛隊は信頼されてない。

 実際には、権力と暴力で従わせ批判を封じているだけ。これはマスメディアが取り上げないから知らない国民が多く、また知っても怖くて信じようとしないのだ。実は被害に遭っている国民は多いし、そこには国会議員もいた。自衛隊を否定していない保守派の議員が、自衛隊に関係する政策を批判した程度のことで。

 こうした自衛隊の無法を司法に訴えても不公正な対応で握り潰されるし、政治家に陳情しても野党の左派だって怖がって逃げてばかりである。


 そこへ「自衛隊に対する国民の信頼が高まっている」と、きたものだ。

 これは現実を知らないのか、それとも知っていて抑圧の側に自分は回ろうというのか、どちらだろう。小川淳也は後者だろう。今回の件の発言からすると。だから「高まっている」と言ったのだ。こんなのは事実を無視していくらでも言える言葉だし、それを肯定しないと許さないという意味にしかならない。

 どこの組織にも、権力と暴力を志向する人がいて当たり前であるから、その点は注意しないといけないという常識を持つ人は現役自衛官にもいて、それを日常生活で普通に言っている。そうではない意識が低い自衛官も多数いるというだけのことだ。


 そもそも憲法の話と自衛隊を国民がどう思っているかの話は関係ない。

 つまり小川淳也という議員は他の中道なんちゃら連中と同じで、政治的センスが欠如しているから不適切な発言をやらかすし、憲法も自衛隊も議論するほどの知識が欠如していることが、今回の発言で明らかになった。

 それを恥じないでいるのは、政治家はアヤフヤが楽で良いと思っていて、国民は権力によって従わせればいいと信じているからだ。小川淳也はファシストである。

 
 
 
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