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​炬火 Die Fackel 

更新日:11月10日

 トランプ大統領が返り咲きした。

 あんな男に投票するなんて何考えてるのかと言う人たちがいるけれど、あんな女が対抗候補者では勝てるわけがない。石破茂が駄目だからと高市早苗なんかに投票できるか、というような話である。

 これでアメリカの政治はひどくなって外交にも影響すると言っている人たちがいるけれど、ほとんど変わらないはずだ。せいぜいウクライナのタレント大統領が不安に苛まれているくらいだろう。



 そもそも共和党でも民主党でも同じである。

 どちらの大統領でも、やることは変わらない。すでに具体的に照明されているし、そうなる構造がある。すべては大資本のため。特に戦争をするため。そのための二大政党制である。

 かつてアメリカでは社会党と共産党が相当の勢力を持っていたが弾圧され、憲法違反という訴えは、司法も資本家に支配されてるので無視されたという歴史がある。


 そして日本をアメリカと同じにする策謀があった。

 だからマスコミが大々的に二大政党制のため小選挙区制にしろと宣伝した。表向きは「リベラル」で「非自民」を装い、政権交代しやすいと嘘を垂れ流した。その前から小選挙区制は改憲と軍国化ファッショの意図であると反対されてきたが、それを知らない政治的無関心層に向けて、マスコミとくにテレビとくにテレビ朝日が虚偽宣伝を連発して騙した。基礎知識の無い俄か政治好きが釣られて、アメリカの支離滅裂な外交のため日本は振り込め詐欺に騙される高齢者のような状態である。

 しかし、こういう実態は、大資本に操られるマスコミに騙されている人たちには理解不能ということである。政治オタクほど見事にひっかかって、小沢一郎から枝野幸男までの食わせ屋どもを妄信したのだった。

 これは功を奏した。


 共産党と社民党は国会で少数派になった。

 もともと少数で今も勢力が弱いというのではなく、それ相当である割に国会では弱小となったのだった。

 こうするのが最初から目的であり、対米隷属をさらに促進させて、国民は生活苦に喘ぎながら高い税金をふんだくられて、日本国民のためには使われず、大資本と軍事産業ばかり潤っているというわけである。

 

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執筆者の写真井上靜

更新日:11月9日

 スタイロンの小説『ソフィーの選択』を読了した。

 これは前に読みかけて放置していた。それを急に思い立ち最後まで読むことにした。随分と長い時間が経過していた。とても長いので、しんどかった。

 また、物語の進展のわりに説明が多いので、こういう小説は読むのが大変である。このような小説の方が好きな人もいるらしいが。



 映画化は既に観ていた。

 八十年代の公開で、ソフィー役はメリルストリープだった。小説とは違った感じである。もちろん物語が小説から端折ってあるから、その影響もあるだろう。語り部の青年と一緒に海へ行ったソフィーは、泳ぐと言って全裸になって見せるから動揺させられるが、そのあと泳ぐソフィーが死ぬつもりで沖に進むから止めるという部分は映画に無い。


 この映画は公開当時に映画館に行かなかった。

 音楽は『追憶』などの映画音楽で知られるマービンハムリッシュで、その曲をFM放送で聴いて印象的だったから、のちにテレビで放送されたさい観た。そのあと新聞のテレビ欄の投書に、カットが酷いという苦情が載っていた。観ていない友達に奨めたのに、と。

 それでビデオで再見した。テレビ放送でカットされるなら他にもっと酷いのがいくらでもあるという感想であった。しかし映画館で観て未見の友に奨めた人は、ガッカリかもしれない。


 そして今では昔と変わったと思ったことがある。

 自分で映画の製作・脚本・監督をするなら『ソフィーの選択』のような映画がやりたい。スタイロンの小説やメリルストリープの映画が特に好きではないが、このような内容の物語を一生懸命に描きたいと思う。

 かつては、やるなら活劇や特撮やコメディーやホラーがいいと思っていたけれど。 

 これは、自分がやらなくても、もっと思い入れが強い人たちがやっている、という外的要因もあるが、それ以上に自分の中で何か変わったという内的要因がある。

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執筆者の写真井上靜

 朝日新聞がくだらないアンケートを掲載したそうだ。

 不祥事ばかりの検察をそれでも信用できるかという問いに、できるという回答が多かったということで、読んだ人たちから、この回答者たちはお上に盲従しているか無知であるかのどちらか、という反応があったけれど、質問の仕方のためではないかという指摘もあった。

 もっと具体的に、検察で上司が部下の女性に性暴力をふるい組織的に隠蔽を図ったなどの実態を提示したうえで、それでも信用できるかという問いなら答えは違ったはずで、漠然と質問しても解らない人が多いはず、というわけだ。


 警察を信用して欲しいといった国会議員が再選された。

 これはもちろん平沢勝栄議員である。無実の罪に陥れられる法律だからと反対されているところへ、「警察を信用して欲しい」と、ふざけたことを言っていた。もと警察官僚としても、これは酷すぎる。

 それが再選された。裏金で自民党から公認されなかったのに。裏金で公認されなくても自民党の組織は応援し、再選されたら自民党の会派に入る。

 こんなことが「信用」というわけだ。平沢勝栄議員の発想からすると。



 もともと、密室で拷問する取り調べも「信用」だった。

 これが袴田事件のような冤罪を発生させているので、先進国並みの取り調べ可視化をすべきだと言うと、警察と検察は「信用を損ねる」と反対している。

 つまり、警察や検察の不正を押しつけることが「信用」ということだ。これと戦うべき弁護士も、まったく同じことをしているのだから、日本の司法は腐敗の巣窟という以前に法が悪いことに利用されないようがんじがらめにするためだ。この基礎を司法修習で否定しているから駄目なのだと言う弁護士がいる。けれど、かつて羽仁五郎というタレント学者で評論家が、左翼系の弁護士でさえ解っていなかったと著書で述べていたことがある。それが相変わらずということではない秩序が何たるかの基礎も全く知らないということなのだ。


 そもそも権力は信用してはならない最たるものだ。

 また、権力を信用できるなら法律など一切要らない。法律が細かいのは、権力か。

 だから国会議員もマスコミも相変わらずということにつながっているのだろう。

 



 

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