権力が信用できるなら法律は要らない
- 井上靜

- 2024年11月8日
- 読了時間: 2分
朝日新聞がくだらないアンケートを掲載したそうだ。
不祥事ばかりの検察をそれでも信用できるかという問いに、できるという回答が多かったということで、読んだ人たちから、この回答者たちはお上に盲従しているか無知であるかのどちらか、という反応があったけれど、質問の仕方のためではないかという指摘もあった。
もっと具体的に、検察で上司が部下の女性に性暴力をふるい組織的に隠蔽を図ったなどの実態を提示したうえで、それでも信用できるかという問いなら答えは違ったはずで、漠然と質問しても解らない人が多いはず、というわけだ。
警察を信用して欲しいといった国会議員が再選された。
これはもちろん平沢勝栄議員である。無実の罪に陥れられる法律だからと反対されているところへ、「警察を信用して欲しい」と、ふざけたことを言っていた。もと警察官僚としても、これは酷すぎる。
それが再選された。裏金で自民党から公認されなかったのに。裏金で公認されなくても自民党の組織は応援し、再選されたら自民党の会派に入る。
こんなことが「信用」というわけだ。平沢勝栄議員の発想からすると。

もともと、密室で拷問する取り調べも「信用」だった。
これが袴田事件のような冤罪を発生させているので、先進国並みの取り調べ可視化をすべきだと言うと、警察と検察は「信用を損ねる」と反対している。
つまり、警察や検察の不正を押しつけることが「信用」ということだ。これと戦うべき弁護士も、まったく同じことをしているのだから、日本の司法は腐敗の巣窟という以前に法が悪いことに利用されないようがんじがらめにするためだ。この基礎を司法修習で否定しているから駄目なのだと言う弁護士がいる。けれど、かつて羽仁五郎というタレント学者で評論家が、左翼系の弁護士でさえ解っていなかったと著書で述べていたことがある。それが相変わらずということではない秩序が何たるかの基礎も全く知らないということなのだ。
そもそも権力は信用してはならない最たるものだ。
また、権力を信用できるなら法律など一切要らない。法律が細かいのは、権力か。
だから国会議員もマスコミも相変わらずということにつながっているのだろう。



コメント