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​炬火 Die Fackel 

 原口一博議員の発言を製薬会社が訴える件。

 これについて大石あきこ議員が、レプリコンワクチン製薬会社が批判者を訴えるなんて許されないことだとバツ(旧ツイッター)で述べたところ、また「コミュニティーノート」がつけられた。これは参考資料を提示するものであり、反論するものではない。結果として否定につながることがあるというだけなのに、それを客観を装い反論するのは濫用である。

 このようなことが、薬品に対する疑義には必ずある。ほとんど御用研究を客観的に正しいとするものである。おそらく工作員を雇っているか、暇な社員がやらされているかと推測される。



 このたびは法的な問題で製薬会社を擁護している。

 大石あきこ議員議員が、原口一博議員の発言を訴えるなんて許されないという指摘をしたことに対し、憲法で裁判の権利が保障されているとか、名誉毀損は法的根拠があるとか、バカみたいなことをコミュニティーノートに付けるのだから、何も知らない人が付けていること明らかである。

 こうしたコミュニティーノートについては、医学と法学の両方から指摘がある。


 まず医学の観点から医師が指摘している。

 医薬品と副作用とくに新薬については、その生命にかかわる重大さと社会的責任から製薬会社のほうに説明責任があることは言うまでもなく、裁判になったら、裁判官が大企業側に天下りなどの意図で偏向しなければ、製薬会社の敗訴は確実である。

 それゆえ、そもそも訴訟を提起したことからして不当とされるべきだ。


 また法的な見地から製薬会社でなくても既に問題になっている。

 それがいわゆる「スラップ」(恫喝)訴訟というもので、大企業は顧問弁護士がいて、その費用は必要経費として税金の控除対象である。ところが訴えられた人は自費で弁護士を雇うなど巨額な負担を強いられる。法的知識を持つ人でも、多大な手間暇をとられ日常生活と業務に影響する。

 これをわかっていて、威圧するため勝敗など関係なく訴訟を提起することが横行している。これは「法の下の平等」という基本原則にも悖るものである。

 こうした経緯を受けて、大石あきこ議員は許されない訴訟だと指摘したのだ。これに対して裁判権だの名誉毀損だのとコミュニティーノートつけるのはバカ丸出しである。

 

 こうした訴訟に対しては、民事訴訟で無償の弁護人を付けるなど、個人を公的に支援する制度を作るなどの対策が必要である。

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執筆者の写真井上靜

 地上波放送で議論の『ゴジラ-1.0』は科学文明批判が欠如していたという話題だった。

 それについては先日とりあげた通りである。



 この映画の結末について、こんな解釈がある。

 あの、死んでいないわけがない女性が生きていて、負傷し入院している。それはゴジラの細胞によって再生されたからで、ゴジラに止めを刺した特攻隊崩れの男性も戦いのなかで撒かれたゴジラの細胞を浴びている、という説である。

 こう解釈できるほのめかしがあるうえ、そうでもないとあり得ない奇跡の生存だから。正しいかもしれない。



 そうなるとゴジラではなく『鯨神』である。

 『鯨神』は、官能小説で知られる宇能鴻一郎が小説家としての初期に純文学で受賞した小説を原作とした映画である。巨大で狂暴な鯨を、西洋人の宣教師は「悪魔」と言うが、日本人は恐ろしいけれど神であると考える。それを退治するのに命を賭けて、自然を克服したのではなく、鯨神との戦いで重症を負った漁師は鯨神を殺した自分は死んでから自分が鯨神になると言う。

 このように東洋的な宗教観に基づいていて、ここへ伊福部昭の音楽は民俗的な響きを轟かせる、というわけである。


 こうなると科学文明批判ではなくなる。

 そもそもゴジラの一作目は明確に文明批判が主題であり、観た三島由紀夫もそれを言っていた。ゲテモノ映画だと言う人がマスコミに多かった中で、三島由紀夫は評価していた。ちなみにゴジラが最初に出現した架空の島は、三島由紀夫が原作の『潮騒』と同じ時期に同じロケ地であった。だから三島由紀夫は観たのだろう。

 ところが宗教的になると、放射能とは関係がなくなる。



 マーヴェルのコミックと同じである。

 伝説の生物ゴジラは恐竜の生き残りのようだったが、太平洋で核実験が繰り返された後に出現すると、巨大化していて背鰭が原子炉のように青光りし、熱線を吐くと核爆発のようになる。

 よく、マーヴェル社のコミックで主役となる突然変異のヒーローと同じだ。材料にしているだけで文明批判は皆無である。

 これがハリウッド映画ならともかく、日本人の手による映画だから、時代が変わったというだけでなく監督の姿勢に批判が起きたのも当然のことだろう。

 

  

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更新日:11月11日

 トランプの対抗候補者は駄目すぎた。

 それは最初から指摘されていたことだけど、なんとかしてトランプの復帰を阻止したい人たちが持ち上げて、アメリカのマスコミは強引に称えていた。これに追従したのが日本のマスコミで、独自の取材と論調が無かった。これは相変わらずということだ。

 だから、無能な対抗候補者で話にならないということで早くからトランプの当選は予想されていた。これを信じたくない人たちが、虚しい希望的観測にしがみついていただけ。


 それで当方はテスラの株を爆買いしていた。

 これは前に買ったことがあるけれど、イマイチというところだった。しかし今回は経営するイーロンマスクがトランプに肩入れし莫大な私財を投入していたから、この甲斐あってトランプが当選すればテスラの業績が実際にどうなるかとは別に、選挙の結果をうけて期待から株を購入する人たちが大発生するはずである。そうなると値上がりするから、そこで売り利益になるよう予め買っておいたというわけである。

 おかげさまで儲かりトランプさんマスクさんありがとう、ということではない。



 こういうことをしたのは家庭の事情で金が入用だったからだ。

 なので、集り根性の人が「今晩空いてるからな」というのは勿論お断りだけど、それとは別に、痛快ということではないけれど、言っておきたいことがある。

 ここで、よくマスコミが信用できないのは嘘まで垂れ流しているからだという話をしている。マスコミは、橋下徹をあからさまな嘘で美化していたけれど、しかしゼレンスキーをもちあげてプーチンを貶めるのは真実で、なぜか急にまともな報道をするようになった、なんて奇跡はあり得ないだろう。そして噓を垂れ流すわけには共通した背景がある、ということ。


 投資アドバイザーなんて本当のことを言わない。

 だいたい、何も解らないくせに何もかも解ったふりをしている。よく銀行にいるのは、他の銀行に勤めていて定年退職したというだけだから、無能かつ無知である。仮に解っていても、本当のことは言えない。これは投資の仕事を現役でしている人も認めていた。この話も、ここで前に出していた。

 それを解らない人は、公式見解という名の希望的観測と官製デマを自分で検証できない人である。そんな人の多くは言い訳としてネットのデマとか陰謀論とかサブカルチャー用語を用いている低水準で、これにより経済的に大損のうえ、危ない予防接種で御用研究や補助金もらっている「インフルエンサー」の話を信じて自分は冷静とか科学的とか自己満足し、それで自分が死ぬにはかまわないけれど、往々にして家族を巻き込むのだから罪深い。

 

 これらが、米国大統領選挙を通じて少しは納得できた人たちがいるのではないか。 

 そうでなければ、学習能力に難があるとしか言いようがない。

 

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