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​炬火 Die Fackel 

執筆者の写真井上靜

 西尾幹二が先日死んだと報じられた時「評論家」の肩書だった。

 はたしてあれが評論をしていたのか疑わしいけれど、本業のドイツ文学では知られて無かったことは確実である。マスコミに出てくる大学教授なんて、だいたいそんなものである。

 彼が勤めていた電通大について、学生たちは何とも思ってないのかと言ってた女性がいた。あんな言動ばかりしているのがセンセイなんて、ということで。それについて電通大の卒業生が、何か言っている学生ならいるはずだと指摘していた。他の大学でも似たようなものである。



 西尾幹二は『エクセホモ=この人を見よ』状態であった。

 そのニーチェ先生は梅毒の影響で神経を侵されていたから、その著書のような言動をしていたけれど、西尾幹二センセイも原因はわからないけれど似たような言動であった。

 また、ニーチェの言動はナチズムに利用されたが、西尾幹二も民族差別発言をして恥じないどころか、ドイツ語をやったから脱亜入欧したよような錯覚をしているのが明らかだった。欧米人から黄色い猿と言われコケにされる風袋をしている人こそ、外国語を習得して名誉白人のようにふるまうものである。


 それでいて日本人としてナショナリズムを説く。

 しかし、歴史修正主義者として発言しながら、「ドイツでは」を連発していた。いつの時代のドイツなのかということになるけれど、ケントギルバートの「アメリカでは」とか、アグネスチャンの「中国では」と違い、西尾幹二は自国でないのに言うもので、ちょうど岸恵子の「パリでは」みたいだが、これに比して西尾幹二は実に品が悪かった。


 覚醒剤を打っているようだとデーブスペクターが言っていた。 

 これはデーブスペクターが西尾幹二とテレビで同席したさい、西尾幹二の態度は狂信的というより覚醒剤を打っているようだと呆れて言ったのだった。

 この覚醒剤は、ニーチェ、カント、ショーペンハウエル、といった人たちである。あのマルコムXは全部読んだが尊敬できないと言っていた。ナチズムの素になったと言われているけれど、尊敬できないのは重要でないことに議論の多くを費やしているからだそうだ。

 また、批判する対象を設定して、その批判を拠り所とするしかないという学派の典型がマルクス主義に対する批判であり、これを西尾幹二は受け売りしていた。その点でも付け焼刃ドイツ哲学の徒であった。

 

 このように、滑稽な学者のステロタイプだから大いに笑わせてもらったものだった。

  

 

 

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執筆者の写真井上靜

 「民主集中制が悪い」

 共産党を除名された人たちがよく言うことだが、これは自己弁護と責任転嫁である。それで組織を保ってきた共産党であることを承知の上で入ったのだから、そんな言い訳を後からしても見苦しいだけである。

 もっとも、その意味を理解できる知能が欠如していたのが大方だろう。



 共産党は日本最古の政党である。

 この間、権力の弾圧により転向者だけでなく死傷者も出している。戦前から戦中はもちろん戦後も続いている。そこで派閥争いなどしていられない。また、一部で派閥のような勢力があったけれど、これは徒党を組んで党内でイジメをやっていたから、こんなことはダメということになった。

 そして上意下達によって組織を保ち続けていた。


 政党は任意の運動団体とは異なる。 

 それに、政党でなくても、どんな組織も上意下達は当たり前である。てんでバラバラは民主的運営ではない。ここで、組織の上は優秀、下は熱心、というのが上意下達で組織の維持をするには必須である。これが共産党は他の政党より勝っていた。

 しかし優秀ではなかったり不熱心だったりの党員がいるのも事実で、これが問題なのである。ここで除名された人たちなんて論外である。そんな連中が、制度のせいにして自分を正当化しているのだから、話にならない。現に、そんな連中の言動は他のことでも御粗末である。


 ただし共産党から転向したら経営者になった人たちがいる。

 この人たちは、それなりに優秀な共産党員から、それなりに優秀な経営者になっている。そんなのは当たり前のことで、そもそも経済に関心があるのが左派であり、マルクス主義の定義では「政治は経済の従属物」だ。当然のこと共産党だけでなく左翼の運動団体の機関紙は経済の記事が売りで、これを読むために大学に務める経済学者も定期購読しているものだった。

 これを知らずに、平和や人権ばかりだと勘違いして『そろそろ左派は経済を語ろう』というマヌケな題名の本が出版されていた。この無知丸出し本を、れいわ新選組が拠り所にしていた時期がある。このようなウッカリのため「山本太郎は芸能界入りするため高校を中退しているから学が無い中卒」と差別的な批判をする人までいたのだ。


 

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 東京地方裁判所で飛澤知行裁判官が捏造をした事件。

 この国家賠償請求訴訟は別の裁判所に提起していたにもかかわらず、強引に東京地方裁判所に移送され、同じ東京地方裁判所の裁判官が担当することになってしまった。

 これは身内を庇うためであることが見え見えであった。



 飛澤知行裁判官の捏造とは警察官の暴力を隠ぺいするものであった。 

 腐敗で悪名高い兵庫県警の中でも特にひどい、あのベストセラー内部告発書『交番の裏は闇』で知られる東灘警察署警察官が、東京で暴力をふるった事件が訴訟になると、その暴力を「裁判所の許可を得て着衣を調べた」ことにしてしまい、この捏造を判決文に記述していた。

 この「裁判所の許可」とは何か。普通に考えれば捜査令状が発行されたということになるが、それにしても「着衣を調べ」る捜査令状というのは不自然である。本当に裁判所の許可があったのか。


 あるなら事実の開示をしてもよいと神戸地方検察庁から指摘があった。

 そこで兵庫県警に対して裁判所を通じて調べるよう調査嘱託の申立を行った。これは一月ほど前に書面が提出されていた。ところが、口頭弁論の当日、法務省の官僚たちが口頭で「調査嘱託は必要ない」と言い、それを書面で訳を説明して主張することをせず、そのうえで裁判官が空々しく「合議すると」言って退廷すると直ぐに戻って来て、「調査嘱託は不必要」と宣言した。理由は無し。正式な裁定なら理由があるはずだと原告が詰め寄ると「裁判所がしないと言ったらしない」と言い、これに原告が異議を申し出たら「記録します」とだけ言い、何も調べないで結審すると言い出したので「発言封じと事実の隠蔽だ」と原告は厳しく抗議。これに慌てた裁判官は、次にどうするかも決めず退廷してしまった。

 この様子では、裁判官の方から法務省の側に、調査嘱託に同意しないよう申し入れていたはずである。調べたら同僚の飛澤知行裁判官の不正が明白になってしまうから。

 

 陪席の裁判官は二人とも女性であった。

 そもそもこの事件は、警官の暴力という結果となったが、もともと警官の意図は暴力をふるわれた人の娘に強制わいせつ行為をするのが目的であっただろう、という指摘が女性の弁護士から出ていた。

 そういう事情なのに、女性の裁判官は、男性の裁判官と一緒になって事実の隠蔽に加担している。あの大阪地検の検事正による性暴力事件を隠蔽するため合意のうえであると言いふらした女性の同僚がいたけれど、これを彷彿させる。このことを法廷で指摘したが、女性の陪席裁判官たちは沈黙していた。

 この事件の他にも、女性の裁判官や書記官が、女性に対する性暴力の事件で、権力の後ろ盾がある男性の加害者に味方することがよくある。ひどいと嘲笑することもある。

 まったく、法曹界の女性にも杉田水脈議員のような人ばかりということである。


 今後の次第では、これら裁判官を追及する所存である。

 まだ報道に取り上げられるような段階ではないが、すでに報道関係者には周知としてある。  



 

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