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​炬火 Die Fackel 

 石破首相が防衛相だった当時。

 2008年2月19日、海上自衛隊のイージス艦と衝突した漁船が沈没し、船長の吉清治夫さんと長男の哲大さんが死亡する事故があった。

 このあと石破氏は毎夏のお盆に線香をあげに訪問している。最初は不信感を持っていた遺族も、石破氏の誠意を受け容れ、一緒にバーベキューをしたりと交流が始まった。

 このように、もともと石破氏はタカ派の政治家だが、自衛隊が国民から不信を持たれないよう誠心誠意の努力をしてもいるので、そこは高く評価されてきた。


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 ところが、こんな石破氏を非難する人達もいる。

 このようなことを防衛相がすると、自衛隊の非を認めたことになってしまう、というわけだ。非があるのは誰かとは別に、国民を守るべき自衛隊が国民を殺めてしまったことを何より重く見て、責任者として遺族にお悔やみを言いに行ったのだが、このことを「部下を守らない」と非難する。

 こういう発想は自衛隊に根強いが、もちろん警察や検察といった司法など他の公的機関にもある。排他的組織の特徴である。司法では、裁判所ももちろん、在野の弁護士会でも同じである。メンツとかコケンとかにかかわるという発想もあるし、そうではなく自分らは偉いから間違わないという妄想に囚われていたりもする。

 これを皮肉って「謝ったら死ぬ病」と、誰が最初に言ったかは不明だが、よく言われているのは周知のとおり。


 自衛隊の場合は、もう一つある。

 それは自信が無いからだ。前にここで、平和憲法に守られている最たるものは自衛隊の体面であり、これは皮肉ではない、と述べた。憲法の制約があるので出来ないと言うのは、自衛隊の不満ではなく、おかげで恥をかかずに済んでいる、というのが正直なところである。それくらい、能力に難があるから、制約がなくなったからやれと言われたら困ってしまう。やれば必ず失敗するから。これは予算が多くても金をかける点が外れているからで、組織の構造に欠陥がある証左である。

 だから今の時点でも、やって失敗している。


 それで失敗を反省し向上できるわけでもない。

 その能力も意欲も不足しているし、それ以前に失敗が多すぎて、それをちょっとでも認めたら失敗ばかりである実態が露呈してしまう。

 だから隠蔽したり居直ったりするのだ。そうでもしないと自己崩壊してしまう。このことは防衛医大の低水準にも表れている。全国の国立大で最低最悪の国立病院という評価は昔からだが、そこから脱することができない。自衛隊には、優秀な人材が集まらず、たまに優秀な人がいても組織内でスポイルされる。これにより「謝ったら死ぬ病」になる。

 それで、石破防衛相の姿勢は立派なはずなのに、それでは困るから非難する人たちがいるのである。 

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 9月30日
  • 読了時間: 2分

 「無言の帰宅」という表現がある。

 これはマスコミが乱用するので紋切型の表現というのが一般的な印象だと思ったら、ちょっと違うらしい。ある小説家が「無言の帰宅」を使ったら知らない人が文句を言ったそうだ。そんな言い回しをするより「死んだ」「遺体が自宅に運ばれた」と書くべきだ、と。

 もちろん、その表現を知らない人には意味不明に感じるだろう。それに合わせて書く必要があるかが問題である。


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 「他界した」「鬼籍に入った」という表現もある。

 これも「死んだ」という意味である。これに対して使うべきではないと言う人は、意味を知らないからではなく、知っていてのことだ。どちらも死後の世界に行ったという意味である。これに対して、死後の世界なんて存在しないから、そんなオカルト信仰の表現を日常の真面目な話をしている時に使用するべきではない、という人がいて、これは知っているから文句も出るのだ。

 これは医師が「ご臨終です」と言うのとは訳が違う。


 文学的な表現は喩えである。

 これがどんなにわかりやすくても、事務的な文書には不向きである。また、文学的な表現をする文書でも、例えば小説では、その表現を知らない人が読んでもわかる書き方であるべきだ。それで理解が深まるというより、それが読んでいて楽しくなる素だからだ。

 もちろん、そういうのを排して、内容を淡々と伝える文学作品もある。持って回った表現など気取っていて好きじゃない人もいる。だから「無言の帰宅」なんて言い回しは嫌いだと言う人がいてもいい。知らない人がいてもいい。

 しょせんは文芸なのだから、

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 9月28日
  • 読了時間: 4分

更新日:11月26日

 三重県松坂市で59歳の女性が詐欺の疑いで逮捕されたという。

 これは、収入を申告せずに生活保護を受けたからで、それを報じた地元の有力紙(三重県松坂市に限ると全国紙より影響力があるともいわれる)『夕刊三重新聞』の記事が基になっている。

 これを主婦むけサイトマガジン『シュフーズ』が受け売りのうえ不正な脚色をして流布したのだ。


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 まず、不正受給の総額が約289万円になるので「金額が大きい」と注目を集めているという大見出しで、これがネット上でブラウザに意図せずとも表示されるようになっていたことだ。これを流布させることに不純な作為を感じる。

 しかも『シュフーズ』の記事になると、元の『夕刊三重新聞』の記事と違って、不正受給の総額が約289万円に「のぼる」と記述されている。こんな記述をしていたら「金額が大きい」と受け止めるおっちょこちょいな人もいるだろう。しかも、その記事中で「大きい」と言っているとされるのは、あくまで匿名ネット民である。



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 正しく読めば、同記事は「2021年4月から2024年3月までの約3年間」に合計「37回」の金額だと説明してもいる。つまり年に約96万円、月に約8万円である。これが3年と1ヶ月分。小学生にも出来る簡単な割り算をすれば、地方で最低の生活費として生活扶助の基準になっている額である。この明細からすると289万円は「金額が大きい」とは到底いえない。単に、実は収入があるということに市役所が3年ほど気づかなかっただけである。

 それを、高額な不正受給をした人がいると報じているのだから、『シュフーズ』のしたことは虚偽の報道と言ってもいいだろう。

 

 しかも、その虚報によって59歳の女性が逮捕されたことを当然視させている。

 この程度のことなら、不正になることを当人に指摘したうえで、生活保護を打ち切り、既に渡した3年一か月分の返還を求めれば済むことである。それだけでは「だめでもともと」と不正な申請を役所にして受け取り、バレたら返せばいい、ということになってしまうとの危惧があるなら、返還にさいして利子を付けることだ。これは他のことでも公的機関がやっている。役所の単純なミスが原因であっても、市民に返還させる時は利息をつけている。それを払わなければ差し押さえする。これは税金などで情け容赦なくやっていることだ。

 ところが松坂市は警察沙汰にした。


 市が少額の問題で市民を警察に告訴するだけでも不適切である。

 しかも、その女性は警察の取り調べに対して「だましたつもりはありません」と疑いを否定しているとも記事は説明している。そこで警察は詳しい経緯を調べているということだから、それがはっきりするまでマスコミに発表することも不適切である。

 言うまでもなく、他の刑事案件でも、警察が安易に発表したり、それをマスコミが無批判に垂れ流し被疑者の言い分をろくに取り上げない報道をしたり、などということは不公正であり人権侵害になる。

 こんなことで市役所が警察に訴えていいのか、警察は追及するにしても逮捕までする必要があるのか、という批判的な記事ならともかく、そうではなくこの記事は、警察の一方的な発表を垂れ流したものだ。いちおう逮捕された人は匿名であるが。

 それを『シュフーズ』は、逮捕された人は悪質であると印象操作する虚報に仕立てたのである。

  

 生活保護の不正で昔から問題なのは暴力団関係者である。

 暴力団員が生活困窮者を装ったり、ほんとうの生活困窮者を利用したり、そうすることで生活扶助費を不正に受け取ることは、昔から生活保護制度の不正の代表格であった。だから警察沙汰になるなら、暴力団がらみであるのが普通である。

 では、この件はどうなのか。それこそ警察が調べるべきことで、だから逮捕までして追及している、ということなら理解できることだ。しかし、そうでなかったら、こんなことで警察が出るのも、それ以前に市役所が市民を告訴するのも、やってはならないことだ。


 ところが『シュフーズ』は、多額で悪質だから逮捕という脚色をして流布した。

 しかも『シュフーズ』の記事でさえ、ちゃんと読めば違うことが判る御粗末。

 その女性に悪意が無いとしても落ち度はあった可能性ならある。けれど、暴力団がらみであるかは警察が何も言ってないから不明であるし、それなのに記事は空々しい印象操作をしているのだから、その女性より『シュフーズ』のほうがよほど悪質である。

 こういう低劣で煽情的なサイト情報が、差別や弱者いじめをはびこらせるのだ。ほんとうに要注意である。

 
 
 
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