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​炬火 Die Fackel 

 立憲民主党の代表選挙への立候補を表明している枝野幸男前代表。

 9月1日に地元・さいたま市で講演し、前回3年前の衆院選での共産党などとの選挙協力について、「ものすごく反省している」と述べた。

 枝野前代表は、2021年の衆院選で、代表として共産などとの選挙協力を進めたが、敗れて引責辞任している。



 「3年前は、他党に助けてもらわないと選挙が戦えない、政権が取れないという弱っちい政党に我々は見られていた」

 「目指す社会が違うのにガッチリと組むことは、我々が目指すものが見えにくくなるという状況を作ってしまったという意味では、ものすごく反省している」

 「全国共通してどこかの党と組むことをやっている限り、政権は取れないと確信している」


 これについて他党の議員などから「失礼」という声が出ている。

 共産党の議員が言っていた。選挙協力とは他党が立憲党のために候補者を降ろしたということだ。それについて「反省」とは本当に失礼な話で、政党にとって候補者を降ろすということがどんなことか解ってないのだろうか。

 その前から新選組の山本太郎代表は怒っていた。新選組は共産党ほどの数ではないが、割合からすると降ろした候補者は4割に及んでいる。

 それでいて、自分の思い通りにならなかったから協力したのが間違いだったと公言されては、怒って当たり前だ。


 枝野幸男の言いたいことは理解できる。

 しかし同じことを言うにしても「共産党と新選組に協力してもらったのに我が党の力が足りず、両党と有権者に申し訳ない。先ず我が党がしっかりしなければ」と言うもの。枝野幸男は口の利き方を知らない。

 このように、言葉の基本的な使い方がダメでは政治家失格である。弁護士に戻るべきだ。弁護士なら、政治家と違って大勢と協力して出来高ナンボではないし、大人の社会人として口の利き方も知らないのかと言われ平気でいられる人たちの世界で生きているのだから。


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執筆者の写真井上靜

 角川歴彦氏が人質司法を追及する訴訟を起こした。

 これは前回に述べた通りである。ところが、この人質司法を正当だというのが警察と検察である。この反映を、かつて実際に観た。それは大学で刑法と犯罪学を習った教授の低劣な選民思想である。


 この白井駿という法学部教授は元検察官である。

 自分は一橋大学に在学中に司法試験に受かったから頭が良いと言っていた。そして頭の悪い庶民による陪審員なんて反対だと説いていた。

 そもそも陪審員とは法律の、専門知識ではなく事実認定で一般の常識・良識を取り入れ、官僚の独裁と暴走を防ぎ公正な訴訟とするためにある。それに反対で頭の良い人だけが司法で判断するためのものだと説く。


 刑事裁判で日本は有罪率が異常に高い。

 だから陪審員制度を導入するべきと言う意見は昔から存在した。有名なのは『逆転』で大宅壮一ノンファクション賞を受けた伊佐千尋氏である。彼は米軍統治下の沖縄で陪審員制度があったさい陪審員の一人を務めた経験を綴り、そのNHKテレビドラマ化に俳優として出演して自ら再現して見せたことでも話題だった。彼は日本の裁判官の心証など「寿司屋の勘定」と皮肉った。寿司屋の勘定は、いい加減なボッタクリで、客の身なりで判断していると、よく批判されていたが、それと裁判官の心証など変わらない。だから陪審員制度を復活させるべきだと主張していた。


 ところが白井駿教授は、日本の刑事裁判は公正だと言っていた。

 ならせなら、極端に有罪率が高いのは、有罪に出来そうになさそうだと検察は不起訴にするからだと言う。とんでもないデタラメである。例えばアメリカでは、本裁判にかけられるか予備審問を公開で行い、検察と弁護の双方の主張を聴いて、証拠があるかなど公判を維持できるか中立の裁判官が判断している。アメリカだってやっていて、しかも検察が勝手に決めている日本よりよほど公正で厳密である。そのうえで、陪審員がいて、日本のように裁判官が検察と馴れ合いで起訴されたら有罪と決めてかかることはない。もちろん陪審員に人種差別意識があって偏見による結論を出すなど問題はあるが、日本の中世と変わらない裁判よりはマトモである。


 日本の刑事裁判の八割は自白で有罪となる。

 これも昔から深刻な問題となっている。警察官僚だった亀井静香議員も言っていた。タカ派の政治家である彼でも、日本の刑事裁判が権力によって一方的であることを指摘している。弁護士の立ち合いもなく取り調べるだけでも日本は先進国ではないが、そのうえ、そこで採られ自白だけで有罪になる事件が殆どである。しばしば警官による誘導や拷問もある。録音や録画もしない。嘘でもいいから自白しないと拘禁されたまま。これが人質司法である。不衛生な場に閉じ込められて、健康を害したり死亡したりは当たり前。それでも自白しなければ警官たちが力ずくで捏造の自白調書に拇印を押させる。指を噛み切って抵抗した被疑者もいる。

 そのうえで、有罪にできなさそうなら検察は不起訴にするから、日本の刑事裁判は極端に有罪率が高くても公正で陪審員は無用であり、選ばれたエリートだけで司法は運営されるべきだ、という白井駿教授である。



 角川春樹氏は國學院を出ている。

 父の角川源義と同じ大学にしたから。実は早稲田の入試に受かっていた。偏差値からすると非常にもったいない。大学の影響なのか少し右派で宗教に凝っていた春樹氏だが、そこで儀式に麻薬はつきものだと部下に輸入させたから逮捕され刑務所に入れられてしまった。宗教の学部には日本会議系のセンセイたち。それよりは「リベラル」と自称している法学部では元検察の教授が人質司法を正当化する授業である。

 他の大学にしておけばよかったかもね。

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執筆者の写真井上靜

 角川歴彦氏が人質司法は憲法違反という訴訟を起こした。

 皮肉なことだが、仲違いした兄の角川春樹氏が不祥事で去ったあと、兄に喧嘩で追い出された弟が社長の椅子に座り、兄と同様また逮捕である。

 だが、兄とは異なる形で弟も司法の犯罪に遭った。


 兄の春樹氏はメディアリンチされた。

 逮捕されたさい、手錠をかけられてしょっ引かれる姿をマスコミの前に曝された。これについて、彼と親しかった作家の森村誠一氏は「江戸時代の引き回しでさえ、有罪が確定したあと刑場に連れて行かれるさい、その場にたまたま居合わせた人たちが目撃するもの。ところが今の日本では、逮捕されただけで罪人と決まっていないのに、マスメディアを通じて多くの人たちに対して晒し者にされ、推定無罪であるのに有罪だと印象づけている」と警察とマスコミを批判した。


 このマスコミ曝しは他にもよく有名人に対して行われた。

 そんなことを警察がしてもマスコミは無視すればいいのだが、警察に逆らって批判すると報復されるので怖いし、それ以前に著名な人なら注目が集まるからネタとして好都合ということでマスコミが大喜びで取り上げる。

 また、警察の担当者が、有名な事件を扱ったことを売りにして政界入りした例もあった。あの80年代に週刊文春の御粗末な記事で疑惑の人とされた三浦和義氏の逮捕とマスコミ曝しのさい、たまたまマスコミが来ていたのではなく、警察がわざわざマスコミを呼び集めていた。これにタモリ氏が、警察の担当者は政治に出るつもりではないかとテレビで言っていた。そして実際に出た人がいたから本当だったと三浦和義氏は言っていた。



 一方、弟の歴彦氏は人質司法を問題にしている。

 突然の逮捕で220日以上も身柄を拘束され、健康を害した。よく、罪を認めるまで釈放しないと脅し、劣悪な環境に閉じ込めて健康被害で命も危ないように追い詰めるのが、日本の刑事司法の実態である。それを歴彦氏もやられたと言う。

 この人質司法で多くの冤罪被害を産み、無罪になっても心身ともにボロボロで、目を付けられたら一巻の終わり、実際に法律違反をしているかは無関係という無茶苦茶さである。

 これを角川歴彦氏は追及しはじめた。著名人が注目を集めてくれると影響力があるので、頑張って何かしら成果をあげてくれるよう期待している。

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