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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2025年10月4日
  • 読了時間: 2分

 選挙の投票率が低い。

 国民が政治に無関心である。自分の生活に関わることなのに。日本国民は愚かなのか。

 これはマスメディアが誘導した結果だという人たちがいる。学校教育が悪いという人たちもいる。

 ほんとうの原因は憲法である。


 首相が辞任する意向を発表した。

 有権者から辞めるなと言われいても、与党内で降ろされた。次の首相は与党内の勢力争いで決められる。

 首相になりたいと立候補した人達を見ると、自民党は他に居ないのかと言いたくる。なって何がしたいかではなく、次にやりたい人たちが身内にいるという程度のこと。これではローマ法王である。それでも信者でいる人たちは勝手にすればいいけれど、国の代表者がそれと同じでは困る。


 こうして有権者は疎外される。

 これでは選挙の投票率が低くて当たり前だ。こうなる原因は議院内閣制である。日本の特性から必然的に、議院内閣制では政権内の勢力争いで首相が決まり、そこに政策は無い。

 日本に、議院内閣制は向いてないことは現実が証明している。



 天皇がいるから日本は英国に倣った制度にしている。

 その英国だって、最近増々、王制廃止の声が高まっている。日本も天皇制を廃して議院内閣制をやめるべきだ。つまり憲法を1条から変えることになる。

 こうすることで、自民党主流の祖先である薩長の野蛮な土民軍によって拉致され江戸城に監禁されてきた皇族を解放し、同時に国民も歪な制度から解放される。そうなるべきだ。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2025年10月2日
  • 読了時間: 3分

 石破首相が防衛相だった当時。

 2008年2月19日、海上自衛隊のイージス艦と衝突した漁船が沈没し、船長の吉清治夫さんと長男の哲大さんが死亡する事故があった。

 このあと石破氏は毎夏のお盆に線香をあげに訪問している。最初は不信感を持っていた遺族も、石破氏の誠意を受け容れ、一緒にバーベキューをしたりと交流が始まった。

 このように、もともと石破氏はタカ派の政治家だが、自衛隊が国民から不信を持たれないよう誠心誠意の努力をしてもいるので、そこは高く評価されてきた。



 ところが、こんな石破氏を非難する人達もいる。

 このようなことを防衛相がすると、自衛隊の非を認めたことになってしまう、というわけだ。非があるのは誰かとは別に、国民を守るべき自衛隊が国民を殺めてしまったことを何より重く見て、責任者として遺族にお悔やみを言いに行ったのだが、このことを「部下を守らない」と非難する。

 こういう発想は自衛隊に根強いが、もちろん警察や検察といった司法など他の公的機関にもある。排他的組織の特徴である。司法では、裁判所ももちろん、在野の弁護士会でも同じである。メンツとかコケンとかにかかわるという発想もあるし、そうではなく自分らは偉いから間違わないという妄想に囚われていたりもする。

 これを皮肉って「謝ったら死ぬ病」と、誰が最初に言ったかは不明だが、よく言われているのは周知のとおり。


 自衛隊の場合は、もう一つある。

 それは自信が無いからだ。前にここで、平和憲法に守られている最たるものは自衛隊の体面であり、これは皮肉ではない、と述べた。憲法の制約があるので出来ないと言うのは、自衛隊の不満ではなく、おかげで恥をかかずに済んでいる、というのが正直なところである。それくらい、能力に難があるから、制約がなくなったからやれと言われたら困ってしまう。やれば必ず失敗するから。これは予算が多くても金をかける点が外れているからで、組織の構造に欠陥がある証左である。

 だから今の時点でも、やって失敗している。


 それで失敗を反省し向上できるわけでもない。

 その能力も意欲も不足しているし、それ以前に失敗が多すぎて、それをちょっとでも認めたら失敗ばかりである実態が露呈してしまう。

 だから隠蔽したり居直ったりするのだ。そうでもしないと自己崩壊してしまう。このことは防衛医大の低水準にも表れている。全国の国立大で最低最悪の国立病院という評価は昔からだが、そこから脱することができない。自衛隊には、優秀な人材が集まらず、たまに優秀な人がいても組織内でスポイルされる。これにより「謝ったら死ぬ病」になる。

 それで、石破防衛相の姿勢は立派なはずなのに、それでは困るから非難する人たちがいるのである。 

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2025年9月30日
  • 読了時間: 2分

 「無言の帰宅」という表現がある。

 これはマスコミが乱用するので紋切型の表現というのが一般的な印象だと思ったら、ちょっと違うらしい。ある小説家が「無言の帰宅」を使ったら知らない人が文句を言ったそうだ。そんな言い回しをするより「死んだ」「遺体が自宅に運ばれた」と書くべきだ、と。

 もちろん、その表現を知らない人には意味不明に感じるだろう。それに合わせて書く必要があるかが問題である。



 「他界した」「鬼籍に入った」という表現もある。

 これも「死んだ」という意味である。これに対して使うべきではないと言う人は、意味を知らないからではなく、知っていてのことだ。どちらも死後の世界に行ったという意味である。これに対して、死後の世界なんて存在しないから、そんなオカルト信仰の表現を日常の真面目な話をしている時に使用するべきではない、という人がいて、これは知っているから文句も出るのだ。

 これは医師が「ご臨終です」と言うのとは訳が違う。


 文学的な表現は喩えである。

 これがどんなにわかりやすくても、事務的な文書には不向きである。また、文学的な表現をする文書でも、例えば小説では、その表現を知らない人が読んでもわかる書き方であるべきだ。それで理解が深まるというより、それが読んでいて楽しくなる素だからだ。

 もちろん、そういうのを排して、内容を淡々と伝える文学作品もある。持って回った表現など気取っていて好きじゃない人もいる。だから「無言の帰宅」なんて言い回しは嫌いだと言う人がいてもいい。知らない人がいてもいい。

 しょせんは文芸なのだから、

 
 
 
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