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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 7月3日
  • 読了時間: 3分

 日本弁護士連合会(日弁連)の会長が死刑執行を批判する声明を発した。

 これは先日の死刑執行が外国から批判されたことを受けてのことだ。前から日本の司法は諸外国から批判されることが色々とあり、その一つが死刑制度である。制度自体とともに法の運用も問題であるからだ。その最たるのは冤罪である。あの袴田事件でも捏造証拠による冤罪であることが明らかとなっているが、このような冤罪事件は昔から何度も起きていて、一向に解決できない日本の司法という現実がある。

 これだから、昔から日弁連は死刑を批判してきた。


 ところが、これを批判する弁護士がいる。

 よく、昔から、人権抑圧になる法案であると言って日弁連が政府を批判すると、これに対して政府の側に付いている弁護士が反対してきた。弁護士が加入を義務付けられている弁護士会が政治的中立を破ったと言って。もちろん、司法の命題は政治の命題と違って価値観ではなく正否で決まるものだから中立はありえないのだが、こうした常識をわきまえない弁護士は常にいて、そういう弁護士は政府の側に付いているものだ。

 そんな権勢に媚びる弁護士は弁護士として失格であるが、商売は自由である。したがってその種の弁護士の言う意見など誰も聞く耳持つことないのだ。無視に限る戯言だから。

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 この死刑執行に対する批判の声明に対してまでケチをつけた弁護士がいる。

 やはり、強制加入の弁護士会で勝手に意見を言うなと騒いだ。しかし、これはとっくの昔に決着が付いていることで、意見の違いなど存在しない。すでに司法の見地からは、死刑廃止は正しく、死刑存続は間違いとなっている。それでも存続させたいと言っているのは政治的な意図からのものである。

 実際に、弁護士や法学者が死刑に賛成していると、その言い分はことごとく政治的な意図からのものだ。だから死刑制度の問題などまったく踏まえておらず、素人むけに感情論を説くだけである。

 つまり、日弁連会長と違う意見を個々の弁護士が言うのは勝手だというだけのこと。


 なにより重要なのは、あくまで日弁連会長の声明でしかないことだ。

 だから日弁連として具体的に何かするわけではない。このような日弁連の声明は、例えば大江健三郎のような進歩的文化人の平和とか反核とかの声明と同じで、格好つけてるだけでなにもやらない。

 それを充分に解っていて、日弁連会長を批判して見せている弁護士もいる、という程度のことである。だいたい弁護士のすることなんて所詮そんなもんである。日弁連会長の声明およびそれを批判する弁護士どちらも、進歩的ぶってるだけ、権勢に媚びているだけ、というそれぞれの理由から軽蔑するべきなのだ。 

 

 

 
 
 

 大学の教員や元職の人たちが文科省を批判している。

 これは、自民党の排外主義者たちの働きかけにより、外国からきた留学生への公的援助をなくすという国粋主義のことだ。もともと外国からの留学生は、国内の研究に参加して多大な貢献をしていた。そうした学問上の事実を知らない人達による単純バカ的な発想であるから、批判は当たり前である。

 あの学術会議のことでも、現政権の反知性主義は度し難く、国を滅ぼすものだ。


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 日本で博士号を取得する人が減っていることも背景にある。

 それで外国から来た人ばかりの印象になって誤解している人たちがいる。だから博士号の取得者を増やすべきだと説く元大学教員がいた。

 それによると、博士号を取得すると大学に勤める以外の就職が乏しくなるから、これでは博士号取得者が減って当然だと言うわけだ。そして、諸外国では勤め人に博士もいるのが普通なのに、日本は公官庁も民間企業も博士を疎ましがる風潮だから、それなら博士を一定雇うよう義務付ける法律を制定するべきだという。


 それより費用が原因だという指摘もある。

 そもそも大学の学部でさえ金がかかって大変、この段階で諦める人がいっぱいいるのだから、大学院に進んで修士さらに博士の過程に進める人など、ごく少数の恵まれた人たちである。

 その後の就職を心配する前に、学問に関心が強くても諦める人ばかりというのが昔から今までの実態である。だから、そんな富裕な家庭の恵まれた人など就職しなくていいはずだ、大学の研究でもやっていろ、と言う人たちが多くなる。これでは就職など無いに決まっている。

 これを解決するのが先だろう。


 中学の時に受験の数学を習った人が博士号をもっていた。

 この人は自分が工学博士だと言っていた。それで「ポスドク」として研究ではなく受験の指導を仕事にしていた。それはいいけれど、この人の数学の授業は解らなかった。誰もが解りにくいと言っていた。ところが、その時は難解だけど、自分が大学に進んでから、その難解だった話を思い出すと簡単に理解できるし面白いのだ。もちろん、そんなことより入試が迫っている時は手っ取り早く受験の対策をして欲しいものだから、後で面白くなる話など正直言って迷惑だった。

 しかし、この、後から面白さが解かることなど知らない人たちが今の政権与党に多いということだろう。だから知的好奇心など無駄としか考えられない。ついでに反知性主義もはびこる。その結果が、このところの無茶苦茶な立法と行政なのだ。


 


 

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 7月1日
  • 読了時間: 2分

更新日:7月1日

 自衛隊のP1が役に立っていない。

 海上自衛隊の初の純国産哨戒機「P1」の運用状況を会計検査院が調べたところ、エンジンの不具合などにより一定数の機体が任務で飛行できない状態だったそうだ。

 この機で2023年度までに生じた国の支出は計1兆7766億円。検査院は「多額の国費が投じられており、防衛省は改善に取り組む必要がある」と指摘したとのこと。


 危機感を煽っておいて、この実態である。

 もっと前から、この哨戒機は計画されていた。そして最近では中国の潜水艦が日本の近くに出没していると騒いでおいて、それに対処するはずの海上自衛隊で、一部の哨戒機が飛行できなかったり情報収集の機器が使えなかったりで任務を遂行できていない、という実態が判明したわけである。

 この煽られた危機感が嘘だという指摘があるけれど、嘘でないなら、この自衛隊の御粗末は日本にとって危機的状況であるし、あるいは自衛隊としては嘘のつもりではないという程度のことだとしたら、この御粗末は自衛隊が危機的状況である。


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 P1の開発には義理の姉の夫が関わっていた。

 そして、できたと思って飛ばしたら胴体がボキッとか初っ端から色々あり、おかげで夫は大忙し大慌てだと聞いたことがあったけど、やっぱりという感想である。

 その夫の話だと、P1は主に川崎だが部品によって他社のもので、得意分野によって発注している。零戦の設計が三菱でエンジンがスバルとか、アメリカではF22が部品によってボーイングだったりロッキードマーティンだったりするとか、ロシアでSU57が主にスホーイだけど部品的にミグなのと同じことだそうだ。

 それを仕切るのが結構大変らしい。その点で不備があったのだろうか。

 

 この哨戒機は前から国産できるという話だった。

 ところが何故かアメリカそれもロッキード社から買うことになり、その時ちょうどロッキード事件があったので、もしかして賄賂かと噂された。だからそのP3Cは対潜哨戒機ではなく対銭紹介機と皮肉られた。

 ところが国産にしたら、この通りあまり上手くいかないという現実。自衛隊に関係することは 自国で出来るはずなのにやってみたら駄目だったことが他にもある。それで自信がないからやらないのに「憲法の制約」という決まり文句で誤魔化してばかりいるのだ。つまり平和憲法に守られている最たるは自衛隊の面子である。

 
 
 
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