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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 7月6日
  • 読了時間: 2分

 By whom

 この「何によって」を知ったのは、中学の時にやった有名校の入試過去問題だった。あのときまだ学校で習ってなかったうえ疑問文と受動態というのが初心者にはややこしかった。

 これが入試で出題された学校という意味で問題文の下に(ラサール)と記載されていた。変わった学校名があるものだと思った。これが最初だった。


 ラサール石井さんは卒業生だそうだ。

 それで、そんな猛烈受験校を出たという意味で芸名にしているのは周知のとおり。それだからなのか、最近の大学入試の問題文はどうなっているかという話題を、ラサール石井さんは旧Twitterの旧アカウントで取り上げていた。

 そこで、自分も大学入試の問題集を大量に書店で買い込んでやっているという話をしたら、ラサール石井さんは「がんばってください」と一応エールを送ってくれた。


 大学入試の問題集などは普通の書店に置いてない。

 高校入試と違って、大学入試の問題集などは大型書店でないと扱ってないのだ。それで大型書店に行き「爆買い」した。

 その大型書店=紀伊国屋書店は、大量に買うと持ち帰るのが重いから送料を書店負担で送ってくれるサービスをしている。それで「大人買い」したものを送ってもらい、全部やった。

 

 その時に気づいたことがある。

 よく受験勉強というと嫌なことだと感じる人がいるけれど、親に邪魔されないで受験勉強できるのが、こんなに楽しいとは思わなかった。純粋に勉強が嫌いな人もいるだろうけど、結構なほど多くは、親に邪魔されるから嫌になっているものだ。自分の子供を見下したり蔑んだりしている親は、そんな子供が受験勉強も含めて何か一生懸命に何かしていると、憎むのだ。

 

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 ラサール石井さんは大学に受かったら通うつもりだと言っていた。

 それは、芸能活動をしながらなので、通うことまで計画していない、ということで、だけれど受験勉強には入学する目的があるのだから、受かったら通うのは当然のこと、ということなのだろう。

 また、このたび彼は思うことあって選挙に立候補したが、それもまずは社会に訴えたいというのがあるのだろうけれど、当選したら議員として活動するつもりみたいだ。

 そちらの方が入試より緊急の課題ということなのだろう。


 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 7月5日
  • 読了時間: 2分

 筆記試験だけの入試を維持すべきという人がいる。

 これは公平だから、ということだ。もちろん筆記試験が出来るかは家庭環境などの影響があるので、偏差値の高い大学ほど親が富裕であり、これは傾向どころか正比例していると言って良いほどだから、これでは公平じゃないと言う人もいる。

 しかし筆記試験だけなら、誰でも頑張れは出来るのも現実だ。


 これは米山隆一議員も言っていた。

 あの人は、自分の通った高校が猛烈受験高であるのを売りにする灘高校であるから自分は違うけれど、そうでなく片田舎の学校に通ってひたすら受験勉強することで東京大学に入ることも不可能ではないから、そこが筆記試験だけの入試の良いところだと言っていた。

 実際に、彼と同い年の岡口基一もと判事は、地方それも結構な田舎の偏差値50を切る高校から東京大学に入ったので、大学より高校を自慢していた。高校それ自体ではなく、そんな高校から一流大学の頂点に入ったという自慢である。


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 これは、少ないけれど可能性があるだけマシということだ。

 そのおかげで、高校卒業など大学入学の資格があれば誰でも、大学の入試を受けることができる。事情あって遅れて大学に入ろうという人も、筆記試験だけのほうが良い。

 これが、高校の推薦でないと大学に入れないとなれば、もっと不公平である。筆記試験が出来るようになるのも家庭が富裕な人ほど有利とはいえ、それはあくまで有利ということであって、推薦入試のように枠からはみ出したら可能性が無くなってしまうわけではない。

 

 もともと、推薦や面接は、意欲ある人や優秀な人を、排除するものだった。

 さらに内申書や調査書も加わり、思想信条を学問に介在させるためのもので、こうして入試が政治的に決められ、そこから教師が生徒・児童に対して恐喝が行われ、暴力やセクハラが横行し、そこから逃れられるから、筆記試験だけの入試は貴重だと昔から言われてきた。

 しかも最近では、金ばかりかかる民間の模試の試験を入試の選考に入れようという異常さである。

 そうしてみると、筆記試験だけというのは公正という見地から実に貴重である。

  

 
 
 

 参政党の立候補者が「都民ファースト」がよくて「日本人ファースト」が駄目なわけが解らないと演説していた。

 実際の小池都知事の政策は別にして、都民ファーストとは東京都に住んでいる人の生活を優先に考えた政策という意味であるが、それに対して、日本人ファーストは日本に住む人の生活を優先にしたものではないから駄目なのである。

 もしも日本に住む人の生活を優先に考えるという意味なら、都民を全国にして国民ファーストと言うはずである。


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 それなのにわざわざ日本人ファーストと言う意味は何か。

 もちろん排外主義であり、外国人ヘイトである。これは実際に参政党が言っていることである。だから、いくら自公政権を批判していても、それは、外国人を憎み排斥するべきなのに現政権は甘い、という意味でしかない。これは政治が悪いと言いながら、その政治を正すのではなく外に敵を作り攻撃して八つ当たりというもので、とうていまともな政策ではない。

 だから、もしもこれを逆に東京に当てはめると、地方から来た人を東京から追い出せという、あの埼玉県をコケにする漫画とその映画化と同じことになる。ただし、その埼玉県をコケにしているのはギャグだけど、国政の場で日本人を優先だと言うのには、笑ってなどいられない危険な発想だ。

 

 トランプ大統領のアメリカ優先とも違う。

 あれは一種のモンロー主義である。アメリカは外国に口出し手出しをしすぎている。それでいて自国が疎かである。だから、他国のことより自国のことをきちんとやるべきだと言うことだ。

 それでトランプ政権がしていることはどうなのかというと話は別で、やはり内政の問題から外に目を背けさせることをしているが。

 そういう区別ができないから、参政党の人達はなぜ自分らが批判されているか解らないのだ。


 参政党は明らかにファッショである。

 ところが参政党は自公政権を激烈に批判的していて、まるで左派の団体かと間違えそうである。実際に間違えて支持している人もいる。

 これは右翼活動家の赤尾敏もと代議士が言っていたことだが、ファッショこそ烈しく権力に盾突くもので、彼自身がまさにそれで、もう四回も牢屋にぶち込まれた経験がある、と言っていた。石原慎太郎を批判してのことだ。石原慎太郎は一度でも牢屋に入ったことがあるか。いつも日の当たる場所でぬくぬくしているくせに、ということだった。

 では、参政党はの人たち、これから牢屋に入るのだろうか。

 

 
 
 
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