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筆記試験だけの大学入試は有益

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 7月5日
  • 読了時間: 2分

 筆記試験だけの入試を維持すべきという人がいる。

 これは公平だから、ということだ。もちろん筆記試験が出来るかは家庭環境などの影響があるので、偏差値の高い大学ほど親が富裕であり、これは傾向どころか正比例していると言って良いほどだから、これでは公平じゃないと言う人もいる。

 しかし筆記試験だけなら、誰でも頑張れは出来るのも現実だ。


 これは米山隆一議員も言っていた。

 あの人は、自分の通った高校が猛烈受験高であるのを売りにする灘高校であるから自分は違うけれど、そうでなく片田舎の学校に通ってひたすら受験勉強することで東京大学に入ることも不可能ではないから、そこが筆記試験だけの入試の良いところだと言っていた。

 実際に、彼と同い年の岡口基一もと判事は、地方それも結構な田舎の偏差値50を切る高校から東京大学に入ったので、大学より高校を自慢していた。高校それ自体ではなく、そんな高校から一流大学の頂点に入ったという自慢である。


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 これは、少ないけれど可能性があるだけマシということだ。

 そのおかげで、高校卒業など大学入学の資格があれば誰でも、大学の入試を受けることができる。事情あって遅れて大学に入ろうという人も、筆記試験だけのほうが良い。

 これが、高校の推薦でないと大学に入れないとなれば、もっと不公平である。筆記試験が出来るようになるのも家庭が富裕な人ほど有利とはいえ、それはあくまで有利ということであって、推薦入試のように枠からはみ出したら可能性が無くなってしまうわけではない。

 

 もともと、推薦や面接は、意欲ある人や優秀な人を、排除するものだった。

 さらに内申書や調査書も加わり、思想信条を学問に介在させるためのもので、こうして入試が政治的に決められ、そこから教師が生徒・児童に対して恐喝が行われ、暴力やセクハラが横行し、そこから逃れられるから、筆記試験だけの入試は貴重だと昔から言われてきた。

 しかも最近では、金ばかりかかる民間の模試の試験を入試の選考に入れようという異常さである。

 そうしてみると、筆記試験だけというのは公正という見地から実に貴重である。

  

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