面白いのは渡辺恒雄より水野成夫の方
- 井上靜

- 2024年3月20日
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日本共産党を追放された人たちは、追放して良かった人ばかりだった。
その最たるは有田芳生であるが、自分から出て行った人たちでも、過激派と野合して連合赤軍となり殺人事件を起こした人たちなど、居なくなってくれて良かった。
では、戦前に弾圧に屈して変節した人たちは、どうか。
戦後の例、読売新聞の渡辺恒雄は、実は語ったところで面白くない。
この人は、早坂茂三と同じで単純だから。早坂茂三は新聞記者をしていた時に、取材した田中角栄と意気投合し、誘われて秘書となった。渡辺恒雄も中曾根康弘と意気投合した。仲間が出来たから嬉しくてそっちに行ったということは、もともと思想信条など付け焼き刃だったからである。
面白いのは水野成夫の方だ。
商売でプロ野球に熱心な関与をしたことでは渡辺恒雄と同じである彼は、そもそも1928年2月1日の『赤旗』創刊時の編集長を務めた、日本共産党幹部の一人である。ところが、同年3月15日の大弾圧で検挙されると獄中で変節し「転向」表明の第一号となった。
その後、フランス語の翻訳者を続けた後、1940年に変節仲間の南喜一と大日本再生紙という陸軍御用達の会社を設立し、それ以来、戦後もずっと会社経営者の道を歩む。経営者としては優秀だったようだ。
この会社設立の時に陸軍省側の担当事務官をしていたのが、1957年にフジテレビジョンを水野とともに設立することになる鹿内信隆である。
フジ産経グループを作ったのは変節した元日本共産党員と、元帝国軍人である。

水野は政治活動で失敗したと自認していた。
弾圧を受けて転向したが、その後も体制内で平等な社会を目指す政治活動を続けるつもりだったが、その組織は瓦解してしまい、挫折を味わっている。失敗を繰り返したため止めて、もうやらないと言っていたそうだ。
しかし逆に弾圧する側に回ることは、やる必要がないはずだ。しかし水野成夫は鹿内信隆と共に経済同友会や日経連という財界団体で、戦後しばらくの産別会議の激しい階級的労働運動と闘っている労働者分断支配のエキスパートであった。
まるで遠藤周作の小説である。
この『沈黙』は映画などで知られているが、日本の基督教徒弾圧を甘く見て来日した宣教師たちが挫折し転んで、基督教を取り締まる仕事を死ぬまで続ける。
前に、『沈黙』を再映画化したマーチンスコセッシ監督は、この映画を観ると遠藤周作の小説に描かれる日本の基督教弾圧をアメリカのマッカーシズムのように見ているようだが、実際には日本において遠藤周作はマッカーシーの側にいる右翼文化人であった事実を知らないだけでなく、小説の意図を読み取れていないという話題を取り上げた。
もっとも、日本でも読み取れていない人が殆どだ。しかし水野成夫と併せて見れば理解しやすいのではないか。



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