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  • 執筆者の写真井上靜

自殺した芸能人と追いかけるマスコミ

更新日:2020年8月1日

 ある芸能人の自殺が報じられた。

 そこへ、過去に自殺した芸能人を羅列して、何か意味ありげにツイートしているマスコミ人がいた。原因に共通点があるなら意味あるけど、病気を苦にしての自殺など一般人と特に変わらないことだった。共通点は芸能人であることだけ。芸能人の自殺がよほど珍しいという話でもない。何の意味があるのだろうか。

 また、相変わらずマスコミが実家に押しかけたりインターホンを押したりの厚かましく不謹慎な行動に対する批判も挙がっていた。

 これについて、あるフリーランスのジャーナリストが、そんな行動力は政治家や官僚の不祥事の際にこそ発揮すべきだと指摘していた。

 しかし昔テレビで大橋巨泉氏が「突撃レポートを芸能ではなく政治や経済でやるべき」と言ったけれど、すると多くの芸能レポーターが「こっちは政治や経済の記者になれなかった落ちこぼれだから、仕方なく商売になりやすい芸能人の追っかけをしているのだ」と反論した。

 だから批判すべきは、芸能記者ではなく、政治経済記者たちの怠慢である。

 かつて『コミック雑誌なんていらない』という映画があった。今ではアカデミー受賞者の滝田洋二郎監督が、低予算のピンク映画ばかり撮っていたけれど社会性のある映画を撮った最初の作品である。

 この主人公はワイドショーのレポーターとして芸能人を追いかけまわしていたが、早稲田大学政経学部卒でジャーナリストになりたくてテレビの業界に入り、ウォーターゲート事件を追及したワシントンポストの記者を尊敬していると言っていた。だが、筑紫哲也のようになりたくて、なりそこなったとテレビ局の人たちに笑われていることを知ってしまい苦悩する、という話だった。

 では落ちこぼれでない人たちは何をやっているのか、というのが問題だ。これはマスコミだけの問題ではない。他の職種でも、落ちこぼれてないはずの人たちは何をやっているのだろうか。

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