本を読んで損しただけなのか
- 井上靜

- 2021年11月23日
- 読了時間: 2分
90年代に書かれた社会科学系の本を何冊も再び読みなおした。
あの当時に書かれた本は、この先の世界はこう変わるという予測をすることが流行していた。それで当たっている本は無い。政治も経済も、時勢につけこんで主観的な願望を語っているものは最初から嘘であることはもちろんだが、冷静に歴史的な分析をしているものでも、そこから先を推定すると外れてばかりである。これがあまりにも酷いので、過去の分析も実は間違っていたから、未来の予想も当然ながら当たらないのではないかと思ってしまう。
これに比べるとSF小説の方がはるかに当たっている。
ただし、科学的な発展は予想が外れてばかりである。これは昔から指摘されていることだが、そう簡単に短い間に科学が発展することはありえないからだ。しかも、そのうえ人間の限界があって、体力も知力もせいぜいこの程度で終わりということが解ってきた。
ところが、社会が危ない方向に進んでいくという点では、ことごとく当たっている。今の現実で誰にとっても好ましくないことは、昔のSF小説で描かれていることばかりだ。
前に雑誌で読んだ漫画で、こんな場面があった。
将棋やチェスの手は考え尽くされてしまったので、それを総て組み込んだコンピューターには名人でも勝てない。しかし、その将棋ゲームのソフトをプログラムした人は、あまり将棋の手を知らなかった。それを知っている人が、自分の方が知っているから楽勝だと思って試す。やはり簡単に勝てそうだった。ところがそこへ「地震だ」という字が画面に出て、画面が揺れて駒が滅茶苦茶になる。それでゲームオーバー。

これはギャグとして描かれていることだが、この調子で現実の世界も動いているのではないか。それで空想とかフィクションとか言われる話の方が、よほど実現しているのではないか。



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