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昭和三十年代生まれのネトウヨ

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年12月26日
  • 読了時間: 2分

 バツ(エックスともいう)でネトウヨに絡まれた。

 もちろんネトウヨだからバカまるだしで下品だったが、そのアカウントの自己紹介によると昭和三十年代生まれで結婚相手を募集しているとのこと。

 いまさら何を言っているのかと思うけれど、よく老人が俄かにネトウヨを始めるのは、安易な内容の程度が低い発信で同類が集まるから孤独を紛らわせるためらしい。

 それで結婚相手とは、どういうことか。


 もしかしたら杉田水脈のような女性と知り合えるとでも?

 まあ無理だろう。ただ、昭和三十年代生まれの男なら三原じゅん子なら、まだ合うかもしれない。なぜなら、杉田水脈は昭和四十二年生まれだけど、三原じゅん子は昭和三十九年生まれだから、ギリギリ昭和三十年代生まれである。

 昭和三十九年と昭和四十年では、決定的に異なる。



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 昭和三十年代と昭和四十年代は、三十九年と四十年でキッチリ分かれるのだ。

 それは日本の社会が昭和三十年代と昭和四十年代とで別の時代のようになるからだ。あとの1970年代と1980年代も違うが、昭和三十年代と昭和四十年代のように明確に区切られて世代が分断しているのは、他にない。だから昭和と平成など大したことないし、昭和三十年代と昭和四十年代より明確な違いは、その前の戦前と戦後まで遡らないと無い。

 

 まずテレビが普及した。 

 これを利用して、ヤラセの「テニスコートの出逢い」と皇太子成婚というプロパガンダがテレビで大々的に流されたり、さらには東京オリンピックによってカラーテレビが決定的に普及したり、ということがあり、その後、中東戦争の影響による石油危機であっさり破綻したが、高度経済成長があった。

 だから、昭和三十年代の思い出となると社会が全体的に貧しかった中でのささやかなノスタルジーだったが、昭和四十年代の思い出となると途端に物質文明がらみになる。この反映で、子供の遊びも、昭和三十年代には何でどう遊んだかであったが、昭和四十年代になると何を持っているか、特にテレビで宣伝しているもの、ということが主な話題になった。

 

 これは三原じゅん子と杉田水脈の言動にも反映している。

 だから昭和三十年代生まれでネトウヨやっている孤独なオッサン(ジーサン)は、三原じゅん子ならまだしも杉田水脈とでは話が合わないはずだ。杉田水脈は子供のころに見たテレビのアニメなど子供むけ番組をネタに程度の低いネトウヨ発言をしているが、昭和三十年代生まれの男は公園で紙芝居を見ていたのだから。

 
 
 

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