捏造とばかり言えない高市内閣の高支持率
- 井上靜

- 10 時間前
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高市内閣の支持率が異様に高い。
そこで言われていることがある。あんなに政策が無茶苦茶なうえ国会答弁で失言までやらかしているし、実際に庶民の生活が苦しく、その原因は国の政策にある、というのに異様な高支持率であるのは、マスメディアが捏造した数値を発表しているのだ。そう言う人たちがいるし、そう思いたくなって当然のことである。

しかし異様な数値だから捏造とは言えない
こういうことは、過去に何度もあった。ただ支持率が高いのではなく異様な数値である場合、支持している人達には具体性が無いものだ。漠然としていて、何か目新しいことがあるだけで、それに付和雷同する人達がいる。こういうのが異様に高い高支持率の構造である。
この支持者たちとは違い、内閣に批判的な人達の言うことには具体性がある。しかし漠然と付和雷同で支持している人達は、具体的で根拠のある指摘に耳を貸さない。
そんな場合に批判を封じるための常套手段がある。
ほとんどの人達が支持していることを批判するのは悪であると言う。最初は天邪鬼だと言い、次は難癖やケチをつけたがる人だとか批判ばかりとか言い、挙句には非国民さらには外国のスパイだから取り締まるべきだと言う。
こうして、国と国民のことを本気で危惧する市民が迫害される。支持率の異様に高い数値はファッショだと言われるが、それだけではファッショでない。そうなると必ず、冷静に立ち止まって考えるべきだと言う人たちの言論が弾圧されることになり、怖い雰囲気から仕方なく迎合して支持する人たちが、一般市民にもマスメディアにも出るから、それでファッショになる。
これが高市内閣の異様に高い支持率の図式である。
つまり、マスメディアが捏造しているだけなら、まだ怖くないのだ。マスメディアの信頼性と社会的への影響力は、かつてに比べると格段に低下しているのだから。
ところが、考えないで支持する人と迎合する者たち、そうでないと非難されて、それに権力が付け入って批判は弾圧にかかる、という図式だから怖いのだ。



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