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文系の処世術は昔から曲学阿世の権力すり寄りと盗作

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年5月23日
  • 読了時間: 3分

更新日:2021年6月23日

 ある出版社のサイトに掲載または転載された論文について、大学の教員らが、趣旨には反対ではないが細部に難があると指摘していた。


 その趣旨とは、かつては人文系の大卒者の男子が「リベラル」を担っていたが、それが最近になって変わってしまい、すっかり消え失せたというものだった。

 しかし「リベラル」という言葉は幅が広く曖昧だから、学術的には使用できないという指摘があり、またリベラルを進歩的とか微左派とかいう意味だけに解釈しても、それが昔は人文系の大卒者たちに多かったとは言えないのではないか、と疑義を呈する人文系の大卒教員がいた。


 この大学教員の指摘は、いわゆるノンポリだった人たちが後から漫画の小林よしのりみたいになったか、その影響を受けたというもので、まあこれは事実だが、それよりもっと前からのことであり、このことはかつて野坂昭如や筑紫哲也が指摘していた。

 そして大学の文系ということでは、野坂や筑紫が指摘していたのと同じ80年代の前半から、竹村健一が処世術として説いていた。現都知事の小池百合子は、かつてテレビで竹村のアシスタント役だった。


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 あの当時、各マスコミによるアンケートの「時代の寵児」は誰だと思うかという問いで一番を複数とったタレント世相講釈師の竹村健一が、世俗的な成功を目指す若者を読者層に設定した雑誌に連載をしていた。

 ここで彼は、ある大学生の「私は文系学部の学生です。文系は役に立たないから就職が無いと言われていますが、どうしたらいいでしょうか」という悩み事を相談されると、「ボクは京都大学の文学部卒やから、キミたちの良い手本になると思う」と説いていた。


 これで「なるほど、文系の処世術は権力に媚びたり盗作したり、なのか」と思って見習った人は多いはずだ。

 また、大企業はよく竹村健一に社内講演させて、人文系が役に立つとしたら体制に奉仕することだという趣旨の曲学阿世を、社員たちに刷り込んでいた。

 その一方で、竹村健一はビジネス書を出したら経済誌の記事の丸写しだったことがあり、竹村は謝罪したが、竹村式処世術からの必然だと批判された。


 この盗作騒動はテレビのお笑い番組でネタにされていたし、当時公開された邦画のワンシーンでは大学の講師が学生に「君のレポート、ほとんど引用ばかりで盗作と同じだ。単位はやれんね。だいたい、この一九分けのセンセイの論文だって、本当は盗作なんだ。この男にはオリジナリティがまるで無い」というセリフがあり、映画館で笑いが起きていた。「一九分け」の髪形をしている人は他にもいるが、竹村健一は代表格といってもよく、そのうえ盗作とくれば明らかだった。


 もちろん、もっとひどい盗作なら理科系や芸術系でよく聞くことだし、医療裁判で問題の医師が博士号を所持しているのに詳しくなくて変だということになったら、その論文は他の医師がゴーストライターしていたというのが真相だったことまであり、この危なさに比べると他の分野などたいしたことではない。

 しかし、ここで問題なのは権力にすり寄る人の処世術ということだ。ベストセラーだけど権力にすり寄りながらパクリということでは、最近では百田尚樹や門田隆将といった人たちが、よく指摘と批判を受けている。


 そういうことだから、昔と今は違ってなどいない。意識的であったり無意識的であったりするが、先人たちを見習っている人が多数派となっているのである。


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