top of page

批判ではなく対案をと言っていい場合いけない場合

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2020年6月22日
  • 読了時間: 2分

更新日:2021年6月24日


 これは一般的にどんな物事に対しても共通するが、解かりやすくするために具体例を挙げて説明する。

 安倍内閣は、自衛隊に敵基地攻撃能力を保有させようと考えている。これに対し、お互いに「やられる前にやれ」では逆に危険があるという批判が出ていて、また自衛の範囲を逸脱しそうで憲法の規定から問題が指摘されている。

 これを報じた朝日新聞に対し、高橋浩祐がツイッターで中傷した。同紙の記事は危険性を指摘しているが、これに対し北朝鮮が「ガンガン」新型ミサイルの開発をしているなどの例を挙げて、日本の防衛をどうするか敵基地攻撃に反対するなら「現実的な代替案」を出せと言う。

 この人は芸能プロに所属するテレビタレントとしてコメンテーターのようなことをしている。

 だから商売で軍拡を煽っていて、そのさい現実性の無い勇ましいことを軽々しく言い散らす「空想的軍国主義者」だが、それにしても安保体制で米軍に庇護されてるという意味で「お釈迦さまの手の上」と喩えて安保どころか『西遊記』を知らないことを露呈させるなど、その無知にはいつも啞然とさせられる。そうでなければ低劣なテレビに出られないのだろう。

 このように、大変つきなみで当を得ていない誤った政治認識を、あたかもシビアな現実であると錯覚し、紋切り型で脅威を煽りながら、軍拡への批判に対して「現実的な対案を出せ」のワンパターン論法は時代遅れである。

 そもそも前提が間違っているのに対案もへったくれもない。「いや、間違ってない」と言うべきところで「現実」だの「対案」だのは反論できない者の逃げだ。

 つまり、ほんとうは、共通の認識に立ったうえで意見は異なる場合に、批判ではなく対案でないと建設的な議論にならないと言うものなのに、この前提を欠いておいて、批判されたら対案を出せというのでは、自分の主張に根拠が乏しいことを事実上認めながら話をすりかえて誤魔化す行為で、議論のイロハも知らない人のすること。

コメント


  • twitter

©2020 by 井上靜。Wix.com で作成されました。

bottom of page