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  • 執筆者の写真井上靜

山田太一と豊田有恒の訃報

更新日:2023年12月8日

 テレビドラマの名脚本家の山田太一が死去した。

 続けて、元テレビアニメ脚本家の小説家の豊田有恒の訃報である。


 山田太一のテレビドラマで、鶴田浩二が特攻隊の生き残りを演じていた。

 これは鶴田浩二が特攻隊の生き残りを自称していたことが影響している。実際には乗組員ではなく整備士であり、それで自分の関わった航空機で戦死した人たちがいるから無念ということだったらしい。

 そして鶴田浩二は国士を気取る態度の一方で反権力の人物を演じることがあった。そのなかで山田太一のドラマには心に響くところがあったそうで、その後は山田太一が脚本を書いたドラマなら何でも出ると言って、実際に主役を演じたことがあった。



 特攻隊の生き残りとして語っているのは過去の美化だ。

 そう指摘される場面があった。これは水谷豊の演じている下の世代の男が、鶴田浩二に対して言うのだった。

 特攻隊だった人が、あの頃は純粋だったとか命をかけて国を守るつもりだったとか、散々カッコイイことばかり並べて、あとは知らんと居なくなってしまっていいのか。そりゃ昔のことだから綺麗に見えるのはしょうがないよ。自分だって、小学生のころを思い出すと、つい楽しかったことばかりになって、今の子供よりマシな暮らししていたような気になってしまう。でも戦争には、もっと嫌なことが一杯あったと思うね。戦争に反対できる雰囲気ではなかった、戦争に反対と思ってもいなかった、と言うけれど、いつごろからそうなってしまったのか。そういう話を聞きたいよ。どうして人間はいつの間にか戦争する気になってしまうのか。そういう話をしてもらいたいね。懐かしむ話ばかりだと、聞いているほうは戦争のことを案外ひどくないとか勇ましいとか思っちゃうよ。

 以上、ママの引用ではないが、内容はほぼ同じである。


 このドラマの中では『宇宙戦艦ヤマト』が引き合いに出されていた。

 これは辛辣であると、放送当時に視聴者から言われていたし、この感想は新聞のテレビラジオ欄の投書にも載っていた。

 そういう戦争美化の要素を宇宙戦艦ヤマトに持ち込んだ中心的なスタッフが豊田有恒であった。また、彼は嫌韓ブームの先駆けをしたり、原発賛成をしたり、後の井沢元彦は豊田有恒の影響ではないかと指摘があるけれど、それは創作で満足できる評価が得られなかったから、その鬱憤を晴らすのと権勢に媚びて食い扶持とする両方ではないかと言われている部分で共通しているからだ。

 なによりそう言われるのは、内容が貧弱というか御粗末というかの付け焼き刃であったからだ。このため結構ファンたちの間では笑いのネタにされていて、SF雑誌上でも言われていた。


 これは創作物の「深み」差ということだ。

 そして、どこで満足できるのかの差が「受け手の側」にもあるということだ。また、山田太一と違い、豊田有恒の死では大昔の作品を評価する同業者たちがいるけれど、子供のころに『宇宙戦艦ヤマト』で知った世代あたりからはヘイト発言のモノカキという認識が一般的であった。

 それを、遥か前の作品を褒めたところで、その後の民族差別・外国蔑視を商売にするようになったことの正当化は、到底できるはずがないだろう。

 

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