私が同級生とは認めない同級生
- 井上靜

- 2021年5月25日
- 読了時間: 3分
更新日:2021年6月23日
ある同級生は、高校三年生の三学期に病気で入院したので、卒業式に出られなかった。
それどころか、彼は取得した単位が足りなくて卒業不可だったのだ。履修科目については出席も試験も総て終わった後だから、そこで卒業に必要な単位をすべて取得していれば、あとは式に出なくても証書をもらえた。
しかし、彼は数学が赤点だったので追試を受けなければならなかった。後の日程で試験とか、出席日数なら補習授業とか、そういうことにはならない。正規の授業と試験で不可だったから自己責任である。病気は気の毒だが、後からのこと。登校できないなら病室で追試を受け、採点も甘くする。そういう配慮で最後の機会ということにするものだった。
ただ、正規の授業と試験で駄目だった人が、一科目とはいえ、また甘く出題と採点するとはいえ、入院していて体調が良くない時に、合格点が取れるかとなると不安である。
そこで、彼の父親が懸命に泣き落としをした。息子がいかに重病かと。その凄まじい勢いに、おされ、ほだされ、単位の問題をあやふやにして卒業させてもらったのだった。
これについて彼は、やるべきことをしないで不正に卒業したが「してしまえば勝ちだ」と言い放った。これが今後の彼を決定する。彼は、しなくてはならない義務や責任でも、つらいことは嫌だからしたくないという性格になり、それで困るはずでも父親に何とかしてもらえばいい、と安易に考える癖がついてしまった。偏差値が低くて学費の高い金で卒業できる私大に行き遊んでばかり。会社に就職したら仕事が難しいからと一か月で辞め、向いてなかったのだろうと他の仕事を探すこともせず、父親のやっている家業を手伝うようになった。
こんな人は元々いて、それで親を亡くした後も変わらないものだ。
だいたい世の厄介なオジサンはそんな育ちの人だ。親の御陰様に感謝し、親の亡き後は自分のことは自分でやろうと努力する、なんてことは親にしてもらって当たり前だと育ってしまった人には絶対に無いのだ。
そして、実際に彼は父親が事故で死ぬと、それまでの我儘や自己中に拍車がかかり、ますます他人に迷惑をかけるようになる。親の七光り議員にも、よく見受けられる現象だ。
それで大変な迷惑をかけられたが、それで絶交したという以前に、もともと彼のことを同級生とは認めていなかった。
もちろん、学校の科目それ自体は重要ではない。しかし、部活を一緒にやっていなくても、口をきいたことが無くても、仲が悪かったとしても、同じく必要なことをクリアして卒業したから同級生であり、それをしていない人は同級生とは認められない。他の科目でもそうだが、面倒とか苦手とか受験科目ではないとかで嫌だけれど、やるしかないことだから皆がやっていた。それで同じクラスの仲の良い人と協力しても勉強した。
その数学なら、必修ではない高校もある∫(インテグラル)がなかなか厄介で、しんどい思いをしながら相当の点を取ったものだった。他の同級生たちも一様にやっていて、何点取ったかは別にして赤点でないから卒業できたたことは同じである。
これが無い人は、同級生ではない。彼のその後が到底尊敬できないどころか軽蔑に値することとは別である。それはあくまで絶交した理由である。その前に、最初から彼は同級生ではないのだ。そういうことに意味を見出さない人もいるだろうが、大切なことだと考える人の方が多いはずだ。そして、このことはむしろ時間が経つに連れて重要となるものだ。自分の人生を自分で生きる大変さが増々解ってくるからだ。

だから彼について「そんな同級生はいなかった」と機会があるたびに言うことにしている。

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