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  • 執筆者の写真井上靜

勝手に安楽死させた医師と医学の問題が解らない松井計氏

 難病で重症の人を医師らが殺害した事件で「これを機に安楽死の議論を」なんて言っている牧歌的な人たちがいるけど、ここで真剣に議論するべきなのは安楽死じゃなく医者の方だ。議論もせず勝手なことする、人命に独りよがりする、そんな危ない医者の方が、障害者や老人よりよほど社会の邪魔者である。

 映画『コーマ』(マイケル=クライトン監督・ロビン=クック原作。どちらも元医師)では「末期患者の医療費は防衛費より多い。政治が解決できないなら、医師が決めて何が悪い」と、うそぶく。原作には無いセリフで映画の脚色だが、この傲慢は当時から今まで変わっていない。

 ちなみに原作の小説では、まさかと思う良心的な医学部長が黒幕だったので、疑惑を追及する主人公の女医が危うく殺されそうになるが、映画ではリチャード=ウイドマークが扮しているので最初から黒幕はこいつだと観客は解ってしまう。

 ところで小説家の松井計氏が、この事件についてTwitterで「たまたま犯人が医師だっただけだよ。医業にあるというだけで、被害者の診察すらしたことがない二人組だぜ。なんで医療の話にすりかえてんの?」と述べていた。

 もともと、安楽死と優生思想は医学界に強く、クライトンが卒業したハーバード医学部も批判されてきたし、日本でも避妊の子宮リング(大田リング)考案者の発言がナチズムそのものだと問題になり批判されたものだった。

 この太田典礼(1900- 1985)は、日本の産婦人科医、元衆議院議員(当選1回)で、日本安楽死協会(のち日本尊厳死協会と改称)を設立した人。

 彼は老人について「ドライないい方をすれば、もはや社会的に活動もできず、何の役にも立たなくなって生きているのは、社会的罪悪であり、その報いが、孤独である、と私は思う。」と主張し、障害者について「劣等遺伝による障害児の出生を防止することも怠ってはならない」「障害者も老人もいていいのかどうかは別として、こういう人がいることは事実です。しかし、できるだけ少なくするのが理想ではないでしょうか。」と主張した。

 また「植物人間は、人格のある人間だとは思ってません。無用の者は社会から消えるべきなんだ。社会の幸福、文明の進歩のために努力している人と、発展に貢献できる能力を持った人だけが優先性を持っているのであって、重症障害者やコウコツの老人から〈われわれを大事にしろ〉などと言われては、たまったものではない」とも述べていた。

 これに大きな批判が起き、朝日新聞の本多勝一記者が戦争と人種差別・障害者差別の共通点を追及した著書『殺される側の論理』でも厳しい姿勢で取り上げられていた。

 そして、今も医学界の体質は変わっていないことが、『コーマ』で描かれる臓器移植の技術的進歩により露呈し、問題になったり揉め事になったりし続けてきた。

 そこへ今回、前の選挙に立候補していた大西つねき氏が生命の優先順位を政治の課題とすべきという主張をSNSで発信して問題になり「れいわ新選組」を除籍処分されたばかりのところへ、差別主義者としての主張をSNS発信してきた医師らが安楽死として難病患者の命を絶ったので、勝手に実施したから殺人罪に問われたのだ。

 これだから当然に医学の問題になっている。これでは「たまたま犯人が医師」では済まされない。

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