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  • 執筆者の写真井上靜

努力するリスクより怠けた方がマシ

 幸運は努力する者にだけ訪れる。

 そう言う人が昔からいるけれど、それなら「運」は関係ないことになる。努力が総てなのか。しかし運の良し悪しは結果に大きく影響しているのも否定できない。

 また、宝くじのように努力は関係なく運だけのものだって存在する。


 宝くじに当たるのも買うなどして先ず手に入れることが前提だ。

 つまり宝くじの幸運は努力ではないが、持っていないのに当たって金が入ることはなく、では、この入手と努力は同じことかという問題がある。宝くじの購入で、枚数が多ければ確率が高まるから共同で購入する人たちもいる。この場合、配分などをきちんと決めることが重要と言われるが、どうするにせよ、これは工夫であって努力とは違う。


 ただ、運でも努力でも工夫でもリスクが伴うことは同じだ。

 それは結果が出なかった場合、宝くじの購入では散財になるし、色々な努力や工夫でも散財につながるし、特に努力の場合は他のことをする時間を失ったり頑張りすぎて身体に負担となったりで健康に害を及ぼせば生命にも関わる。

 このリスクを、特に努力の場合は考慮しない人がいる。自分のことなら自己責任でいいが、問題なのは他人に努力の大切さを説く人で、努力のリスクを一切考慮しない。



 最悪なのが学校の教師である。

 よく努力する意義を説くものの、報われない場合の被害を考慮しないで生徒児童に説教する。また、学校の教師が言う努力なんて、どんなに報われても所詮は日本の学歴社会など、冷静に見れば実に狭い範囲でのことだ。

 そんなことのために、他のことをする時間を奪われたり健康を害したりするなんて愚の骨頂である。


 だから、ここで前に取り上げた話につながる。

 真面目に勉強することで定評のあった同級生は、こっちが不本意とはいえ大学に入って勉強それ以上に学費稼ぎのバイトで悪戦苦闘しているのに対し、受験ノイローゼになってしまい大学ではなく精神科や心療内科に通っている。

 また、高校生の男女が人目を憚らずいちゃついているのを見ても、自分の若い時を思い出すと、とうてい「最近の若い者は」なんて言えないが、しかし青春時代に受験勉強ばっかり熱心だと、新潟県知事を辞めるはめになった人のようになって、それで国会議員に転じたうえ結婚もしたけれど、あの時の話をまだ蒸し返されている。

 学問だけでなくスポーツでも、たいへんな努力をしてスポーツ推薦で大学に入り怪我で挫折し、頭空っぽで、卒業したらブラック企業にしか入れず、悪徳セールスで押し売りをして、消費者センターに苦情ばかりで、その言い訳とは「怪我さえしなければ日の丸を背負って…」という無様さ。


 それくらい、努力にはリスクが伴い、怠けていた方がマシなことがあるのだ。

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