小説家の津原奏水氏が、百田尚樹著『日本国紀』の手抜き編集を批判したところ、発行元の社長が反発し、前に同社で津原奏水氏の小説を発行しことがあるけれど売れ行きが良くなかったとして具体的な数値まで公言したことがあった。
これに対しては、数値の公表など常識に反していると批判があり、そもそも無関係なことだという指摘もあった。つまり、批判に対する反論になっていない、嫌がらせ報復ということだ。
そして、津原奏水氏は、そんなことを同社長は言うけれど、他の出版社から発行した時はもっと売れていたという事実を提示していた。
もともと、売り方が悪いのに売れないことを著者のせいにする出版社があるもので、特にワンマン社長は独り善がりで完成度を低下させておいて著者に責任転嫁する場合まであるのだ。
こんなことを書くと、オーソン=ウェルズが映画会社の不適切を語ったら「自分でも経験があります」と言う図々しいエド=ウッドみたいだが、それを覚悟で言わせてもらうと、わざと完成度を低くして売れなくしているとしか思えないことをする人の被害に遭ったことがある。
例えば、事実関係を時系列に沿って記述している本について「事実の記録だから何年何月何日のことだと一々書かないといけない」と言った出版社の経営者がいた。
しかし、いつ頃のことかは当時の情勢や出来事を描写して自然に判るようにしているのだから、そこへ数字を付け加えるのは読み物として不自然である。そう言っても頑として聞かないで付け加え、というより改変してしまった。
そして実際に読んだ人たちから、そんな数字があっても「ピンと来ない」ので理解の助けにはならないと言われた。どうしてもやるなら巻末に年表を付けた方が余程よいとも指摘された。
この事実を同社の経営者は認めなかった。また他にも色々と改変をしていて、これが原因で批判が出ても、批判する方が悪いとか、売れないなら著者の責任とか、独り善がりと責任転嫁を言い出したので絶縁した。
こういうことが、ワンマン社長はよくあるのだ。