似非保守政党と米と神道
- 井上靜

- 7月19日
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米が無くなると神道が無くなる。
参政党の神谷代表が選挙演説で言った。宗教のために米があるのではなく、主食である。米がなくても他のものを主食にすればいい状態ならともかく、今はまだ米が必要だ。それなのに、政治家が政策ではない観念的な話をしているのだから、呑気なものである。
では、米と神道が関係あるのか。

米づくりしないと稲荷神社は無用になる。
あれは自然の恵みに感謝し、収穫された米を病害虫から守るための祈願である。だから稲作が無くなれば稲荷神社も無くなる。
米を作る田んぼがあれば、その地域に稲荷神社があるものだ。それで、周囲では犬を飼うことができない。稲荷を守る狐が犬を嫌うからだ。
これが北海道にもある。ところが、北海道では先住民族のアイヌが狩猟民族だったのに、侵略されて土地は天皇のものとされ、主食の鮭を取れば密漁として逮捕された。そして稲作を強制された。
参政党は小麦を押しつけたアメリカを批判している。
アメリカ大陸ではヨーロッパ人の侵略により、先住民族は慣れ親しんでいない小麦を強制されて体調を悪くした、という歴史がある。
これと同じことを、日本人は米で他の民族にやっていた。こういうことを参政党の人達は意識の中から必死で追い払う発言をしている。
日本人の食生活は米によって貧しくなった。
米が外から入ってきてから、労働はきつくなり、貧富の差ができて、食生活から多様性が失われ、経済力を測る尺度となった米ばかり作られさて飢饉が起きるようになった。米に依存するのはもう嫌だと日本人は昔から思ってきた。それで米の消費は減り、生産者も居なくなってきた。
だから参政党に限らず、まだ米が必要だと言うための拠り所に宗教をもってくる。
天皇が田植えをして見せる。
これは日本に稲作を持ち込んで得た権威を見せると当時に豊作を祈願するためだ。それなのに大臣を承認し任命する仕事をするようになった。これは中国から律令制度を輸入したさい真似したからだ。 こういうことを、中国の真似を排除せよと主張する自称保守派は言わない。なにも考えておらず適当に言っているだけなのだ。
それが国政に割り込んできた。政治のひどい荒廃である。



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