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三浦瑠麗の元夫に実刑判決

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 1月16日
  • 読了時間: 2分

 タレント学者の三浦瑠麗の元夫に実刑判決と報じられた。

 これは他所様の金を自分が経営する会社に入れてしまったという犯罪だが、そのさい妻がマスメディアに出ていることを信用づくりに利用していたから、単に妻がマスメディアに出ているというだけのことではなく関係があるはずだと逮捕当時に言われていたからだ。

 それで、後に離婚はしたが、裁判の報道で「元夫」と言われた。これは約四億円と額が大きかった。


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 会社と四億円で連想させられたのが殖産住宅事件だった。

 あれは1970年代のこと。殖産住宅で贈収賄や使途不明金の事件があり、この会社の創業者で会長をしていた東郷民安という人は巨額の脱税で執行猶予つきの有罪判決を言い渡されたが、罰金の約四億円を払えず労役になり収監された。同じ約四億円でも今より大きいから、いくら三浦瑠麗の元夫の会社とは比較にならない大企業の重役でも、無理というものだったらしい。

 そのあと東郷民安は癌の治療のため病院に移された。このさい告白を発表している。


 その告白の一部が驚かれた。

 もとは、中曾根康弘の選挙資金を作るためだった。これは裁判でも言っていた。東郷民安は中曾根康弘と高校の同級生だった。大学も、学部は違うが同じ東京大学だった。それで東郷は、無二の親友である中曾根のため、自民党の総裁選挙に立候補する資金を作ろうとした。

 ところが、当時の自民党ではマスコミが「角福戦争」と呼んだほど熾烈な勢力争いを田中角栄と福田赳夫が繰り広げていた。そこで他の者は勝ち目が無いので、中曽根は田中角栄と取引した。自分と仲間たちは田中に投票するから、将来は田中が中曾根を支援すると取り決めた。

 これで選挙資金は無用となっていたから、中曽根は東郷の言うことを否定した。


 後に中曾根は総理大臣になった。

 田中一派の支援を受けて。だから田中派が大量に入閣して「田中曾根内閣」と皮肉られた。それでも念願叶ったわけで、この一方で親友だった東郷は悲惨な状態に陥り、「中曾根くん卑怯じゃないか。親友だと思ってやったことなのに」と恨みつらみを語っていた。

 他にも中曾根という人は逮捕されても当然の疑獄で取り巻きが悲惨なことになり自分は逃げ御失せているから、出世のためにはなりふり構わずだけど狡賢くもあったということだ。

 そんな人を友達だと思ってしまったのが間違いということ。その後も殖産住宅は続いていたが、経営破綻で今は無くなった。


 取るに足らない三浦瑠麗の元夫のことから、外れた単なる連想をしたのだった。


 

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