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マスメディアに居ながら言論の意義を知らない人

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年5月28日
  • 読了時間: 2分

更新日:2021年6月24日


 「昔の戦時中に比べたら今は言論の自由があるのに、自分がTwitterでオリンピック中止を訴えても止まらないから、国が決めたことに対して言論は何の役にも立たないわけで、結局は選挙しかない」

 という趣旨のtweetがあって、これが編集者をやっている人のaccountだというので驚いた。

 そもそも、一人や二人がSNSで発信しても影響力が乏しいのは当たり前で、このことと言論の自由の有無とは無関係であるし、選挙で決まるにしても、その前に市民一人一人の言論による地道な訴えかけが無ければ結果は変わらない。

 こんな当たり前のことが解らないことに、まず驚いた。そして次に、この人が自称年齢六十代で編集者をやっていることに驚いた。


 これで思い出した映画が『モスラ対ゴジラ』(1964年)だ。

 この劇中、宝田明のふんする新聞記者が、台風で日本に漂着したモスラの卵を見世物にしようとする興行師たちを批判するが無視されて…

 「僕はもう書くのを止めます」と投げやりで腐る。

 「それじゃ、お前さんの負けだ」と田崎潤ふんする上司が指摘する。

 「いいですか、新聞は飽くまで報道であって、命令権も裁く権利もないんですよ」

 「お前、何年、新聞記者やってる。新聞は大衆の味方だ。権力者に成り上がってどうする」

 「しかし、いくら批判されても、あいつらは痛くも痒くもなく、宣伝になって好都合くらいに思っているんですよ」

 これに上司が怒って「お前のペンに力がこもっていないからだ!」

 つまり娯楽映画のdialogであり、ごく普通の常識である。





 それでも、冒頭で紹介した発言が、読売新聞の渡辺恒雄サンのような人が幅を利かせるようになってしまった後の、その影響下にある大手新聞で記者が言うならともかく、もっと前の世代の小規模のメディアで活躍している人が言っていたので、驚き呆れたのだ。

 なるほど、これだから今のメディア衰退も当然のことだと納得した。


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