スパゲッティの食べ方
- 井上靜

- 9月16日
- 読了時間: 3分
米が足りなくなって麵類を食べる機会が増えた。
それで思い出すのは、スパゲッティの食べ方だ。イタリア人が不可解だと言うのは、スパゲッティを食べる時に日本人はタバスコをかけること。日本では、ざる蕎麦にワサビ、うどんに七味唐辛子、ラーメンに胡椒、というように麵類に香辛料を付けるので、その感覚でスパゲッティにタバスコを付けるのだろう。
あと、食べる時にスプーンを使うか。イタリアではスプーンを使わないのか。フォークに巻きつけてスプーンを添えるのは、本来の食べ方ではないという話を、よく聞く。あれは和式の食べ方だ、と。
もちろん、それで食べ易すければ良いのだ。
ただ『ゴッドファーザーpart2』で、スプーンを使っている場面があった。
それは回想の場面でのこと。ビトコルレオーネの最初の相棒であるクレメンサが、ビトとサルバトーレと一緒に食事の時、スパゲッティをフォークに巻きつけるさいスプーンを添えて、挟むようにして口へ持っていっている。
そんなのはイタリア人の食べ方ではないということなら、監督が注意するはずだ。フランシスコッポラ監督はイタリア系で、そのあと『地獄の黙示録』の東南アジアロケに、いつもパスタを空輸させて食べていたほどだから。
ということで、スパゲッティを食べるさいスプーンを使ってもいい。

『ゴッドファーザー』といえば女性に人気がある。
映画が好きな女性と話をすると、だいたい『ゴッドファーザー』を観ていて、好きな作品だと言う。ヤクザ映画なのに。
これは、アメリカのギャング映画と違ってイタリア系のマフィアの話だから、だろう。アメリカのギャングは企業みたいに組織化された犯罪集団だからビジネスライクだけど、イタリアは家族や血縁を重んじ家父長的な文化が強いので犯罪組織も家族として結束をしている。その中で、女性のことが「極道の妻」の悲哀として描かれている。
最後の場面でマイケルに妹のコニーが泣きながら食ってかかり「裏切り者でも私の夫よ、殺すことないでしょう」、これに居合わせたマイケル妻のケイが「ほんとうなの」と訊くとマイケルは「仕事の話に口を出すな」と言う。そして側近がドアを閉じてしまう。あのラストは可哀想だったと、多くの女性は言う。part2ではマイケルがドアを冷たく閉じる。
part2で、妹は兄を許すと言う。跡を継いだのだから父親のように強くならないといけなかったと理解して。それは家族のためで、かつて父ビトは庶民を食い物にする顔役に怒りの銃弾を打ち込んだ。この顔役が憎たらしいので観客は溜飲が下がるけれど、やむにやまれぬ事情があったからのことだった。だから凄惨な殺戮の直後にビトが家族のところへ帰り、赤ん坊を抱いて「マイケルよ、お父さんはお前を愛しているぞ、ほんとうに愛しているからな」と小さい手をとって言うと観客は涙ぐんでしまう。
しかしケイは夫の家業を嫌悪し、子供を連れて出て行くという。子供は渡さないと言ってマイケルは妻だけ叩き出してしまう。コッソリ子供に会いに来たケイは、コニーから「もう行って。マイケルが帰ってくる」と言うけど、ケイは未練たっぶりで、玄関を出ても息子にお別れのキスをするように言うが、息子が躊躇っているところでマイケルが来てドアを冷酷に閉める。その向こう側からすすり泣きが聞こえる。
こうした、夫は家族のために戦っているけれど、それに妻が理解をしないだろうから口出しさせないとかいうのは、なにもマフィアに限らずよくあることだ。そこで生じる悲哀のドラマを女性は喜んでいるわけだ。
というわけで米不足だけどスパゲッティを食べているから平気な者としては、その食べ方から『ゴッドファーザー』を思い出してしまったのだった。



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