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長谷川和彦監督の訃報が信じ難いわけ

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2月3日
  • 読了時間: 3分

更新日:2月5日

 長谷川和彦監督が亡くなった。

 80歳だったが、もともと外見と雰囲気が実際の年齢より若い感じがする人だったので、そんな歳だったのかと思ってしまう。また屈強な人で、殺そうとしても死なないような感じがしたから、訃報に実感が無い。

 その映画については、すでに色々な人たちが色々と語っているので、それ以外の話を、ここではする。


 『太陽を盗んだ男』のカメオ出演場面。




 『朝まで生テレビ』に、長谷川和彦は一度だけ出ていた。

 ここでスタジオに来ていた右翼学生たちと問答になって、そのさい穏やかな物腰だが威圧感があるので右翼学生たちが押されて黙っしまった、という場面があった。

 この直後、テレビでビートたけしの番組に出たさい、たけしが怖がっていた。「映画監督が出るというから、大島渚じゃなきゃいいと言ったけれど、おっかねえ」と。


 『朝まで生テレビ』で、舛添要一(当時、東大助教授)が、長谷川和彦の反権力姿勢に対して言った。

 ソ連に侵略されたら「自由に映画が作れなくなっちゃうよ」と。そう言って、なんてことはない、自民党と日本の体制に媚びたのだ。だから同席していた大島渚が激怒し「日本だって自由に映画作れない」と言った。

 周知のとおり、大島は若い頃に映画の内容のため何度も権力から迫害されてきた。


 また、舛添要一は自分の学歴まで自慢していた。

 これは大島渚が京大卒であることに対し、舛添は東大卒だと言ったのだった。大島は、今でこそ芸能の仕事をしているが、もとは京都大学で政治学を専攻していたと言ったのだ。なのに、自分は東大だと言ったところで何の意味があるのか。

 そして、この時の話題は「愛国心」だった。なのに舛添は、それを体制に媚び諂うことだと勘違いして発言していた。これでは、高学歴でも優等生ではなく、ただ田舎から出てきたガリ勉にすぎない。


 長谷川和彦は東大を卒業の目前で退学していた。

 映画会社にエグゼクティブで入社して監督になるなら大学を出ないと不利どころか無理で、なるべく一流大学であることだと、東映に勤めている親戚に言われたから、それまで不熱心だった受験勉強を、三年の最後の二か月間に集中して猛然と実行し、現役で受かったから学校の教師も同級生も驚いたそうだ。

 しかし卒業する時には映画会社が不況のため人を募集しておらず、そのため今村昌平監督のプロダクションで働き始めて、もう映画界に入ったから大学卒業の意味が無いということで、あとは卒論を書くだけだったけれど退学してしまったそうだ。

 

 このような、上記の大学を巡っての話も面白かった。

 だから、訃報に接して思うことが多い。Twitterで詳しく話していたからフォローされていたけれど、実は大宅壮一文庫に「長谷川和彦」の項目があったので、それで知ったことが多かった。マーチンスコセッシやシルベスタースタローンとも対談していた。

 だから知っていたことが他の人たちより多かったのだが、なんで詳しいのかと思われたらしい。ところが更新されなくなっていて、そこで訃報という次第だった。今も信じられないが。



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 ここでは『太陽を盗んだ男』の直後に『ヤマトよ永遠に』があり、そこで西崎義展が説いていたこととの関係に言及していた。

 

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