「薫陶を受けた」という表現
- 井上靜

- 2021年6月10日
- 読了時間: 2分
更新日:2021年6月24日
先日、ラジオのクラシック音楽番組で「指揮者のフィリッツ-ライナーはリヒャルト-シュトラウスの薫陶を受けた」と言っていた。
この「薫陶を受けた」という表現だが、ブルーノ-ワルターはグスタフ-マーラーに「師事した」とか言うのとは微妙に意味が異なる。
ところで、今度の都議会選挙に立候補予定の元市議会議員の女性は、自分と同じ大学を出ていて、神道の大学を出ているだけでなく、巫女の仕事までしていた。
そのあと共産党に入り議員にもなった。だから宗教の学校を出て宗教家になりかかっていたけれど共産党の政治家になったということだから「スターリンと同じですね」と前に言ったら、彼女はムッとしていた。
このスターリンの経歴を、同じ市議会の社民党の女性議員が知らなかった。
そして「えっ、スターリンって宗教家だったの」と言うから、一緒にいた年配の旧社会党時代からの党員の男性が「そうだよ。神学校を出ていて、首相にまでなっても、それでも彼の家族は、政治家を引退したら聖職者になると思っていたほどだった」と言った。
それでスターリンは、宗教界の権威主義と偽善性に怒ってレーニンの下に行ったが、宗教的な体質が抜けていないのでレーニンは心配していた。そしてレーニンの死後、スターリンは宗教の異端排除の論理を組織に持ち込み、邪魔者を粛清したのだった。
だから、よく宗教家が「共産主義は宗教に否定的なのが良くない。だからスターリンのように…」と、よく言うけれど、これは無知で矛盾しているのだ。
ただ、キリスト教とは事情が異なるし、その元市議は、学部も年度も異なるが、大学で「薫陶を受けた」のが同じ先生である。
だから政治経済では意見が合わないことが多いけれど、いちおうは安心して投票していた。この先生の影響は大きく、これに比べたら政治経済の政策など付け焼き刃というべきでことである。


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