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  • 執筆者の写真井上靜

「子供の教育に、お金を惜しまない主義」

 これは卒業式の季節になると思い出す話である。

 高校三年の時、学年で唯一、三者面談をしなかった。担任の先生が、お前だけはしないで良いなと教室でみんなの前で言った。そうして下さいと返事した。

 これは、親と話しても無駄だと担任教師が考えたからだ。なぜか。その前に、二年生の時、父親が教師と面談したさい、唯一、あまりにも滑稽なことを言ったからだった。



 それが「私は、子供の教育に、お金を惜しまない主義です」だった。

 この言葉だけで笑い出した人たちがいる。当然だろう。こんな可笑しな表現をして、いかにも気取っている。もし言うとしても、実際には全くそんな気が無い人だけしか言わないだろう。

 ところが二年生時の担任は、真に受けたようなことを言っていた。ちょっとマヌケな人だったから。ただし、少し考えて変だと気づいたようだ。それで入試の記録を調べたと言う。そしたら、この学校でなくても入れる高校はいくらでもある成績だった。だから変だと気付いたのだ。


 子供を公立高校に行かせて何を言っているのか。

 しかも、地元というには遠い場所にある高校だった。学区内ではあったが、自宅の近くには、偏差値からして入れる公立高校は複数それも上から下まで合計すると五校か六校はあった。それなのに遠い場所の公立高校に入り、それは学区の公立高校の中でも貧しい家庭の人が特に多い学校だったのだ。場所柄のためだ。

 そこに、わざわざという感じで子供を入れて、その教師に保護者面談で「私は、子供の教育に、お金を惜しまない主義です」と気取って言ったのだから、話を聞いた教師は呆れるだろう。


 それで、親の態度に奇妙なものを教師は感じたのだ。

 この様子では、中学三年生の時に家庭で何かあったな、と。だから、卒業後の進路については本人が勝手にすればよくて親は話にならないと悟ったというわけだ。

 その後、親元を離れて親戚のところへ行き、そこから大学に行くなどした。だから同級生らは、親戚を親だと思っていたり、姓を勘違いしていたり、などなど混乱した認識を持たれていたのだ。


 今思うと、高二の時の担任は駄目だったけど高三の時の担任は解る人で助かった。

 そうした配慮の出来る教師に、もっと増えてほしいものだ。

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