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「可もなく不可もなし」の水準にない唯一の同級生

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年5月30日
  • 読了時間: 3分

更新日:2021年6月24日

 前に、同級生とは認めない同級生という話を書いた。

 その同級生は、同じ高校で唯一、自分が同級生とは認めていない人だ。他の同級生も同感だと言っている。彼は数学で赤点を取り追試を受けないと卒業できないのに、病気になってしまったからと彼の父親が熱弁をふるい教師たちを泣き落とし、単位不足を有耶無耶にしたまま卒業した。

 これについて彼は、不正に卒業しても、してしまえばこっちのものだとし、「勝ち」だと言ってのけた。彼がそう思うのは勝手だ。しかし、行事や部活で一緒じなくても、在学中に一度も口をきいてなくても、仲が悪くても、同じように学校で決められた単位を取って卒業しているから、同級生とか同窓生とかいうのだ。嫌いとか苦手とかの課題でも必ずクリアしている。そのために一緒に勉強したり教え合ったりもした。全員がそうであるのだから、そうでない人は認めないのが当たり前のこと。

 そういう話だった。


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 この人は、高校を卒業したあと、同窓会というほどではない少人数が集まった飲み会程度のことがあったさい、出た高校について要するに「可もなく不可もなし」だと、酒に酔って笑いながら肯定して言った。

 これが不愉快だったのには、二つの訳があった。

 まず、出た高校は実際に生徒に対し「『可もなく不可もなし』であれ」と言うような教育方針だったから、可能性の芽を摘むとか毟るとかいうことがよくあった。なので、それを奴隷根性さながらに酒で自嘲ぎみに是とするなんて最低だと思ったのだ。

 そして、その高校の生徒が現実として親は低所得者ということが多く、だから大志を抱いても虚しいと予見できたので、せめて「『可もなく不可もなし』であれ」の教育方針だった。だからこそ、みんながクリアする課題は、どんなに難しくても嫌いでも「やるしかない」という覚悟と決意でクリアするのに、それを自力ではなく親に誤魔化してもらった人が言うのは不当である。


 つまりその男は、同じ学校だから同じ卒業の基準をクリアした同級生というには失格で、しかもそれにより「可もなく不可もなし」の水準にすら達していない。

 みんな卒業後どうしたかは様々で、中には勉強も労働も嫌だと「Fラン大」に行った人もいたが、そんな人でさえ卒業に必要な単位は正規に取得している。赤点をとっておいて追試を受けず親に誤魔化してもらい卒業した人なんて、他には少なくとも同学年にはいないし、古い学校だったから過去何十年も卒業生を輩出しているので、その中に絶対いないとまでは言い難いけれど、しかし殆どいないとなら言い得るはずだ。

 それなのに、不正に卒業した唯一の欠陥生徒が、卒業した高校を評するなんて「盗人猛々しい」と言っても過言ではない。


 もともと自己中で迷惑だったから絶交は当然のことだが、同級生ではないと言うようになったのは、これがきっかけである。

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