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  • 執筆者の写真井上靜

84年の正月映画「3G」

更新日:2023年12月26日

 先日、薩摩剣八郎の訃報について話題に取り上げた。

 その芸名からして時代劇の俳優だが、言葉の訛りが強く、殺陣はよいが台詞に難があったところ、ゴジラの中に入って動かす役をすることになったと言われている。

 この最初の映画が84年版の『ゴジラ』だった。今では、よく「ゴジラ84」と呼ばれた。



 84年版『ゴジラ』の時、正月映画は「3G決戦」とマスコミが話題にした。

 『ゴジラ』『グレムリン』『ゴーストバスターズ』で、どれもヒットして続編やリメイクがあった。興行的に客の入りが最も良かったのは『ゴーストバスターズ』だったが、マスコミや批評家から出来が良いと言われたのは『グレムリン』だった。

 また、『ゴジラ』のヒットで東宝は、その年、小松左京が原作と製作総指揮で奮闘したSF映画『さよならジュピター』が興業では大失敗して何億円も大赤字となっていたところ、それを取り戻して大入り袋だったと言われる。




 その時、祖母の家に行き、映画を観てから帰ると言った。

 それで祖母が何を観るのかと問うので『ゴジラ』と答えた。そして映画館の前の席に、小さい男の子を連れてきたお婆ちゃんがいて、その時の会話を後ろから聞いていたら、孫はもちろんゴジラ目当てだったが、お婆ちゃんとしては首相役の小林桂樹などベテラン俳優たちが楽しみだと言っていて「なるほど」と思っていた。

 さて、映画が始まると、冒頭、主人公が遭難した漁船を調べていたら、そこに巨大化したフナムシがいる。ゴジラの鱗に寄生していて放射能のため変異したらしい。これに死んだ乗組員は体液を吸い取られてミイラ化していた。その時、懐中電灯で木乃伊化死体が照らされてパッと画面にアップで映ったら、これを見た前の席のお婆ちゃんがビックリして「ひぃ~ッ」と悲鳴をあげたので、可哀想だけど可笑しかったのを憶えている。



 この音楽は小六禮次郎だった。

 彼は倍賞千恵子の夫としても知られている。伊福部昭に依頼しようとしたが、予定が詰まっていると断られ、それで重厚な響きが得意な小六禮次郎に頼んだということだった。

 この次の『ゴジラ対ビオランテ』の音楽は、すぎやまこういちだった。映画を観た人たちは、よく、音楽が軽くて不満だと言っていた。あれでは『ドラクエ』と同じだ、と。

 小六禮次郎は、すぎやまこういちの弟子の一人である。やはり弟子の筒美京平は、レコード会社員としてヒット曲を作るのが目的だったが、小六禮次郎は芸大でアカデミックな音楽教育を受けているから、すぎやまこういちのような見様見真似の作曲家に弟子入りしたのはマスコミで活躍するためであること明らかだ。

 そして、すぎやまこういちは政治力があるから、すかさず食い込んでゴジラ映画の仕事にもありついた、ということだったのだろう。


 ということで、訃報と正月映画の思い出と、いまにして思えば…という話題である。

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