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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2月11日
  • 読了時間: 2分

 株を併合した会社がアメリカにある。

 これは、株を分割して価値を薄めて大量に発行し、買いやすくするのとは逆である。そして、買う人が少なくて株価は大幅に下がった。

 しかし、いずれ値上がりするだろうと、そこそこの数を購入した。そのあと一時的に急激な値上がりがあった。この時に売却しておけばよかった。少しだが利益になったから。ところが本当に一時的だった。回復すると思ったのが間違いだった。



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 あとは長期の低落である。

 かつての急激な下落ではないが、下がった状態で緩やかに低落を続けている。いずれ上昇に転じる可能性があるので注視し続けているが、まるでウサギが走って来てズッコケないかと木の切り株を見ているような感じである。

 こんなことなら、イーロンマスクの会社の株を買うのに回せばよかった。


 この会社は社名変更もした。

 これに株主たちは賛成したそうだ。ここにも株主はいるのに、知らない間のことだ。もっと大量の株を所有している人たちがいて、こっちは無視ということだ。その人たちがいるのだから、こちらは待つしかない。待つのに耐えられないから損しても売ったという人たちがいる。それはもったいないから待っているけれど、低落は続き、最初に購入した価格の三分の一になってしまった。

 「♪待ちぼうけ~」とは、このことである。


 余談だがNTTは社名変更するそうだ。 

 そして新社名は後から発表するとのこと。どうなるのか。よく、ブランド名を社名にすることがあるけれど、ドコモではつまらないから他に妙案があるのではないだろうか。

 どうであれ、社名変更するのは気概があるからなので、放置に耐える精神力を以て注視というか待ちぼうけというかを続けてみる。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2月10日
  • 読了時間: 2分

 安田純平という人に日本政府が渡航を規制していた。

 これは違法であるとする司法判断が出た。しかし、これで規制がなくなったのではなく、今後も新たに規制はいくらでもできる形であるという指摘もある。したがって、ささやかな勝利ということだったし、そうでないと、この裁判長が実質的にも国の方を敗訴させるなんて奇跡が起きるわけがない。

 この点、同じ裁判長が常岡浩介という人は敗訴させたことと併せれば、実にこの「東京高裁のワースト判事」と弁護士からも言われる三角比呂らしい。この裁判長は、ひどい判決の合間に、実質の伴わない判決により、自分は権勢に媚びてばかりではないように見せかけるからだ。

 ここのblogの「司法」欄を読んでいる人たちには容易に理解できることだ。


 もとは日本政府の事なかれ主義である。

 だから、取材が日本政府に不都合なので規制したという報道の自由に関わる問題では全くない。むしろ、これは安田という人に限らないが、その取材は日本政府にとって実は好都合である。なぜなら、彼の取材とは日本政府が追従している米国やNATOの側から操作されたものであり、その指摘は前から出ているのだから、取材の結果が対米隷属の日本政府を困らせるものではない。


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 かつて安田純平という人が渦中の人となったとき。

 その途端に叩くのは卑怯者だと非難する人たちがいたけれど、そうなる前から彼の「報道」はあからさま嘘またはデタラメであると指摘して、それゆえ堕落したマスコミが買っていたと批判してきた者たちがいる。

 当方もその一人である。著書を読んでくれたら人なら解っていることだが。この著書は、アマゾンのレビューから、この指摘をしたものがことごとく削除されていて、残っているのは本の内容と違うものだけである。題名から想像して勝手に書いているようなレビューだ。こうした工作はいくらでもできる。Xでも同じことが言われていて、選挙がらみで被害届も出ているほどだ。


 それはともかく、戦争に関して最近の報道はひどい。

 これは大手に属している人たちもフリーランスも同じだ。フリーランスの人も金にしたくて大手に売ろうとするから、当たり前のことだ。

 かつて、こちらのblogに指摘のコメントが来た。ベトナム戦争の時のTBSの田英男や朝日新聞の本多勝一のようになりたくても駄目で、これは報道の情勢が大違いだし本人の力不足もあってのこと。そういう指摘だった。

 そのとおりだろう。


 
 
 

更新日:2月9日

 東京都武蔵野市にある武蔵野東学園で、三年の女子生徒が理事長から謝罪文を強制されたとして刑事告訴したところ校長から退学を言い渡され、これを撤回するよう求めていると報じられた。

 この女子生徒は大学の入試に受かっているので、このままでは進学できなくなる。学校と揉め事があったとしても、その感情的な報復で生徒の将来を犠牲にするのは教育機関に相応しい対応ではない。


 これに対して、生徒の将来が最優先であるという指導や助言を文科省は学校側にするべきだという声があがっている。

 それより、大学が高校卒業と看做して入学させるべきである。

 これは、生徒が不祥事を起こして退学処分をうけたのではない。学校のエライ人から不当な扱いを受け、それが刑事案件になるほどの違法性があるから捜査して欲しいという正当な訴えをしたことに対して、その司法判断を仰ぐのではなく報復をしたのだ。それも生徒の将来を無茶苦茶にするという最悪の形で。

 こんなクソ退学処分は無視すると大学が言えばいい。


 大学が、高校卒業と看做せば、入学が可能である。

 例えば、吉永小百合は芸能活動をしていたために高校を卒業できなかったけれど、卒業も同然の学力であると早稲田大学が看做して入学を認めた、ということがあった。そして彼女は主席か次席で卒業したはず。


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 そして、高校が弾圧で卒業させなくても、大学の方で入学を認めれば、弾圧の効果が決定的に損なわれる。だから、このような弾圧はしても意味がなくなり、しなくなる。大学としても、芸能人を入れて話題になるより、もっと名を上げることになるはずである。  

 

 
 
 
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